2018年10月26日

【読書】「大東亜戦争詩文集 (近代浪漫派文庫)」


先だってのこちらのついでに、同じ新学社の近代浪漫派文庫を一、二冊購入。その一冊。
Amazon:大東亜戦争詩文集 (近代浪漫派文庫) https://amzn.to/2Sjj0Kc
楽天ブックス:大東亜戦争詩文集 (新学社近代浪漫派文庫) [ 田中克己 ]
大東亜戦争の戦陣に散華された英霊や、戦後の復讐裁判で殺害された殉難者の「遺稿集」というのは、戦後いくつも出版されているが。詩歌の類だけをこれほど大量に集めた集というのは珍しいのではないか。

前半と後半の二部に分かれているが、その前半「大東亜戦争殉難遺詠集」の序文で保田与重郎が次のように書いている。
 この本は、声高にわめき叫んで世にひろめる本でなく、しづかに黙して人に手渡すべき本である。人がこれを手にうけて読み始め、感動に心うたれ、止む時のない本である。醇乎とした誠心が、絶対境で歌はれてゐるからである。文芸の巧拙の技は一時の流行のものにて、誠心絶対境の詩文は、永遠不易であるとの理を示すものである。
これはこれでもっともなので、私も「声高」に喧伝しようとは思わないし、感想の押し売りもしたくはないが。
ただしこれはあくまで「大東亜戦争殉難遺詠集」の序文。
本書後半には五人の作者の歌集・詩集から作品が抄録されていて、そちらについては序跋・解説の類が何もない。五人それぞれに極々至極簡略な略歴が載っていないこともないが、予備知識のない読者にはまったく要をえないのではないかとも思えるので、私自身付け焼刃だが、いくつか補足的な情報だけ指摘しておきたい。


・前半:大東亜戦争殉難遺詠集

昭和50年、保田与重郎たちの発起で編纂された「無名戦士遺詠抄」(六百首)。
刊行準備中に全国から陸続と新たな遺詠が寄せられ、その数五百余首。
旧に倍増した千百余首をあらためて一巻にまとめた増補新版として、翌昭和51年に刊行されたのが、「大東亜戦争殉難遺詠集」。

もともとは「無名戦士」とのことだし、階級も出自もまちまちなのは確かだが。さりとて「有名」人を排除しているわけでもなく、山本五十六、宇垣纏、栗林忠道、松尾敬宇、牛島満、長勇、大田実、阿南惟幾、近衛文麿、東條英機、板垣征四郎、などなど……最終的には相当な著名人の遺詠も含まれているようだ。
ちなみに蓮田善明の短歌も複数収録されているし、折口春洋(折口信夫の養子)、阿南惟晟(惟幾の次男)、谷寿夫(「機密日露戦史」)などは、知る人ぞ知る。朝鮮出身者・台湾出身者も各一名は含まれていたかと思う。
まさしく臣民慟哭の一大歌集というにふさわしくはあるかもしれない。

全編は三部構成。
イ、「桜花集」=出身地が明らかな戦没者を地方別・府県別、五十音に配列
ロ、「富嶽集」=出身地が不明な戦没者を五十音順に配列
ハ、「松籟集」=終戦および戦後の自決者・刑死者を地方別・府県別、五十音順に配列

イ、ロ、は壮烈悲壮には違いないが、その後の敗戦を知らぬだけ、屈折がないストレートな歌が多いようには思う。
しかし一方、ハ、は死処を得られなかったうえに「戦犯」の汚名などもあって、より屈折した内容の歌が散見されるかもしれない。
一切牽強付会全くの捏造なり。之が敗戦国民の負ふべき責任とは断ずる能はず。軍人は命を惜むものに非ざるも斯る犬死すべきものには非ざるべし。
今回戦争責任者として指名されしこと光栄なり、さりながら勝者の裁きにより責任の所在軽重を決せられんことは、臣子の分として堪得ざる所なり、皇国国体の本義に則り茲に自決す。
若シ此ノ裁判ハ「正義ノ為」ト言ハズシテ報復ト呼称セバ本職ハ死刑ニサレテモ何ヲカ言ハム。
また、このハ「松籟集」には、大東塾、明朗会、尊攘義軍など、戦後、集団自決事件を起こした、いわゆる民間右翼の遺詠も数多く収録されている。
Wikipedia:
大東塾
明朗会
愛宕山事件
彼らの主義主張や行為については人それぞれ評価すればよいが、復讐裁判で殺害された殉難者や、政・軍の要路にあった責任からの自決者などとは、その死の背景や動機がいささか趣を異にしていることは、把握しておくべきかもしれないし、本書編集の中心人物だった保田与重郎が多かれ少なかれそれら思想団体関係者と交流を持っていたことも、本書の編集方針を理解する上から、知っておいたほうがよいかもしれない。
Wikipedia:保田與重郎
そして、この保田与重郎的な人脈が、本書後半の五人の歌人・詩人のチョイスにも、微妙に関係しているかもしれないことは、(序跋・解説の類がない分、余計に)、押さえておいたほうがよいかもしれない。
(言い忘れたが、そもそも本書の刊行元、新学社は、保田与重郎が中心になって設立した会社。児童向け学習誌「月間ポピー」で有名。※新学社:会社沿革


・後半:

戦前から歌人・詩人として活動していた著者五人の歌集・詩集からの抄録。
一本だけエッセイ(山川弘至「詩人の責務について」)も収録されている。
出版社から提供されている各著者の略歴は以下のとおり簡略なものだが。
三浦義一
明治31年、大分県に生れる。早大に学ぶ前後から短歌に親しみ、一時北原白秋の門に在った後、国事に奔命の間も作歌を廃さず、昭和28年「悲天」刊。同46年没

影山正治
明治43年、愛知県に生れる。早く始めた作歌を、国学院大学卒業後、囚われた獄中で再開し、大東塾を率いる活動のなかで、昭和16年「みたみわれ」刊。同54年自決

田中克己
明治44年、大阪府に生れる。大阪高校時代に保田与重郎らと炫火短歌会を興し、東京帝大入学後は「コギト」に拠り、昭和13年に第一詩集「西康省」刊。平成4年歿

増田晃
大正4年、東京府に生れる。東京帝大の法学部に入学後、中心となって創刊した「狼煙」に詩作を発表し、昭和16年に刊行の「白鳥」で詩壇の注目を浴びた。同18年戦没

山川弘至
大正5年、岐阜県に生れる。折口信夫に師事した国学院大在学中から、詩歌、評論に頭角を現し、昭和18年には詩集「ふるくに」他二著の刊行をみるも、同20年戦没
五人のうち二人までは(三浦義一、影山正治)、上で集団自決事件を起こしたと書いた大東塾の関係者、というか中心的人物であるし、田中克己は保田与重郎と同窓の友人であるらしい。
活動家としての顔を漂白して、歌人・詩人としてだけ紹介するのは、片手落ちというものではなかろうか。

もちろん、それぞれの生きざまや主義主張や行為については、上でも言った通り、人それぞれ評価すればよいが。
そのためには、基礎的な事項について、予備知識を持っておいたほうがよいのではないか。
Wikipedia:
三浦義一
影山正治
田中克己 (詩人)
山川弘至
心朽窩 新館:増田晃詩集 白鳥
いずれ大東亜戦争を語るに政治的バイアスを完全排除することなどできようはずもないのだから、いっそ、どのような方向性のバイアスなのかハッキリさせておいたほうがスッキリするというものだ。

特に影山正治などは「大東塾を率い」て政治活動に力を入れ、要人暗殺を計画、露見して、検挙されたこともある。
二二六事件の青年将校や、永田鉄山惨殺の相沢三郎などを称賛し、血盟団事件の関係者を「十年の同志」と呼び、大陸満蒙に思いをはせるアジア主義者でもあるのだろうか。戦後も節を全うしただけ、熱い漢ではあったのだろうが、それでも、影山の政治的見識には、現代の目で見ればいろいろツッコミたくなる部分もあるかもしれない。

一方、田中克己は、本書収録の詩作において、かなり愛国的な筆致で時局を歌いあげておきながら、wikiによれば、
敗戦により皇国史観を捨て1962年キリスト教(プロテスタント)に改宗
したうえで、平成4年まで長生したとか。
人それぞれ事情はあろう、よく知りもせず変節などと責めるつもりもないが、事実は事実として、知っておいてもよいだろう。

詩は詩であって、政治と無関係に読んでくれ、というのも一つの意見ではあるかもしれないが……
しかし、影山正治などは、テロまで企て検挙されるほどに本気で政治活動を行っていたのではないのか。そうした政治思想≒信念と無縁な言霊などありうるのか、これら詩作はそんな気の抜けた抜け殻なのか、と反問することは許されるべきだろう。
(そもそも三十一文字しかない短歌。背景事情があかされなければサッパリ意味がワカランことも多々ある)

彼らの「浪漫」的な時局の語り方が、純真な青年たちに大きな影響を与えた。
結果、現実政治的に有効な手立てから、かえって日本を遠ざけてしまった可能性もないではない気もするからなおさらだ。
(彼らに限らず、たとえば影山が称賛する二二六の青年将校なども、高橋是清を殺して不況を再来させたあげく統制派の天下をもたらした。彼らの行為の顛末は、情緒的に悲憤するだけでなく、インテリジェンス的に分析すべきだろう。それができないのであれば、それこそ、日本「浪漫」派の限界と言われても仕方ないような気がする)

五人の著者のうち、若い二人(大正生まれ)増田晃と山川弘至は、戦陣に散った。
増田晃は、
われは常に報酬を求めざるものを愛す、そは自らよりも自らの純潔を愛するが故なり。
われは常に掘下げざるものを愛す、掘下ぐるものはその穴の底に全身の自由を失ふが故なり。
われは常に規定せざるものを愛す、そは溢れ泡立つ春の土壌と共なればなり。
と叫ぶように歌い、山川弘至もまた「詩人の責務」について痛々しいほどに気負い立って絶叫する。
その「純潔」は愛するに値するだろう。しかし、「報酬」も「掘下げ」も「規定」も放棄してただ「純潔」に、「純潔」のみに視野を狭窄させざるをえないほどの時局に若者たちを追い立てていった、政・軍の先導者たちの責任や如何?
現実の政治・軍事・外交が、「報酬」も「掘下げ」も「規定」も放棄して成り立つものか?

「大東亜戦争殉難遺詠集」に、京都上賀茂神社宮司の息子なる矢野哲郎少佐(昭和19年12月7日、海軍特別攻撃隊神風神武第五桜井隊隊長として比島沖アルベラ西方海上の敵艦隊を攻撃、「ワレ空母ニ突入ス」と打電して消息を絶つ。享年二十五歳)の次の一首が収録されている。
みいくさの果てしなければわが命この戦に死ぬべかりけり
少佐の尽忠、壮烈無比の散華には、ただただ深謝し追悼の誠を捧げるしかないが。
しかし、「果てしな」い「みいくさ」とはいったい何であろうか。浪漫的な言葉のあやでもあろうか。
が、現実政治的に言ってしまえば、大東亜戦争に、終わらせ方の見込みもない無計画な戦争、という側面があったことは、否定のしようもないだろう。大東亜戦争どころか、そもそも支那事変の時点ですでに、尾崎秀実らの狙い通りの「果てしな」い泥沼に引きずりこまれていたことは、今さら言うまでもなかろう。(※【動画】近衛文麿は共産主義者だった 内引用文参照)
そんな野放図な戦争に引きずりこまれている時点で、国家としては歯車が狂っている。
そんな、「果てしな」い戦争に、「報酬(国益)」も「掘下げ(分析)」も「規定(理解)」も不十分なまま突入した、政・軍の指導者の責任を、浪漫的な詩情のなかに見失うことは、あってはならないようにも思うのだが……

詩集・歌集を前にしては、所詮、言うだけ野暮というものだろうか?

いずれにせよ、先人たちの情熱も悲哀も尽忠も錯誤もすべて含めて大東亜戦争をめぐる民族の歴史の一コマと俯瞰するならば、この後半の五人の詩歌集もまた、それはそれで「大東亜戦争詩文集」の面目ではあるのかもしれないが……彼らの激しく情緒的な言葉の熱量に巻きこまれず、そうした「俯瞰」を可能にするためにも、事実関係について押さえたうえで目を通すべきではないかとは思える後半ではあった。

Amazon:大東亜戦争詩文集 (近代浪漫派文庫) https://amzn.to/2Sjj0Kc
楽天ブックス:大東亜戦争詩文集 (新学社近代浪漫派文庫) [ 田中克己 ]
ラベル:大東亜戦争
posted by 蘇芳 at 22:06|  L 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする