2018年10月10日

フジヤマゲイシャ


私はこれからの日本に対して希望をつなぐことが出来ない。このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日増しに強くする。日本はなくなって、そのかわりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色な、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るであろう…
という三島由紀夫の言葉は有名。その危機感自体には共感を覚えるのも事実。
しかし、決起という「行動」に踏み切ってしまった以上、「動機」の是非だけを問うてよしとしてよいものでもないだろう。(226の青年将校の「純粋」な「動機」が、日本経済を回復させかかっていた高橋是清たちを殺して再び日本を不況のどん底に叩き落とし、叛徒の「汚名」や、皇道派の失脚という「結果」に結びついたこともあったのだ)
その「行動」自体の是非もまた問われざるをえないし、動機も思想も人物も何もかも、その「行動」と無縁なものとして論じるわけにもいかなくなる。

そもそも三島のいう「日本」とはどんな日本なのか。
もっというなら、偉そうに「日本」を語る三島由紀夫とは、どんな日本人なのか。

サドやラディゲやアンファンテリブル、フランス趣味を隠そうともしない三島由紀夫。
ガイジンにもっともわかりやすい日本人作家NO1にあげられることもしばしばな三島由紀夫。
彼が語る「日本」とは何だろう。
それこそ、日本人の顔をしたガイジンの目で「発見」された不思議の国「ニッポン」でさえありうるのではないか?
そういえば死の前年に刊行された三島の著書のタイトルは「若きサムライのためにhttps://amzn.to/2QAjdHc」だったという。
揚げ足取りに聞こえるかもしれないが、三島烈士にとってサムライとは、つまりカタカナ語≒外来語でしかなかったのだろうか?
(実際、ブシドーというのも、新渡戸稲造という近代のキリスト教徒による創作みたいなものかもしれないわけだが。https://amzn.to/2ypajF6

江戸生まれの夏目漱石は、「小説」という西洋近代文学の方法自体に生涯違和感を抱き続けた。
一方、「小説」を所与の形式として軽々と使いこなす三島由紀夫にそんな葛藤はあっただろうか?

江戸生まれの夏目金之助が、西洋文学の圧迫から逃れるために、俳句や南画や漢詩といった江戸文芸の世界に遊んだことは、まことにわかりやすく自然な、ほとんど生理のようなものに思えて納得がいく。
一方、昭和の三島由紀夫がことさらめかして「発見」した「日本」の「伝統」の文学形式がよりにもよって複式夢幻能だというところに、そうした「自然」は感じられるだろうか。わざとらしさを感じるのは私だけか。

誰だったかの講演という、孫引きなうえに、曖昧きわまる出典で恐縮だが、足利将軍に寵愛される観阿弥だか世阿弥だかを指して「乞食の所業の者」と苦々しく吐き捨てるような、当時の日記が残されているそうだ。
天皇皇室を源泉とする日本文化からすれば、中世の河原者を出自とする能は、そもそも周縁的な文化ではなかったか。もちろん、周縁からそのような高度な文化が出現しえたこと自体、天皇という中心があったればこそだとは言えなくもないかもしれないが、いかにももってまわってメンドクサイ。詭弁的な気もする。
第一、興福寺をパトロンとしていた、(どころか、唯識教説のプロパガンダそのものだという説を唱える人もいる。https://amzn.to/2yvBuye)能楽というのも、本質的に、ずいぶんと抹香くさいものだ。
「外来」宗教の受容から生まれた複式夢幻能が、天皇中心の日本文化の伝統の精髄だというのなら、それこそ、守るべき「日本」とはどこにあるのか? 防衛もへったくれもない、外国の影響などジャンジャン受け入れればよいということにすらなりかねないのではないか。

受け入れるべき良い影響と、拒絶すべき悪い影響があるのだろうか(良い影響など存在しない、影響というのはすべからく悪いものだというのは、それこそラディゲを愛したフランス作家のセリフだった気もするが)。
しかし、それではその区別は誰がつけるのか? 日本文化の精髄というものがもしあるとすれば、その「選別」の「手ぶり」のなかにこそ見るべきなのだろうか?
それでは、文化防衛を唱える三島由紀夫の「美学」は、その選別の「手ぶり」として、十分に妥当なものだったろうか?

三島由紀夫が「このまま行ったら日本はなくなってしまうのではないかという感」を誰よりも切実に感じえたのは、三島由紀夫自身が誰よりも日本人らしくない日本人だったから、自分が十分には日本人ではないと思うからこそ日本日本と固執しなければならなかったのではないのか。
ともすればそんな邪推さえしたくなってしまいそうだ。
かく言う私自身、ことあらためて「日本のこころを探」さなければならないほどに「日本」を見失った自覚のある日本人であるからして、他人のふり見てナントヤラだが……

三島由紀夫の英語でのインタビューを聞いていると、(単に英語が達者だという以上に)、日本人らしくなさをこそ感じるのは、私だけだろうか。


ここでの語り口は、むしろ、東洋の不思議の国のエキゾチシズムに魅せられた西洋人のそれに近い気がする、というのが、三島嫌いの私の単なる偏見であればよいのだが……

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ラベル:三島由紀夫
posted by 蘇芳 at 15:30| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする