2018年11月05日

【読書】徳富蘇峰「近世日本国民史 徳川幕府 (思想篇)」

Wikipedia:徳富蘇峰

徳富蘇峰という人は、今、どれくらい読まれているだろう。それ以前に、どれくらい意識されているだろう、知られているだろう。
私事で恐縮だが、当方などがこの名を初めて知ったのは、遠い昔の学生時代、現代国語のオマケの文学史の授業か何かだったろうか。その扱いは酷いもので、要は「蘆花の兄」でしかなかった。つまるところ蘇峰が書いていたのは史論であり新聞記事であって、小説でもなければ詩でもない。現国の授業的にはどうでもいい人ということだ。
しかも今となってはその弟の蘆花でさえ「不如帰」一冊をもってかろうじて記憶されているかのようなありさまなら、はたして蘇峰の扱いたるや? 「吉田松陰」一冊が岩波文庫に入っているのがせめてもの救いというところだろうか? https://amzn.to/2P88pE2

しかしながら、先日こちらで軽く触れた新保祐司 「明治頌歌―言葉による交響曲 https://amzn.to/2xWi3y7」によれば、明治時代の文壇は「硬文学」で花ざかりであって、「政治小説」「漢詩文」「史論」などが広範な読者を獲得していた。そして「「明治の詩情」を表現したものとして、今日、「新体詩」だけが問題にされるが、実は「漢詩漢文」の方が、「明治の詩情」を代表していた」のだという。
同書からの孫引きになるが、作家・評論家の中村光夫も、
 明治時代から大正の初期にかけて一般読者の文学的欲求をみたしたものは、決して単に新しい小説や詩だけではなかったので、時事評論や史論を中心とするいわゆる硬文学、漢詩漢文などが和歌俳句とならんで読まれていたのです。このうち(文芸評論でない)評論、史論、漢詩漢文などは、現代では滅びてしまったジャンルですが、これが今日から想像もつかない権威と多くの読者を持っていたことは、明治時代の雑誌を一瞥すればわかります。
と書いて、早くも昭和三十年代に「硬文学の復活」を訴えていたという(結果は言わぬが花のようだが)。
これが事実とするならば、まさに評論・史論に健筆をふるった徳富蘇峰が「現代国語のオマケの文学史の授業」にとって「どーでもいい」どころの騒ぎではないはずではないかと思えるのだが……やはりどうにも戦後の学校教育というのは○○らしい。

まして蘇峰は、「史論」をも書いていたというのだから、戦後レジーム脱却がようよう大っぴらに唱えられるに至った現在、腐った戦後の国語教育だけではない。歪んだ戦後の歴史教育を是正すべき点からしても、一顧に値する存在ではなかろうか。

ちなみに蘇峰には近世日本国民史 全百巻などという大部の労作などもあったりして、その一部は文庫化され、古書や電子書籍で今でもどうにか読むことができるようだ。https://amzn.to/2D2d6rI
試みにそのうちの一冊、当ブログの関心に近そうな「近世日本国民史 徳川幕府 (思想篇) https://amzn.to/2SGZAz4」を古書で取り寄せてみた。
以下にその目次の大見出しを抜き書きしてみる。
第一章 浪人問題
第二章 由比正雪事件
第三章 正雪事件の結末
第四章 正雪事件の余波
第五章 熊沢蕃山
第六章 蕃山の経綸と思想
第七章 山鹿素行
第八章 素行の思想、および抱負
第九章 山崎闇斎
第十章 闇斎およびその一派
第十一章 神道と国体観念
第十二章 国体観念作興の諸原因
第十三章 水戸家とその始祖
第十四章 徳川光圀
第十五章 光圀の本領
第十六章 光圀と修史
第十七章 光圀と彰考館
第十八章 光圀と外客
第十九章 修史の余事
第二十章 光圀の尊王心宣揚
おわかりだろうか? 徳川時代の思想を扱いながら、各章の見出しに特筆大書されている人名は、林羅山でもなければ新井白石でも荻生徂徠でもない。反日歴史教科書とは大きく顔ぶれが違っている。
由比正雪や徳川光圀は反日教科書にも名前くらいは登場するかもしれないが、あくまで独立したトピックとしてであろう。光圀が水戸学を創始して幕末の維新運動に影響を与えた云々とは書いてあっても、では、当の光圀が影響を「受けた」のは何からか。そうした文脈は断ち切られていないか。
山鹿素行は忠臣蔵のオマケ程度に言及はあるかもしれない。しかし、「中朝事実」一巻について反日教科書が(客観的に)詳述することがありうるだろうか?(そもそも今日「中朝事実」を手軽に入手することさえ容易ではない。私ごときニワカなら、せいぜい、乃木大将と昭和天皇のエピソードでその書名を知ったくらいのものかもしれない)
それでも陣太鼓があるだけ素行はマシというべきか。
当ブログでは保科正之や宝暦事件、垂加神道の関係で何度か言及しているが、山崎闇斎に至っては、反日教科書どころか、一般向けの概説書でさえ、なかなかお目にかかりにくい名前のような気がしないでもない。しかしてその闇斎の一統が、蘇峰の筆にかかれば、
朱子学は、徳川時代において、偶然にも二大派を生じた。一は官学、すなわち徳川幕府の御用学者林家によりて、代表せられるもの。他はいわゆる南学と称する、土佐を発祥の地とし、山崎闇斎により、京都において、唱道せられたる私学である。
この意味においては、熊沢蕃山よりも、山鹿素行よりも、伊藤仁斎・物徂徠などはいうまでもなく、山崎闇斎は実に幕政更革の気運を醸造したる、唯一人たらざるも、第一人といわねばならぬ。
水戸学の淵源が、山崎学にありというは、余りに山崎学の勢力を、買い被りたるにちかい。しかも水戸学は、その発生を山崎学に仮らざるまでも、その発達の、山崎学に負うところ、決して少々ではなかった。而して山崎学も、水戸学によりてはじめてその力を、天下に伸ぶるを得た。
学問上より評価すれば、水戸学とて、さほど高価のものではあるまい。単にこれを科学的分析にかくれば、ほとんど山崎闇斎の一派一流と、多く殊なるところがないようだ。
とのありさま。山崎闇斎の名が藤田東湖以上に知られていないとすれば、片手落ちもはなはだしいということになりそうだ。

これらの思想家の名が今日黙殺されているのは、蘇峰の史観がいわゆる「古臭い」皇国史観にすぎないからだろうか? しかし、それをいうなら、反日歴史教科書の唯物史観もまた十二分以上に「古臭い」うえに端的に支離滅裂な誤謬にすぎないではないか?
そもそも蘇峰の思想や史観というのも真面目に研究しだせばずいぶんと幅の広いものらしく、単なる皇国史観のレッテル貼りで理解できるほど単純とも限らないようでもあるし……
それをさておくとしても、少なくとも、幕末維新へと至る尊皇思想の系譜が、反日歴史教科書よりは、一巻の徳富蘇峰のほうがはるかに理解しやすいことは確からしく思える。

一般に、反日歴史教科書では、幕末に至って急に尊皇思想が「登場」してきたかのような観を呈するが……同時にその淵源は水戸学であり要は光圀であるという。しかして徳川光圀は家康の孫。本家で言うなら三代家光と同世代。幕末どころの騒ぎではない。いったい反日史家の時間感覚はどうなっているのか。タイムスキップしすぎではないか。
その点、本書に関していえば、熊沢蕃山も山鹿素行も山崎闇斎も、光圀と同じかそれより少々前の時代の人物。素行没後の忠臣蔵でさえ、五代将軍綱吉の時代。全十五代の将軍家の歴史からすればまだまだ三分の一でしかない。
つまるところ上の目次で蘇峰が取り扱っている範囲は、徳川時代「初期」なのだ。そこで醸成された国体観念が途切れることなく幕末へとつながっていく……というなら、反日史観に比べて、よほどすんなり理解できる話ではないか。

幕末の尊皇思想は、何も幕末に急に現れたわけではない。幕政の初期からその水脈は延々と連なっている。その脈絡を隠蔽して、歴史の何がわかるのか?
反日歴史教科書だけではない、表面上、それに異を唱える自称愛国者の側も、これは注意すべきことのように思える。

自称愛国者は、やたら「古事記」が好きで、本居宣長を崇拝する。それ自体は決して悪いことではないが、こちらなどで見たごとく、宣長自身の政治思想は漸進的で穏健なものだ。後世のエキセントリックな自称門人が過激化することはあったとしても、やはり、多くの志士の過激な行動に直接的な影響を与えた思想的バックボーンとしては儒教系の思想・信仰のほうが大きかったのではないだろうか。
そう思えば、本書には、古事記ダイスキ自称愛国者様がなかなか教えてくれない興味深いトピックが記載されていた。
而して同時に後陽成天皇が、『日本書紀』の神代の巻を、勅諚もて刊行せしめ給うたるがごときも、聖慮のほど恐察するに難くない。そは当時の碩学清原國賢が、その跋文において、

『日本書紀』は、歴代の古史なり。元正天皇養老年中、一品舎人親王・太朝臣安麻呂、勅を奉じて之を撰す。吾が朝の撰書奏覧に迄ぶ、是れを以て権與となすものか。君臣共に以て此の書を窮めざるなし。

といい、いかに『日本書紀』が日本において大切なる書であるかを、言明している。
第107代後陽成天皇は1571年12月31日(元亀2年12月15日)降誕、1617年9月25日(元和3年8月26日)崩御。安土桃山時代から江戸時代にかけて在位あそばした天皇。要するに江戸時代最初の天皇であらせられ。
その時代からすでに「日本書紀」特に神代の巻が勅諚を以て刊行され、当代の学者たち(江戸時代のそれはつまりほぼ儒学者なわけだが)に読まれ、研究されているという。
かく明白な史実があるのなら、「古事記と国学」と同様かそれ以上に、「日本書紀と儒学」が徳川の最初期から幕末まで一貫して「尊皇思想」の形成にあずかって力あった可能性を、考えてみるべきではないか?
そういえば時代を下って幕末。垂加神道が幕府に弾圧された宝暦事件や明和事件も、やり玉にあがったのは古事記ではなく日本書紀だった。

ちなみに江戸時代初期の天皇というと、自称愛国者は、紫衣事件と明正天皇への譲位で有名な後水尾天皇を挙げる人が多い気がするが……後陽成天皇こそはその後水尾天皇の御父帝。この父帝なかりせば、はたして後水尾天皇のご活躍もあったかなかったか? その点に触れないのも、いささか片手落ちかもしれない。
(さらに付け加えるなら、後陽成天皇ご自身、先代正親町天皇の御孫。正親町天皇ともうしあげればこちらなどで触れたように、足利、織田、豊臣を向こうに回して屈したまわなかった傑物でもあらせられる。自称愛国者が「天皇の日本史」をしばしば口にするのなら、もっと注目されてもよい気はする)

むろん、本書はあくまで蘇峰の史観に基づいて書かれた一書であって。そのすべてが妥当であるかどうかは慎重に評価すべきことではあるが。
日本を「取り戻」せというのなら、反日捏造史観によって、捨て去られ、黙殺されてきた「古臭い」歴史観を、もう一度、検討しなおしてみること自体は不可欠であるようには思える今日この頃ではある。

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posted by 蘇芳 at 17:04| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする