2018年10月13日

終戦責任



サヨクは昭和天皇の「開戦責任」をでっちあげる。
一方、三島由紀夫が呪詛するものは、(こちらで引用した長谷川氏の指摘が当たっているとすれば)、つまるところ昭和天皇の「終戦責任」ではないだろうか。
(現実的に問われるべきは、そして問われなかったのは、下手な戦争をした政府&軍の「敗戦責任」だと思うが)

最大の功労者は最高の責任者でもありうる。

ポツダム宣言受諾が「御聖断」によって決せられた以上、「終戦」の最終「責任」者が昭和天皇であらせられるということは、論理的には必然であろう。
その「終戦」に異を唱える立場からは、その責任を「追及」すべき「標的」となっても、おかしくはない。

江崎道朗の近著には「保守自由主義者」としての昭和天皇のご決断の意義が、積極的に強調されている。それはよいが、そのなかで強調されているのが「「敵」「味方」で分断せず、すべてを包み込む気高い精神」である。
「終戦を考える者は売国奴だ」として、終戦を考えていた人々、政治家や学者たちを弾圧していた当時の日本政府や軍部は結局のところ、国民を信用していなかったといわざるをえない。だが、昭和天皇は違っていた。天皇が連合国最高司令官に「従属」するとしても、皇室が存続できるかどうかは「要は我国民全体の信念と覚悟の問題であると思ふから、此際先方の申入を受諾してよろしい」と述べられ、国民全体の信念と覚悟を信じておられた。
 近衛上奏文は、明らかに一部の軍人や官僚を「疑い」「敵視」するものであった。しかし、昭和天皇は、そのような角度からは決してご覧になっていなかった。
 当時の軍も政府も、国民をなかなか信用することができず、終戦を口にする人々を弾圧してしまった。近衛元首相らも、軍や右翼の一部は敗戦革命をめざしており、信用できない、彼らは敵だ、と訴えた。もちろん近衛上奏文には重要な意義があり、敗戦革命を警戒する人々を結束させる役割を果たしたが、ある意味で国内の「敵」を名指しするものであった。
 だが、昭和天皇はそれとはまったく違う次元でご覧になっていた。軍人も右翼もすべて一視同仁(差別せず、皆を同じように大切に思うこと)、同じ日本国民であると見ていらっしゃったのである。日本国民を「敵」「味方」で分断するのではなく、すべてを包み込む気高い精神をお示しになった。
敵と味方を区別しない一視同仁。まことにもって気高くあらせられて結構ではあるが。敵と味方を区別しないということはつまるところクソとミソをごちゃ混ぜにすることにもなるのではないか。
それはいわゆる「なあなあ」の「玉虫色」の解決ということに結果せざるをえないのではないか?
「敗戦」を「終戦」と言い換える居心地の悪さ、先の戦争を語る際にあたかもそれが天災か何かででもあったかのように徹底的に「敵」の存在を無視して語る語り口(弾に「当たった」、爆弾が「落ちた」etc)の淵源も、またここに存するのではないか?

陛下の気高さがどうあれ、「敗戦革命」の危機は現実だっただろう。「敵」と思わないことと、「敵」が存在しないことは、イコールなのか?
戦前戦中、政府も軍も、敵味方の識別を間違えはしたかもしれない。しかし、だからといって敵味方の区別が根本的原理的に不必要だということになるだろうか。敵味方識別をしないことではなく、敵味方識別を「正しく」することが、必要なのではないか。そうして国家が内部から蝕まれることを阻止してこそ、陛下に一視同仁していただけるに足る「国民」の内実も確保しうるのではないか?
(戦前はその機能≒インテリジェンスが機能不全を起こしたのかもしれない。だからといってインテリジェンスが不要なのではない。インテリジェンスの立て直しこそが必要ではないのか。にもかかわらず、「敵」の存在しない善意に満ちた国際社会というそれこそ架空ナル観念によって立つ戦後日本は、インテリジェンス機関そのものを持つことさえできずにきた。日本は戦争を「ストップ」させることには成功したが、その成功の仕方自体によって、戦後の「リスタート」を困難にしたのではないか)

もちろん、そんなふうに思うのは、一刻の猶予もない切羽詰まった当時の状況を知らない、喉元すぎた戦後の、いい気な、贅沢な物言いかもしれない。
しかし、喉元過ぎて一息ついたからこそ、落ち着いて当時をふりかえるということも、あってしかるべきだろう。

結局のところ「敵」と「味方」を区別しない一視同仁の「なあなあ」こそが、戦後日本のインテリジェンスを二重に不可能にした呪縛であり桎梏であり、その結果が、「無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色な、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国」の腐った世相のていたらくではないか、と……
三島由紀夫の方法も美学も精神も人格もいかように否定することも可能だしむしろたやすいが、それでもなお、その不健全な精神が、不健全ゆえに感得することができた「直観」には、人をして目を背けることを許さないある種の迫真性があることも、否定できないようには思う。

むろん、長谷川氏のいうことが本当なら、「終戦」にまつわるせっかくのその直観を、三島由紀夫は、ストレートに語ることを回避し、二二六事件や年頭の詔書などアサッテの方向に振り向けてしまう。
ただ、昭和天皇ご自身が自ら述懐あそばされるように、立憲君主として厳しく自己を律せられていた陛下が、自らの意志でもって直接に決断された数少ない機会として、二二六事件の叛徒の鎮圧もまた、終戦の御聖断と並ぶものであったことは事実であろう。そういう意味で、真の標的からずらして呪詛を振り向ける代理の標的、その選択においても、三島は十分に周到であり、見事な直観を働かせているとは言えるのかもしれない。(いたずらに話をヤヤコシクする迷惑な直観だとしても)

江崎氏の三分法、「左翼全体主義者」「右翼全体主義者」「保守自由主義者」というのも、明快すぎて微妙にうさんくさい気がしないでもないが、一応、その図式を受け入れるとすると、昭和天皇をはじめとする「保守自由主義者」は、徹底抗戦を叫ぶ「右翼全体主義者」を抑え込んで終戦を実現した。「右翼全体主義者」は万斛の涙を流して抗戦を断念しある者は潔く自決し、ある者は巣鴨の露と消えた。しかし一方の「左翼全体主義者」はどうだっただろう。朝日新聞に英雄凱旋のごとく迎えられた野坂参三。GHQと長い蜜月を過ごした共産党。戦後の一時期、「左翼全体主義者」はむしろ大いに勝利を謳歌し、「保守自由主義者」はウィロビーたち数少ないGHQ内の保守主義者と連携して、あらためて共通の「敵」と戦わねばならなかったのではなかったか。その成り行きをかつて堪え難きを耐え忍び難きを忍んだ「右翼全体主義者」はどのような思いで見ていただろうか。
今さらフロイトめかした言い方も気恥ずかしいが、やはり「抑圧されたものは回帰する」のだとしたら、左翼暴力革命と奇妙なくらいに相似形の暴力の衝動が、しばしば自称右の愛国者から噴出することにも、「敗戦」の責任を曖昧にした「終戦」のあり方が、やはり、どこか深いところでかかわっているというか、祟っているのだろうか。

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posted by 蘇芳 at 14:59| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする