2018年09月08日

【動画】牧村健志 「大和の国建国の真実」


牧村健志 から。


動画概要:
2016/07/30 に公開
「よみがえる神武天皇」https://amzn.to/2QeKkYU 出版説明会講演 
2016年7月28日(木) 文京シビックセンター スカイホール

そもそも日本書紀、「捏造」するならもっとうまくやるだろう、という点が多すぎるのですよね。
その上、(前回書いた)纏向遺跡や、稲荷山鉄剣銘、七支刀、などなど。考古資料も記紀の記述を次々裏付けているわけです。
それでもなお、自称歴史学者が、記紀は捏造であり、魏志は真理であるという「大前提」にかたくなに固執するのだとすれば、まったくもって論理的でも学問的でもない、「信仰」的な態度にすぎないというべきではないでしょうか。

そうした反日マルクス教団の「教義」に飽き足らない、普通の人間レベルの向学心や知的探求心の持ち主なら、一度は、牧村さんの研究に耳を傾けてみるべきかと思います。

ただ、「よみがえる神武天皇」は、表題こそ神武天皇ですが、実際には纏向時代以降仁徳天皇の御代までフォローしていますし、内政だけでなく外交についても紐解いてあるなど、内容豊富。20分程度の短い動画ではとうていまとめきれないと思うわけで……
そのためか、今回の動画については、前半はやや編集が粗いというか、話が飛び飛びな印象もないではないかもしれません?
あくまで本番は動画の後半。「土木大王」としての仁徳天皇について。でしょうか。


この夏、豪雨や台風で大阪にもそれなりに被害が出ましたが。「水都」を名乗る大阪は、わりと水害に弱いのかもしれません。それというのも根本的に、大阪というのは全般的に海抜が低い。なんとなれば元は海だったからです。

大阪全体の別称を「ナニワ」といい、幾種類かの表記があてられていますが、そのうちの一つは「浪速」であり、現在も「浪速区」が実在したりもするわけで。
Wikipedia:なにわ
この「浪速」の最古の用例こそ、神武東征。
「海道東征」の第七章にも「浪速の辺に騒ぐ味鳧」「浪速の潮なし遡ると」の描写がありましたね。
船で急流をさかのぼる場面です。
文字通り「浪」が「速」い場所だったのでしょう。

それがなぜ今のような平野になったのかといえば、いわゆる縄文海退や、堆積作用のため、湾口が塞がってしまったことがまず一つ。(これについてはこちらで動画を視聴した長浜浩明氏が、地盤調査・ボーリング調査の結果をもとに、河内平野の歴史を再現。神武東征の実年代特定に挑んでいます)
しかし、湾口が塞がっても、上流からの水流がなくなったわけではありませんから、それだけでは、海が湖や湿地帯に変わるだけのこと。塩分濃度は変化しても、いずれ水浸しであることにかわりはありません。
その大阪が、耕作可能な「平野」≒完全な陸地に生まれ変わったのは、その水を導き、排出する、大規模な土木工事(治水・利水事業)が行われたからに他なりません。
難波の堀江や茨田堤をはじめとする、「書紀」に記された仁徳天皇の御業績こそは、まさにその一大事業ですが……
Wikipedia:難波の堀江茨田堤
春秋2倍歴を考慮することで、この年代も、在位期間も、問題なく同定できるようです。

こうして生みだされた広大な平野。
それすなわち「耕作適地」ということであり、水利事業はつまるところ農業振興に直結します。

「農は国の基」とは崇神天皇の有名な詔ですが……
斎庭の稲穂の神勅を持ちだすまでもなく、瓊瓊杵尊の穀霊としての性格を説明するまでもなく、皇室と稲作・農業は切っても切れない関係。
烏山頭ダムの建設によって広大な農地を出現させた八田與一は、現在もなお、台湾の教科書に載るレベルの「偉人」なわけですが。
大和朝廷というのは、はるか古代から営々と、同じような、農業水利事業を続けてきた。それはわが国の国柄にとって、大きな柱の一つなのかもしれません。

そしてこの大規模土木工事の結果、掘割の掘削などで発生したのが大量の余剰土砂。この土砂を一カ所に集めて捨てた盛り土、それを有効活用したのがいわゆる仁徳天皇陵(をはじめとする前方後円墳)だというのが、牧村氏の仮説。
この場合、墓そのものを目的に国民を動員したわけではなく、あくまで墓自体は副産物。本来の目的は治水・利水、すなわち耕作地の拡大、生産性・生活水準の向上という、経世済民。しかもこの場合、土砂の運搬にはできたての運河が利用できますから、労力的にもさらに省エネ。権力を誇示するために人民に奴隷労働を強いた、という、反日左翼の妄想とは、かなり様相が違ってくるようです。

前方後円墳は、仁徳天皇陵だけではない。日本中あちこちにいくつも作られ、一部は朝鮮半島にも進出していくわけですが。「権力者の墓」がこのような、一種の「ブーム」のように日本中に広まったのは、なぜか? 墓づくりの何がそんなに楽しいのか? 大きな謎というべきでしょう。
しかし、「ブーム」を巻き起こしたのが、墓それ自体ではなく、農業改革・国民生活の向上を目指した、利水・治水事業のほうだったのだとしたら、どうでしょうか? 水浸しの大阪が広大な農地に生まれ変わり、豊かな実りをもたらすのを目の当たりにしたとき、全国各地の有力者が右へ倣えと公共事業熱にとりつかれ、朝廷に教えを請うたとしても、不思議はないように思います。

仁徳天皇陵は周囲を水濠に囲まれ、今もなお満々と水をたたえています。が、あの水はどこから引いてきたというわけでもない。あの場所で自然に湧出しているようです。「水都」大阪、それだけ水っぽい土地だということですが……
その水自体、灌漑用水として利用すべく準備されたものではないか、とも、牧村氏は推測しているようです。
どこまでも農業のため、ひいては国民生活のために、全力を傾注せられた偉大な帝。牧村氏の仮説が正しければ、それが仁徳天皇ということになるようで……
これこそは、階級闘争史観を信仰する反日似非学者はもちろん、民のかまど一辺倒で思考停止する古事記偏重の愛国者サマも、かつて描きだすことのなかった、合理的で整合性のとれた、新しい仁徳天皇像ではないでしょうか。

以下、Amazonのカスタマーレビューから引用。。
個人的には仁徳天皇について述べているところに感銘を受けた。もともとあの仁徳天皇陵のばかばかしい程の
大きさに首をかしげていたからである。なぜこんなものを作ったのか?始皇帝のような狂気の独裁者だったのか?
狂気は大概長続きしないものだが、前方後円墳自体は大和朝廷で延々と作られている。

この本の説明で私の長年の疑問に答が出たのかもしれない。筆者は前方後円墳は水田開発の副産物と見ている
のである。これが本当なら日本の古代史像は大きく見直す必要があるだろう。意味のない土の山を作るのに
民衆が駆り出されたわけではないことになる。
そもそも前方後円墳は何故作られたのでしょうか。左傾学者は「人民をこき使い作らせた圧政の象徴」だの「権力者の権威誇示のため」だの言ってるようです。しかしエジプトのピラミッドは100基ほど、始皇帝陵は1基だけです。5000基もある前方後円墳が作られた理由が権威誇示のためでは説明になってない。何か熱狂的な前方後円墳ブームが日本全国にあって、それは海外にまで飛び火した。そのブームに乗せられて作ったとでもしないと説明がつかない。
牧村氏はこのブームの裏にある背景を、稲作のための池と溝を掘り、地面を平らにする整地を行って出た土を盛ったものと考えています。そしてその水田開発を推進した人物をその盛った土に埋葬する。あくまで目的は水田開発にあります。墓を作ることが目的ではないのです。なるほどと思いました。盛り土をそこら中に作ることが目的ではなく、あくまで生活を豊かにするためです。つまり熱狂的ブームとは水田開発ブームです。水田開発プロジェクトが大型化すればするほど盛り土の量も増える。つまり前方後円墳が巨大化する。4世紀から5世紀へかけて古墳が巨大化するのは水田開発の巨大化とリンクしている。その頂点が土木工事に魅せられた土木大王の陵墓・仁徳天皇陵なんだと考えれば事実かどうかはともかくつじつまは合ってます。水田開発を持って国の基本とするのは、この後の日本の歴史を通じて掲げられる政治目標のほとんど一枚看板。仁徳天皇陵は古代の巨大ダムだったとする説も理に適ってます。陵墓は水田への灌漑のためのダムであり、これによってさらに水田を増やそうとした。こうした躍動する時代の実情を知れば、圧政の象徴だの権威誇示のためだのの見方が、いかにせせこましい被害者意識に囚われたものかが解ります。
日本人必読。というべきではないでしょうか。

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追記:
直接の関係はありませんし、いきなり何を言いだすのかと思われるかもしれませんが……牧村さんの著書の仁徳天皇の土木事業の項を読んだとき、しきりに思い出したのは、上でも言及した八田與一や鳥居信平など、台湾で活躍した水利技術者であり、こちらの動画シリーズで司会者をはじめ台湾の人たちが「日本精神」、特に「維新」の精神を高く評価していたことでした。
台湾が出会った「日本」がすなわち明治日本であり、その精神が「神武肇国」であるとするならば……それこそは「日本書紀」に記録された御歴代天皇の大御心そのものなのかもしれません。
しかるに、(八田與一を教科書に載せて今も称える台湾に比べて)、わが国の教科書における天皇の、「日本書紀」の扱いたるや、何事か?
情けない、ミットモナイ、と思うのは、私だけでしょうか……
posted by 蘇芳 at 20:53| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする