2018年10月30日

松陰語録


さすが松陰先生。たまにイイコトを言う。
テロリストとしては無能だったけれど。

経書を読むの第一義は聖賢に阿らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば道明らかならず。学ぶとも益なくして害あり。
「講孟余話」
漢字で書かれるとアレですが「阿る」は「おもねる」ですね。阿諛追従の「阿」です。「経書」は四書五経の類。儒教の聖典みたいなものですが。だからといって、オモネった読み方をするな? イエスマンになるな信者になるな鵜呑みするな咀嚼せよ。とでも言えばよいでしょうか。
まあ、そもそも大本の孔子サマがすでに「学びて思はざれば」云々といっていた気もしますが、そうした当たり前の基本というのは、教義化していけばいくほど形骸化していくのが世の常。
日本が、すでに飛鳥の昔から易姓革命の支那思想を学んでいながら、しかし決して儒「教」に陥らず、辛うじて儒「学」に踏みとどまった……とすれば、こうした「当たり前の基本」≒学問的な態度を持続しえたからかもしれません?
林派の官学でない、民間私学ならなおさらのこと。
ひるがえって現代。
二二六とかミシマレッシとかそれこそ松陰センセーとか……安易な「教祖」をでっちあげてカルト化しないように、現代の国士サマ方も注意していただきたいところかもしれません。

今日の事誠に急なり。然れども天下は大物なり、一朝奮激の能く動かす所に非ず、其れ唯だ積誠之を動かし、然る後動くあるのみ。
「幽室文稿」入江杉蔵宛書簡
あの高杉にまで「危ないからヤメロ」と言われた軽挙の人がどの口で言ってんだという気がしないでもないですが……
直情的に軽挙妄動してもかえって百害あって一利ないのは、今も昔も同じかもしれません。
「情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排儕互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む」とおおせになったのは畏れ多くも昭和帝ですが。(終戦の詔書
その昭和天皇をして激怒せしめた「叛徒」を浪漫的な思考停止で美化しすぎるのは云々。最近こればかり言っている気もしますが。
日本のみならず国際的にも戦後レジームの曲がり角かもしれない正念場。ならばこそ思案のしどころ、よくよく軽挙を慎むべきかもしれません。われわれネット弁慶は特にですね。。
Wikipedia:エコーチェンバー現象フィルターバブルファクトイドガスライティングダブルスピークetc
(もちろん、オールド・フェイク・メディアがアレなのは大前提にしたうえでの話ですが)

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講孟余話 ほか (中公クラシックス)
[新釈]講孟余話
幽室文稿
吉田松陰書簡集 (岩波文庫 青 21-2)
語り継ごう 日本の思想
ラベル:江戸時代 儒教
posted by 蘇芳 at 14:52| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする