2018年10月12日

呪詛の標的



大君の辺にこそ死なめと日頃から豪語している自称サムライに、大君が「死ね」とお命じになっても、論理的には何の問題もないだろう。そのときになって狼狽えるなら、所詮、日頃の豪語が似非だっただけの話だ。
そこで神がどうの恋がどうのと同性愛のストーカーのような「美学」を持ちだすのが三島由紀夫だが。そもそも年頭の詔書にとって神格否定など「二の問題」であることは、詔書自体を一読すれば明瞭である。三島にそれがわからぬはずがない、それが証拠に昭和天皇を責めれば責めるほど、語るに落ちてしどろもどろになっていくのが「英霊の声」だと指摘するのは長谷川三千子である(私が誤読していなければ)。
 ところが、あらためてもう一度、よく目を近づけて見なほしてみると、この最後の大合唱の展開には、なにか或るちぐはぐなものが見出されるのである。英霊、神霊の怒りがつのり、外の嵐とともに激しく荒れ狂ふのにつれて、合唱の言葉もますます厳しく、激しくなつてゆく――はずのところで、その逆に、神霊たちの怒りの嵐がつのるのに反比例して、糾弾の言葉の方は、むしろトーンダウンしていつてしまふのである。
 この言葉はすでに、神学的呪詛といふよりは、国家元首の政治的パフォーマンスに注文をつけてゐる、といつた色彩を帯び始めてゐる。さらに、「そを架空、そをいつはりとはゆめ宣はず、/(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)」といふ、妥協的とも言へるやうな言葉のあとに、神霊たちが次のやうに歌ふとき、これはもはや呪詛の言葉ですらない。
 なににせよ事実として、祭祀といふことは今もかはらず天皇陛下のおつとめのもつとも大切な部分であり、いはゆる「人間宣言」などといふものが発せられようが発せられまいが、その根幹の部分に関しては何の変はりもないのである。さうした変らざる代々の天皇のおつとめの姿が、ここにはしつかりと描き出されてゐる。これは呪詛どころか、天皇讃歌とすら言ふべきものであらう。
 したがって、このあとに繰り返される「などてすめろぎは人間となりたまひし」の章句は、ひどくちぐはぐなものとなる。それは、前の言葉にこめられた怒りのエネルギーをになつて爆発する大合唱といふより、むしろ、かうした天皇の実像をうつかり語つてしまつたのを大急ぎで打ち消すために、ことさら大声でうたはれる呪詛の大合唱、といつた趣きをもつのである。
けれども、いまも見てきたとほり、昭和天皇が昭和五十二年の記者会見で述べられたことは、詔書を注意深く読みさへすれば、誰にでも察せられることである。この詔書に「引つかか」り、おそらくはそれを何度も熟読した三島由紀夫が、それに気づかなかつたはずはない。彼はまちがひなく、この詔書において、「神格否定」などといふことが、完全に無力化されて「二の問題」に押し下げられてゐることを見て取つたにちがひないのである。
「英霊の聲」の、終幕にかけての神霊たちの呪詛の言葉が不可解なトーン・ダウンを見せてゐたのも、明らかにその反映と見ることができる。彼らが「人間宣言」をめぐつて、具体的な呪詛の言葉をくり出せばくり出すほど、そこには作者のもつ正確な知識が顔を出してしまふことになる。
私ごときに長谷川氏の論考のすべてを理解できるほどの知能はないが、上の指摘が卓見であることくらいはわかるつもりだし、ここから、あらためて、「しかし、それならば、三島由紀夫自身は、いつたい何に憤つてゐたのだらうか?」と問い直し、「昭和二十年八月十五日正午」のあの瞬間へと展開していく筋道はあざやかであると思う。(イサク奉献というユダヤ‐キリスト教的な回路を経なければならないのは億劫ではあり違和感を感じもするけれども)

大君の辺にこそ死なめと日頃から豪語している自称サムライにとって、もっとも大きな裏切りがありうるとするなら、大君が「死」ではなくむしろ「生きよ」とお命じになることである、と、論理的には言えなくもない。そしてまさに終戦の詔書こそは、堪え難きを耐え忍び難きを忍んで大君が国民に「生きよ」とお命じになった詔書である。この詔書に衝撃を受け茫然自失したのは、何も三島由紀夫一人ではない。本土決戦一億玉砕を本気で信じていた「純粋」な国民の何人かはそのような衝撃を共有したらしくもある(「らしもある」というのは私たち戦後生まれにはそれを確証するすべもないからだが、作家や評論家などその能力のある何人かがその瞬間の経験について書き残している/書き残そうとしていることは事実)。この衝撃、この自失、「あのシーンとした国民の心の一瞬」の本当の意味とは何だったのか。

私ごときに長谷川氏の優れた論考を要約できるわけもないので、詳細は原著にあたってくれとしか言いようがないが。
三島由紀夫が昭和天皇をなじる。その本然の理由がいわゆる「人間宣言」などではなく、実は終戦の詔書の「生きよ」という勅命にこそあるという指摘は、一考に値するものに思える。

三島だけではない。
三島に心酔し、三島を崇拝し、その「精神」をほめたたえる支持者たちも、英霊の「聲」を是認することで、昭和天皇に呪詛を投げつけている。その呪詛の真の標的は、「終戦の詔書」であり、「生きよ」という勅命であり、むしろ「生」そのものでさえあるかもしれない、と、一度は疑ってみるべきかもしれない。三島信者がいかにその「精神」や、その予見の正しさをほめたたえたところで、決して糊塗しきることができない、三島事件の「死」にまといつき、人をしてどうしても嗅ぎつけさせずにはおかないイカガワシサ。その源泉こそ、昭和天皇の健全な大御心に叛逆したてまつる、タナトスに魅了された三島たちの精神の不健全さではないのか?

前回の村田春樹氏の動画を視聴していると、「クーデター」に対するナチュラルな是認が、あまりに自然すぎてともすればそのまま素通りしてしまいそうなほどナチュラルに登場していることに気づかされる。左翼学生の死を政治的立場の懸隔を超えて称賛する森田必勝に至っては、クーデターはもちろんテロをも容認することになるだろう。というか、そもそも明治の昔から「壮士」「国士」というのは、本来、そういうものだ。三島支持者はしばしば彼らの「死」の覚悟ばかりを強調するが、それが同時に他者の「殺害」、殺人・人殺しの覚悟でもあることを、見落としてはなるまい。
それ自体は、思想信条の自由かもしれない。
ただ、彼らを素直に崇拝する現代の三島ファンは、その精神の暴力性を、どれほどリアルに実感しているだろうか。三島も森田も腹まで切るほど本気だった。他人からどう見えるにせよ、本人たちにとっては「遊びではない」のだろう。しかしその「本気」をネット上の安全な場所で三島烈士森田烈士と無邪気にほめたたえる支持者は、どこまで「本気」で受け止めているのだろうか。法を踏みにじる暴力を、ともすれば、流血のリアルとは対極にある、非日常の幻想、お遊び感覚のファンタジーとして、もてあそぶようなことになってはいないだろうか?

おおむね愛国者を自称する三島ファン、特に最近のネット上の三島ファンにとって、「サヨク」「パヨク」の暴力性は非難の的であり、暴力革命の妄想は嘲笑の的でもあるだろう。
しかしその一方で、ウヨクの暴力性、右の暴力革命は、許されるのか?
クーデターやテロや、端的に言って殺人行為は、昭和天皇の大御心を呪詛してまでも成し遂げるべき正義なのか? もしも正義だとして、三島ファンは、自らその手に白刃を握って生きた人間を殺傷する行為を、ゲーム感覚の中二病妄想としてではなく、リアルな現実として想像したうえで、「覚悟」を固めているのだろうか?

三島由紀夫が本当の意味で「引つかか」っていたかもしれない終戦の詔書には、以下の一節もある。
若し夫れ情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排儕互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。
堪え難きを堪え忍び難きを忍び歯を食いしばって陛下の「戒め」を守ろうとすることは、一時の激情の赴くままに暴力に訴え、「大道」や「信義」を踏みにじったあげく、国内に混乱を現出し、かえって他国に乗じる隙を与えるかもしれない「国士」「壮士」の皆サマ方に、そんなにも蔑まれなければならないほど、卑しい、惨めな、愚かな行為だろうか?

二二六事件は日本をしていちはやく不況を脱させしめつつあった重臣たちを殺して不況を再来させ、ために統制経済の幻想にいよいよ深く踏み迷うていく端緒を開いた。
終戦直前、ソ連参戦後に本土決戦を呼号した連中が、意図的無意図的に招来しようとしていた事態が、実質的に「敗戦革命」のそれであったことは、江崎道朗の近著 https://amzn.to/2OlCxLB などが指摘している。
学生運動華やかなりし、つまるところソ連の間接侵略華やかなりし当時に、神がどうの恋がどうのとタナトスの欲情をもってするクーデターが、もしも本当にもっと大規模に実施されていたとしたら、それは実際、どういう「結果」を招いただろう?
美学や思想ではなく、現実政治の行動に訴えるのなら、当然、その「結果」について引き受けるべきだと思うのだが……
そういえば、前回リンクしておいたブログに言わせると、三島事件の「成果」の一つは「新右翼」の誕生であり、その特徴は「反米」であるそうだが……
独立運動家になろう!:中学生のための三島由紀夫入門
実際、楯の会事件に触発されて「新右翼」と呼ばれる政治潮流が生まれています。それまでの右翼が親米的であったのに対し、新右翼は反米的な主張を展開していきます。
米ソ冷戦時代に日本国内で「反米」が勢いづいたというのが本当なら、それは果たして誰にとっての成果なのだろか? ヴェノナ文書公開後の現在、「ソ連製」の現行憲法の問題も含めて、あらためて考えてみてもよい気もする。

最後に、ネット上の三島支持者があまり引用しているのを見たことがない気がしないでもない三島のエッセイの一節を引用してみる。
二二六事件の磯部浅一の言葉を引用している部分である。引用の引用だが……二二六をあれほど美化する三島である。三島自身の本音にも近いと見てもよいのではないか。
 磯部浅一氏の「行動記」は、蹶起の瞬間を次のように述べている。
「村中、香田、余等の参加する丹生部隊は、午前四時二十分出発して、栗原部隊の後尾より赤坂溜池を経て首相官邸の坂を上る。其の時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。いよいよ始まった。秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。勇躍する、歓喜する、感慨たとえんにものなしだ。(同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない、とに角言うに言えぬ程面白い、一度やって見るといい、余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであろう。)」(河野司氏編「二・二六事件」)
 ――この人生至上の面白さには、しかし、あのときの少年たちの心に直観的に宿ったものと、相照応するものがあったのではなかろうか。
三島由紀夫「二・二六事件と私」
これに感動し、共感するなら、それはそれで思想信条の自由ではあるのだろう。

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ラベル:三島由紀夫
posted by 蘇芳 at 16:46| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする