2018年10月09日

【動画】三島由紀夫が生きた時代【CGS 神谷宗幣 村田春樹 第123-1回】


ChGrandStrategy から。


動画概要:
2018/09/19 に公開
今回の神谷宗幣が訊くは政治活動家の村田春樹さんにお越し頂きました。今回はまず導入としてなぜ今「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」を書いたのか、そして三島由紀夫とはどんな人物だったのか、昔のエピソードを交えてお話し頂きました。

動画で「間接的」に言及されている山口二矢ならまだしも、
Wikipedia:山口二矢 > 関連作品
三島由紀夫が忘れ去られているというのはどこの世界線の話なのかという気がしないでもありません。
三島についてはむしろウンザリするくらいレッシレッシとかまびすしい人たちが勢いづいている気がしないでもないのですが……それはあくまでネットの右の界隈だけなのですかね?

ハッキリ言いますと、個人的に、三島の小説を読んで面白いと思ったことは一度もありません。
今の私には、読むにたえない中二病黒歴史ノートにしか見えません。
「英霊の声」に至っては、社会主義者に踊らされて高橋是清を殺した連中を英霊に祀り上げたあげく、昭和天皇に的外れな悪罵を投げつける内容です。
にもかかわらず、自称国士サマや自称現代のサムライな皆さんからの、三島崇拝・三島人気は止む気配がない。
右寄りの界隈では、ミシマレッシの名前さえうまく利用すれば、それでマウントを取れるかのような、黄門さまの印籠よろしき万能の「権威」と化しているかにすら見えなくもありません。
いったい三島の何がそんなにありがたいのか、何がそんなに人気なのか。
三島自身というよりは、三島ファンの存在こそが、私にとっては大きな「謎」のようにも思えます。
「謎」であれば、解明が必要ですし、実際に三島と会って言葉を交わしたことさえある人たちの証言というのは、とりあえず、踏まえておく必要があるものかもしれません。
……という意味で視聴しておきます。

正直、メンドクサイことを何も考えずに三島烈士を偶像崇拝していられれば、そのほうが楽でしょうし、いっそ宗旨替えさせてもらいたいくらいなのですが。。講演を聞いたら「感動」とか何とか……そこまで期待してもよいのかしら?
腹まで切った人ではあるのですしねぇ……

Amazon:
三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝
三島事件 もう一人の主役──烈士と呼ばれた森田必勝 (WAC BUNKO 229)
わが思想と行動 遺稿集
英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)
若きサムライのために (文春文庫)
行動学入門 (文春文庫)
山口二矢(おとや)供述調書―社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件
コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)



追記:
経験上、言わせてもらえれば、後世の崇拝というのは、迂闊に信用する前に、一応、一度は警戒すべきものです。

経験1:
皇国史観の平泉澄の「少年日本史」なども、復権をはかろうとする人がいるようですが。そこでは、たとえば後鳥羽上皇と北畠親房の両方が口をきわめてほめそやされています。しかして北畠親房の「神皇正統記」を読めば、後鳥羽上皇の悪口が書いてあることはこちらなどで引用した通り。
その二人への崇拝がどういう経路で両立するのか、「少年日本史」自体を読んだだけでは、サッパリわかりませんでした。他にもこの種のチグハグさはいわゆる「皇国史観」の中にまだまだ内包されているかもしれません。サヨクの揚げ足取りに負けないよう、愛国者こそ、そのリファインをはかるべきではないでしょうか。

経験2:
先だって教科書から「聖徳太子」の名前が消える、と右寄りの方々が大騒ぎをしましたが。その右寄りの方々というのは多くの場合、維新の志士を英雄として崇拝してもいるようでした。その維新の志士が必ずといっていいほど読んでいた幕末のベストセラ―が頼山陽の「日本外史」。しばらく前に物故された保守の論客・渡部昇一氏などは、頼山陽の漢詩に即して日本史を解説するシリーズまで書いていらっしゃったほど。https://amzn.to/2QBvTxK
しかしてその頼山陽には「日本政記」という著書もあり、そこには、
我が邦は君臣の義、万国に度越す。而るに西竺の説、これを壊り、これを土灰沙塵に帰して止む。而してその端を開く者は、厩戸・馬子なり。http://amzn.to/2DyWc1r
という一節があることは、当ブログでは何度も引用してきたとおり。諸悪の根源は厩戸なり~、では、教科書問題どころの騒ぎではないでしょう。
天皇親政≒天皇に政治的権力者であることを要求する頼山陽の天皇観自体、君臨すれども統治しない「権威」としての天皇観とは対立するものであり、手放しに称賛できるとはかぎりませんが……原典を読まずに孫引き又聞きでわかった気になってしまえば、このあたりの脈絡が見えてきません。

経験3:
水戸学もまた明治維新の原動力になったとよく言われますが。水戸光圀の仏教嫌いは頼山陽のそれと共通していますし、北畠親房が心酔した渡会神道とも共通しているといえなくもないでしょう。また水戸学の南朝正統論も北畠親房や渡会神道など、南朝方のルサンチマンと相性のよいものだったようにも思います。
ところで、江戸時代の天皇はもちろん、今上の陛下に至るまで、お血筋的には北朝方と言ってよいでしょう。自称愛国者が皇籍復帰を求める(その要求自体は当然ですが)旧皇族十一宮家も、元をただせば北朝第三代崇光天皇のご子孫です。
にもかかわらず、北朝のご子孫である明治・大正・昭和の天皇様方の御代に、「南朝」の「忠臣」&「北朝」の「逆賊」の物語が道徳規範としてさかんに宣伝されたのが、日本の近代。
いったい、北朝のご子孫たる天皇・皇族に向かって、何が悲しくて南朝の正統を力説しなければならないのか? いったいこの「ねじれ」は何なのか? サヨクよりもむしろ右寄りの愛国者こそが問い直すべきではないでしょうか。
 
むろん、歴史上の人物の評価が単純なものでなければならないと決まったものでもないでしょう。
むしろ複雑極まるものであってもよい。
しかし、それならそれで、その複雑さには自覚的であるべきではないかとは思うのです。

後鳥羽上皇と北畠親房は両方エライ、
聖徳太子と頼山陽は両方エライ、
北朝の天皇様と南朝の忠臣は両方エライ、
という判断が成立する論理というのはありうるでしょう。
ついでにいうなら、
三島由紀夫と大江健三郎は両方エライ、
という判断が成立する論理というのも、当然に、ありうるわけです。
(政治を離れた文芸論、技術論もありえますし、まさに政治的にも、サヨクこそが三島を評価するということもありうるでしょう。※Wikipedia:英霊の聲:文壇の反響・同時代評価 , 作品研究・解釈

しかし、論理があるというのなら、その論理について、きちんと説明できなければ嘘でしょう。
貴様はっ、三島烈士の偉さがっ、ワカランのかっ!!とばかり、無駄に威張り散らされても困ります。
まして、他でもない大江健三郎に賞を与えるようなノーベルナントカをありがたがっている場合でもないでしょう。

さらにいうなら、
三島烈士と昭和天皇は両方エライ、などという論理は、「英霊の声」の呪詛を読んだうえで、なお、ありうるのか?
愛国を自称する三島ファンがきちんと答えられないのであれば、あまりに「雑」というものではないでしょうか。

戦後レジーム脱却の掛け声が勇ましくなりつつあるのはよいですが、そのような時代になりつつあるのであれば、なおさら、保守の真贋が厳しく問われなければならなくなってくるでしょう。
「みんな」が褒めているから読んだことはないけれど偉い人なのだろう、などと、鵜呑みにしていてはいつ痛い目を見るか知れたものではありません。


追記2:
話があさっての方向にずれてしまいましたがw
三島の直観の正体については、長谷川三千子「神やぶれたまはず - 昭和二十年八月十五日正午 (中公文庫)」https://amzn.to/2Obg9EK の説明が、今まで読んだうちで、まだしも納得のいくものでした。ただ、それが当たっているとすれば、なおさら、三島烈士を無邪気に崇拝していればそれでよいというわけではなくなるようにも思います。
posted by 蘇芳 at 20:58| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする