2018年11月07日

【動画】豊国神社


先だっての「近世日本国民史 徳川幕府 思想篇」を読んでいてふと思った。
聚楽第行幸、特に広く知られている一回目のそれが、関白就任≒名実ともに天下統一の完成を確認する、秀吉一世一代の晴れ舞台であったことは、言うまでもないだろう。しかして、一方の後陽成天皇や正親町上皇にとって、それはどのような意味をもつ出来事だっただろう?
階級闘争史観とかいう、下種な対立煽りのカルト信者は、秀吉の横暴だの何だのと事あるごとに不興や敵意の存在を暗示したがるかもしれないが……
日本中の大名に忠誠を誓わせた天下人が関白に就任した。ということは別の言い方をすれば、少なくとも形の上では朝廷に臣下の礼を取ったということであり、それを満天下に知らしめたということでもある。
秀吉が朝廷の権威を「利用」したと悪意を以て描写することはたやすいが、裏を返せば、並み居る大名を実力を以て切り従えた秀吉をして、なお、その覇権を安定的に確立するためには、朝廷の権威にすがる必要があったのだとも言えるだろう。
後陽成天皇にとって、というよりむしろ正親町上皇にとって、それが、それほど不愉快な出来事であったろうか?(自身が権力亡者であるがゆえに権威と権力の区別がつかない類のカルト信者にはそう思えるかもしれないが)

こちらで参照した今谷明の著書をもう一度引用しておけば、正親町上皇は、
なにしろこの天皇は、一一歳のとき(大永七)将軍以下の出奔と柳本賢治らの入洛、一九歳のとき(天文五)天文法華の乱(下京焼亡)、三三歳(天文一八)のとき三好長慶の入洛、践祚翌年(永禄元)には将軍義輝が亡命先から入洛、四五歳のとき(永禄四)六角義賢の上洛、四九歳(永禄八)のとき将軍義輝の暗殺、と数限りない武家社会の有為転変を経験してきているのである。少々のことでは驚かなくなっているのである。
という、足利末期の混乱を経て、信長と対峙して一歩もお譲りにならなかった(と今谷氏は言う)英主であらせられる。
その信長が亡び、明智が亡び、ついに豊臣が天下を取った。その間に、信長が譲位を企てた誠仁親王はおかくれになり、孫の和仁親王(後陽成天皇)に譲位あそばされた。
その可愛い孫の天皇に、日本中の大名を従えた天下人が、臣下の礼を尽くしているのである。
その光景が、息つく間もない抗争の時代を渡りきっておいでになった祖父上皇に、隔世の感を催さしめるものであったとしても、不思議ではない。というよりむしろ当然ではなかろうか。

天皇が自ら政治の任に当たる権力の主体であるならば、秀吉という実力者は、天皇を「お飾り」と化さしめる対抗者・邪魔者のように感じられるかもしれない。
しかし、今さら言うまでもないが、天皇が自ら権力の主体として直接政権を運営されるなどという事態は、長い日本の歴史の中で、むしろ例外的な非常事態である。
遠い上古の昔を除けば、天皇統治の本質は、しかるべき政権に対する大政委任であり、天皇自らは権力主体ではなく、その権力に根拠を与えるバックボーンとしての「権威」のそれであったろう。こちらのシリーズにおける倉山満の三類型を借りるとするなら、天皇という君主の実質は、その歴史のほとんどの期間、専制君主というよりはむしろ立憲君主のそれに近いものだったのではなかったか。

であるならば、正親町上皇や後陽成天皇にとって、豊臣秀吉もまた、所詮は、藤原~平~源(北条)~足利~織田、と次々に現れては消えていった時々の大政委任の適格者、その新たな一人がまた現れたというにすぎなかったとも言えるのではないだろうか。
しかもこの際は、長年の乱世を終わらせ、並み居る大名に忠誠を誓わせることに成功したという意味で、実力においても申し分ないし、源や足利のように幕府を開くというでもなく、織田のように自らを神とする新興宗教を作ろうなどと(今のところは)トチ狂ってもいない。それどころか、藤氏の猶子となって、いわば形の上では公家として、権力の座に臨もうとしているのが秀吉。何しろ関白就任である。あくまで形の上だけのことではあろうが、王政復古といって言えないことも無い。そして朝廷の権威にとって、形式というのは、いかにも大切だ。
そういう意味では、秀吉という権力者は、朝廷という権威にとって、大政を委任すべく、足利や織田より以上に好ましい存在と見えたとしても、不思議ではないようにも思える。

もちろん、その後の豊臣政権も多事多端ではあったし、海外遠征をはじめとする秀吉の行動の数々は、従来、誇大妄想として批判されてもきた(西洋キリスト教諸国の世界侵略という国際情勢を鑑みて異論を唱える向きもあるようだが)。
ただ、それら秀吉の政策が、関白として、やがては「太閤」として、朝廷の威を借りる形で行われつづけたことは事実であろう。
そうしてつらつらおもんみれば、戦前の皇国史観が秀吉を尊皇家と位置づけようとしたことも、あながち、無理とはいえないように思えてくる。
(あまりに気宇壮大で常人には理解しがたかったかもしれないし、実現もしなかったのだから妄想には違いないが、北京遷都の構想なども、朝廷にとっては有難迷惑以外のなにものでもなかったとして、当の秀吉自身は100%善意だった可能性さえなくはないのかもしれない)

そもそも、秀吉に豊国大明神の神号をお与えになったのも後陽成天皇であらせられるし、後水尾天皇の御生母近衛前子は、後陽成天皇に入内するにあたって、秀吉の猶子となる形式を踏んでいる。あえて強引な言い方をするなら、秀吉は、後水尾天皇の義理の外祖父であると……言ってしまうといいすぎだろうか。
反日歴史学会の重箱の隅をつつくような詮索はさておき、総体としてみると、豊臣と朝廷との関係は「良好」といってよいものだったようにも見える気がする。
これら後陽成天皇と秀吉の一見親密な関係のすべてが、権力に物を言わせた秀吉の強制でしかなかったと、言いきることは、はたして、妥当なのだろうか?

それに引き換え、徳川はどうだったろう。

こちらで引用したように、後陽成天皇は、『日本書紀』の神代の巻を、勅諚を以て刊行せしめられた。時に慶長四年(1599年)閏三月。いわゆる関ケ原合戦の前年である。
正親町天皇の御代の辛苦の果てにようやく成った関白秀吉による天下統一。その秀吉が築きあげた、安土桃山時代の繁栄が水泡に帰し、天下が再び乱世の昔に帰らんとするかのごとき趨勢を示すとき……心ある君主の誰がこれを憂えずにいられるだろうか。このタイミングでの日本書紀神代巻の刊行には、後陽成天皇の、「わが国体の本義を思い起こせ」と、説諭あそばすお気持が込められてはいなかっただろうか?
こちらのシリーズなどで倉山満が語っていた、立憲君主の、「忠告を与える権利(※権限ではない)」の行使に、それはとてもよく似ている気がするのは、私だけか)

やがて合戦の結果、天下は徳川の手に帰したが。
その結果成立したのは、豊臣時代とまったく異なる政権だった。
京の都を遠く離れた江戸に幕府を開き、主家・豊臣を滅ぼし、禁中・公家に対して指図がましい「法度」をつきつけ、家康の孫娘を入内させ外戚たらんと企て、あげくのはての紫衣事件。
豊臣に引き換え、徳川とは、いったい何様であるか?
後世、徳川を倒した「尊皇家」がそう考えたとしても不思議はない行状ではある。
いや、同時代においてさえ、表だって口にはできないまでも、眉をひそめる者がいなかったわけではないかもしれない。

山鹿素行、山崎闇斎、徳川光圀、などなど。幕末の討幕の伏線ともなる思想の原型が早くも家康の孫の時代には出そろっていたことは、こちらで触れた通りであるし、そうした時代の空気を形成するにあたっては、先の「日本書紀」の勅版が相応の感化力を発揮したらしくもある。
再び、徳富蘇峰の前掲書を引用しておくとすれば、
而して慶長十五年には、國賢の跋文とともに、京都において、『日本書紀』全部刊行せられ、中にも神代の巻は、この勅版によりて、重刊せられた。その他元和・寛永の間には、神代の巻の抄が、活字にて刊行せられ、また寛文四年には、『日本書紀神代合解』が刊行せられた。これは忌部正通の口訣、卜部兼倶の鈔、清原大外記環翠軒の講義等を合わせたるもの。神道興隆には、これほど調法の書はあるまい。而して寛文九年には、前記の慶長十五年版が、訓点を加えて刊行せられた。いかに『日本書紀』が、当時流行したかは、これをもっても知り得べしだ。
どうもまとまりのない長文記事になって恐縮だが……
後陽成天皇の勅版にはじまる思想の伏流水が、やがて幕末に奔流となって噴出したものと解せば、こちらで触れたように、明治時代になって、秀吉が、信長が再評価されるに至ったことも、一本の脈絡で把握しやすくなるかもしれない。

動画概要:
2016/10/12 に公開
豊国神社は、京都の大仏殿、旧方広寺の遺跡地にあります、豊臣秀吉が建造した旧方広寺は、天災に続き、火災により、又、徳川家康により破却された後、明治天皇の御沙汰により復興すると言う、歴史的な当時の状況が現実に現れた、姿に引かれて、作品にしました。現在の豊国神社は特別な日以外は、唐門迄で中にお参り出来ないのが残念でした。
(P:西田安男)
ちなみに家康は「権現」であり、神仏習合形態だが。秀吉は「明神」であり純粋に神道。室町後期~江戸時代に主流派だった吉田神道的には「明神」のほうが「権現」より格が上だったりもしたらしい。トリビアだがw

Amazon:
歴代天皇で読む 日本の正史
近世日本国民史 徳川幕府 (思想篇) (講談社学術文庫 (590))
信長と天皇 中世的権威に挑む覇王 (講談社学術文庫)
豊臣時代史 (講談社学術文庫 520)
秀吉の虚像と実像
消された秀吉の真実―徳川史観を越えて
秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風
posted by 蘇芳 at 21:51| 戦国~織豊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする