2018年10月17日

【動画】三島由紀夫 最後の演説



動画概要:
2017/02/03 に公開
三島由紀夫 最後の演説
昭和45年11月25日市ヶ谷駐屯地にて、最後の演説をして、割腹自決しました。
ヤジと怒号が飛ぶ中、最後の訴えをした三島由紀夫氏です。

三島由紀夫という人は、戦後日本や共産主義など、何かを批判するときは、論理的で分析的で説得力がみなぎっている。
「反革命宣言」や「反革命宣言補注」などは、「空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もっとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来た」という、ネット時代に入っていよいよあからさまに可視化されてきた「かれらの遣口」「方法的欺瞞」を、短い文章の中で見事に剔抉して間然するところがない。

その一方、二二六とか、特攻とか、日本とか、天皇とか…何かを肯定的に語ろうとすると、途端に飛躍的・独断的・情念的・信仰告白的になるのはなぜだろうか。「反革命宣言」にも次の一節がある。
自分自らを歴史の化身とし、歴史の精華をここに具現し、伝統の美的形式を体現し、自らを最後の者とした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとにつづく者あるを信ず」という遺書をのこした。「あとにつづく者あるを信ず」の思想こそ、「よりよき未来社会」の思想に真に論理的に対立するものである。なぜなら、「あとにつづく者」とは、これも亦、自らを最後の者と思い定めた行動者に他ならぬからである。有効性は問題ではない。
他の部分が「論」であるとするなら、この部分だけ急に「詩」ではないか?
三島が「未来」という言葉をかなり限定的な特殊な意味で使っていることには注意を要するが(この言葉の意味については茨木大学における「ティーチ・イン」あたりを読んだほうがわかりやすい気がする)、それにしても特攻とは「こうだ」と決めつける物言いは、特攻の実像というよりは、三島自身の思想・理想の押しつけではないかという疑問なしとしない。(右も左も隊員の言葉を都合よくつまみ食い・切り張りする点では同断だ)

三島自身、本当は、それを知っていたのではないだろうか。

市ヶ谷での彼の「最後の演説」を聞いてみよう。その何が痛ましいといって、「諸君は武士だろう、諸君は武士だろう」というリフレイン(3:07)だ。
それが自衛隊の実像ではないことを三島はとうに知っている。起つ奴はいない。「夢」は破れた。つまりそれは「現実」ではない。

三島が肯定的に語ろうとする価値の多くが、現実ではなく「夢」であったとするなら、説明も了解も最初から問題ではない。「夢」はただ「見る」だけのものだ。他者に対しては、ただその「夢」を「共に」「夢見る」か否か、YESかNOか、それしかない。「諸君は武士だろう」という唐突で没論理的な呼びかけは、俺と同じ「夢」を見てくれという、呼びかけというよりは嘆願であり、言ってしまえばラブコールに聞こえる。そしてその声は予め運命づけられた失恋を先取りして慄えている。

そういえば、三島が思いを寄せる二二六事件の青年将校もまた、三島の作品においては恋い焦がれ「夢見る」存在として造形されていた。
史実における彼らが、農村の窮乏を救えと言いながら、経済を立て直しつつあった高橋是清たちを殺して再び不況を招来したトンチン漢だったことは、客観的な「現実」において、弁明の余地もない事実だろう。彼らは勘違いの「夢」を見ていた。しかし、それが勘違いだったからこそ、その「夢」にもとづく的外れなラブコールに、三島は共鳴したのではないかとさえ、疑いたくなってくる。
「夢」は「現実」に裏切られてはじめて「夢」としての本質を露呈する。むしろ「夢」は裏切られなければ「夢」ではない。裏切られることなく「実現」してしまった「夢」とは何だ? おぞましい「現実」そのものではないか。再び「有効性は問題ではない」

三島の「批判」の多くは鋭く論理的で間然するところがない。その説得力は「かれら」の手口が可視化されるにつれていや増しに増してきた。いわば時代がようやく三島に追いついてきた、と、一応は言えるかもしれない。
一方で、三島の「夢」には違和感を抱き続けるとすれば、それはまだ私が三島に追いついていないという、ただそれだけのことなのだろうか?
三島烈士を正座して熟読すれば、いつか追いつくことができるのだろうか? 追いつきさえすればすべての疑問は氷解して、ある種のネット上の国士サマのように、心置きなく三島烈士を崇拝して安心立命の境地に至ることができるのだろうか? 私自身のボンクラさをわきに置いて、三島の「夢」に「追いつく」こと自体に、本質的な「問題」はない、と、考えてよいだろうか?

正直、信じにくい。

そもそも「武士」とは何か。西南戦争で武士は終わったのではなかったか。にもかかわらず近代の国民道徳としてよみがえってきた「武士道」とは何か。畢竟、新渡戸稲造というキリスト教徒が英語で書いた教義の翻訳・逆輸入に帰着するのではないか。それが「葉隠」と何ほどの関係を持ちうるか。それでもなお自衛隊に(葉隠的な意味で)武士たれと望むことは可能なのか。
三島の発言にしばしば登場する「菊と刀」にしてもそうだ。ベネディクト自身が弟子に「あまり読むな」といったとも伝わる政治宣伝文書を、日本人自身、他でもない三島烈士がどうしてかくまでありがたがらなければならないのか。
それがいわゆる「時代の制約」にすぎないとしても、しかし、ベネディクトだけではない。そもそも、オイゲン・ヘリゲルやラフカディオ・ハーンやアンドレ・マルローや、何ならトニー・マラーノやケント・ギルバートでもよいが、どうして我々は、一々、「外部」から教えてもらわなければ「日本」を把握できないのか。

三島の「夢」はやはり何かを見落として短絡しているような気がしてならない。
「武士」だけではない。「二二六」も「特攻」も、「天皇」さえもそうだとしたら?

「「道義的革命」の論理」において、三島は次のように書く。
それによって、平田流神学から神風連を経て二・二六にいたる精神史的潮流が把握されるので、国体論自体が永遠のザインであり、天皇信仰自体が永遠の現実否定なのである。明治政府による天皇制は、むしろこのような絶対否定的国体論(攘夷)から、天皇を簒奪したものであった。明治憲法的天皇制において、天皇機関説は自明の結論であった。
しかして「現実」においては、天皇機関説こそが発禁され、弾圧され、その弾圧者たちによってこそ、その後の日本の破滅は招来されたのではなかったか。天皇機関説を否定すれば、残るのは上杉慎吉流の天皇主権説だが、その憲法さえ超越する絶対的専制的天皇主権の名においてこそ、天皇の政治利用が無際限に野放図に可能になり、昭和天皇ご自身が述懐されたように、天皇主権論者こそが天皇を「機関」に貶めることになったのではなかったか。機関というより、むしろ「玉」というべきか。天皇が無制限の「権力」を有する絶対者だと仮定すれば、その絶対権力の鶴の一声で、社会主義革命を起こすことさえ可能になる。北一輝などは実際にそれを夢想しなかったか。
天皇大権の発動によりて三年間憲法を停止し両院を解散し全国に戒厳令を布く。

三島は学生たちの前では明確に天皇は「権力」ではないと語り、「文化の象徴ではあられるけれども、政治的責任を負うような立場へ天皇を持ってくることはできないと思いますし、またそれはいわゆる天皇親政ということではないと思いますね」と語るが……天皇機関説的≒明治立憲体制的天皇を、「絶対否定的国体論(攘夷)」からの「簒奪」と見る立場から、なぜ、このような結論が導き出せるのか?

時代が三島に追いついてきたというのが本当なら、肩肘張った闇雲な崇拝ではなく、もっと自然体の「読解」こそがまずは試みられるべきではないだろうか。先走って追い越してしまわないほうがよい。

Amazon:
文化防衛論 (ちくま文庫)
葉隠入門 (新潮文庫)
若きサムライのために (文春文庫)
武士道の逆襲 (講談社現代新書)
ラベル:三島由紀夫
posted by 蘇芳 at 16:13| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする