2018年10月24日

世のつねのけむりならぬ


漱石の「草枕」というと冒頭の一、二行だけが有名で、あげく意味もわからないまま「非人情」のレッテルを貼って片づけられてしまいがちかもしれないが。
単に俗世を離れて仙境に遊ばんとする軽妙洒脱の戯作というだけではない。実は戦争文学でもあったりする。

背景になっているのは日露戦争。
そもそも俗世を離れたくなるのはそれだけ俗世が過酷だからだろう。現実が愉楽に満ちた理想境なら現実逃避する必要もない。
そういう意味では画工は現実を忘れているのではなく、懸命に忘れようと努めているのであるし、それでも戦争という現実は追いかけてくる。「草枕」全編の終幕は、逗留先の温泉宿の近親の青年が出征していく場面である。

ちなみに「草枕」の発表は明治39年。
日露戦争終結の翌年でもある。
もしも日本が負けて終わっていれば今のような暢気なイメージの「草枕」はありえただろうか?
時流と無縁な高踏派どころの騒ぎではない。

余裕派だか超然派だか知らないが、東西文明のはざまでノイローゼにまでなった帝大出の俊英が、日露戦争に無関心でいられるはずもない。そういえば「三四郎」にも、日本は「(日露戦争に勝ったので)亡びるね」などとのたまう場面がある。リアルタイムの読者には、それこそ余裕ぶって斜に構えているだけのように見えたかもしれないが、日露戦争をピークに明治の元勲が姿を消し、受験秀才の官僚エリートが幅を利かせるようになっていったその後の祖国の転落を知っている後世からは、予言的に聞こえなくもない言葉だ。

なんでいきなり漱石などを語りだしたかというと。
先日こちらで名を知った蓮田善明。
新学社刊「蓮田善明/伊東静雄 (近代浪漫派文庫) https://amzn.to/2Sf9kk6」を落手したので一読してみたところ。
なぜだかやけに「草枕」と「二百十日」を思い出した次第。

前掲書の蓮田善明パートには、
「有心(今ものがたり)」
「森鷗外」
「養生の文学」
「雲の意匠」
が収録されている。
このうち唯一の小説「有心(今ものがたり)」が分量的にももっとも多く、全体の中心を成している。
あとの3編はいずれもエッセイだが、「養生」にしても「雲」にしても、「有心」のライトモチーフとかかわっている(あるいはそのもの)と言ってよいかもしれない。そういう意味で選択的に収録してあるのだろうか。

「有心(今ものがたり)」は、戦地から一時帰国した青年が、銃後の生活になじめないものを感じ、「方丈記」などに誘われて、阿蘇山麓の温泉旅館に「遁世」する。そこでリルケなど読みふけりながら、多分に下世話な俗気も含みつつその分同時にしぶとくたくましく健康でもある銃後の田舎の浴客たちの生態を、異邦人というか隠遁者のような目で観察する。(そういう行為が、戦場シンドロームのある種リハビリのように作用するのだろうか。決して格調が高くも高潔でもない文字通り裸の日本を軍人は死を賭して守るわけだが。崇高なる国体の観念はこうした身も蓋もない下世話な「おほみたから」の生活の内実とどう調和するのか。それは確かに当時の軍人にとって生死の問題でありえただろうか)

全編のトーンは「草枕」よりはるかに深刻だが、舞台も同じく湯治場であるし、戦争を背景にした出世間の物語という意味では外形的には似ていなくもない。戦争という現実が、(他の湯治客のもとへの戦死の報せという形で)、追いかけてくるのも、お約束といえばお約束かもしれないが、共通している。(もちろん漱石の画工とは違って主人公自身が戦地に戦友を残している身でもあるし、いずれ再び戦地へ向かう身でもあるだけ、切実さは比較にならないが)

加えて、漱石は「草枕」の同年明治39年に、立て続けに「二百十日」を発表。ウソかマコトか、文芸史的には、浮世離れの詩興に遊ぶことの限界を悟ってもっと真剣に現実と切り結ぶ方向を目指し始めた転機だとか何だとか……ヒョーロンカや解説子の言うことなどいずれ話半分だが、これ以降、漱石が戯作的な作風に別れを告げて本格的な「近代小説」を書き始めたことは、事実といえば事実らしい。
だとすると「二百十日」というのも「草枕」の返歌のような小品ということになるが、その終幕で、二人の登場人物が望見し、登ろうと話し合うのが阿蘇の山である。
「そこでともかく阿蘇へ登ろう」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」
二人の頭上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。
これも「有心」を読んで思い出した情景だ。
なんとなれば「有心」の終盤、前述の戦死の報せの翌日、主人公が登るのもやはり阿蘇の火口を目指してであり、外形的には、やはり、明治39年の漱石の作品世界に近似していると言って言えないこともない。
 丘陵帯を越えきると、左手に皿の底のやうに浅く凹んだ平つたい美しい草原がずつと拡がつてゐるのが見渡されてくると共に、正面に又も続く凸凹の起伏の彼方に、草原が伸びて迫り上がつて来て、うち見たところ草もなく唯雪の点々とした灰黒色の、盛り上げたやうな傾斜面が、ざつくりと向ふへ落ち込んでゐるその中から、うす気味悪いほどゆつくりと何気なげに雲のやうな煙のかたまりが後から後から湧き上つては風に崩れて東手の山を蔽うて流れてゐるのであつた。それは一見ひどくゆつくりとのどかに却つて静止してゐるかと思はせる位に動きながら、見つめてみると一瞬にして動いてゐる速度と変化は何か激しいものがあつた。

もちろん、漱石云々などというのは、あくまで外形的な類似にすぎないし、単なる座興のコジツケではあるが。
しかし、併収の「雲の意匠」を見るに、蓮田善明自身が、過去の日本の文学・美術にあらわれる「雲」の事例を、いくつも列挙している。そうした、それこそ「外形」的な「意匠」の共通性にこそ、コトバでは曰く言い難い、日本人の古来の精神性を見ることが妥当なのだとしたら……上述のような単なる外形的な類似にも、多少、そのまわりを低徊してみるくらいの興趣はありうるかもしれない。

漱石の登場人物が「草枕」の隠遁を経てこそ「二百十日」の転機に至ったように、「有心」の語り手が一時的なひきこもり体験のあとにこそ何か悟るところがあったらしいこと、その何かが「雲のやうな」阿蘇の噴煙を見る体験に託されているらしいことは、おぼろげに予感できないこともない気はする。
とすれば、何しろ、自己への沈潜を経たうえで、人間的な尺度を越えた自然現象に「悠久」を感じることが、ある種の「脱皮」の契機となるというのは、思わずユング的なイニシエーションの論法で解説してみたくなるような「普遍的」な展開ではあるし、「普遍的」であるならば、相互に無関係な文学作品に類似のモチーフや似通った展開が見られても、不思議はないともいえるだろうか。
それはつまるところ、蓮田善明が「養生」と「雲」を透して見ようとしていたものが、それだけ、当を得た”何か”だったということでもあるかもしれない。

もっとも、最終的に銃後の人に終始する漱石とその主人公とは、蓮田善明とその主人公のその後の運命が、決定的に違っていることは、言うまでもない。
「有心」の主人公は、(蓮田自身がそうだったように)、再応召して戦地へ向かう。当然、戦地での「死」を覚悟というかほとんど自明の前提のようにして出征していったのだろう(蓮田自身の死の運命は案に相違したものにはなったが、執筆時点で予測できるはずもない)。
蓮田が言うように、日本の文学・美術に頻出する「雲の意匠」に、いかにも日本的な死生観が込められているとするならば、「世のつねのけむりならぬとはのけむり」に帰着する「有心」の体験もまた、結局のところ「悠久の大義に生きる」ことをめぐって書かれているというべきなのかもしれない(そう単純に割り切ってしまってよいのかためらいもあるが)。だとしたら、それは観念や論理ではなく、実感を伴う体験でなければ意味がなかったはずではあるだろう(それが「有心」の一見晦渋なわかりにくさのゆえんの一つでもあるだろうか?)

正直、「有心」に見られる(かもしれない)詩的な浪漫的な心象を、論理的散文的に「こうだ」と分析して見せる能力は私にはないが……
戦地へ向かう汽車のなかで、「有心」の原稿にピリオドを打つことができたと喜ぶ語り手の姿勢には、「辞世」とでも言いたいような、万感迫るものが、私のような感性の鈍いものにもおぼろげに感じ取れるような気は、しなくもない。

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草枕・二百十日 (角川文庫)
posted by 蘇芳 at 16:25| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする