2018年09月07日

【動画】牧村健志 「春秋2倍暦仮説による日本書紀の復原」


牧村健志 から。


動画概要:
2016/09/22 に公開
全国邪馬台国連絡協議会の会員発表会で「春秋2倍暦仮説による日本書紀の復元」を発表しました。(2016/9/19、sun) 大井町きゅりあん、にて 
拙著『よみがえる神武天皇』(PHP研究所)https://amzn.to/2wT192H では、この考えをベースとして日本の古代史を再構築しています。

古代の日本人が一年を春と秋で区別して、半年を「一年」として(一年を「二年」として)数えていたのではないかという仮説の根拠の一つは、他でもない魏志倭人伝の記述なわけですが。
記紀を全否定してチャイナの政治文書を金科玉条のごとく崇拝する自称歴史学者とかいう信者の皆さんが、この(魏志ソースの)仮説を黙殺しつづけているのも、奇妙な話です。

ただ、曲学阿世の反日似非学者は論外の○○だとは思いますが。
実際に春秋2倍歴で記紀の実年代を確定しようとすると、たとえばこちらなどもそうでしたが、ここはこう修正して、ここはこう調整して、ここはこう復元して、ここはこう考慮して……とやたらヤヤコシクなってしまって、せっかくの説得力を自ら減じてしまっている、などという事態も、わりとありがちな気がしないでもありません。

それらの先行研究に比べれば、本書「よみがえる神武天皇」の春秋2倍歴はかなりシンプルで、根拠も明快。画期的にわかりやすく、説得力も高かったように思います。
その結果、纏向の地に都された、崇神・垂仁・景行の三代の天皇の在位期間が、纏向遺跡の存続期間とピタリと一致する、というのは、見事な成果というべきでしょう。

三代の天皇が纏向に都を置かれたと、記紀が明記している、まさにその纏向の地から、まさにその年代にぴたりと一致する、巨大遺跡が発見された。この事実を素直に受け止めるならば、研究者がまず最初に、(作業仮説としてでも)、想定し、検討しなければならない可能性は、そこが「天皇の都」であったことでしかありえないと思うのは、それほど不自然なことではないはずです。
にもかかわらず……
纏向を発掘調査した研究者自身が、非学問的な先入観と政治的志向から、ヒミコヒミコと下らない妄想を垂れ流しているというのが本当だとしたら、救いようがありません。

そう感じるのは必ずしも私だけではないらしく、Amazonの本書のカスタマーレビューには、かなりの長文で熱く語っている人が複数います。中には本書のあらましをかなり詳細に要約してくれている人もいるようで……読者がそれだけ興奮しているということ、本書が読者をそれだけ興奮させるに足る熱量を持っているということは、つまるところ「名著」の証拠のようなものではないでしょうか。
推論の基礎となっている「春秋2倍暦仮説」(古代日本では1年に2回年齢を増やしていたという仮説)は新しいものではなく、現在結構古代史マニアではわりあい広く受け入れられている考え方だ。

しかし、いまだに時代遅れのマルクス史観から脱却できず、古事記日本書紀を前向きに評価しないアカデミズムではこの仮説もまともに取り上げてない。
戦後の古代史学界ではマルクス主義に基づく革命を至上の価値とする左翼系学者が主導権を握りました。そして彼らが根気よく続けた政治運動のひとつが、記紀の徹底的な否定とそれに伴う歴代天皇の教科書などからの追放です。
これは学問的な探究心の結果というより、「天皇制否定」などの政治的情熱に支えられたものでした。
そのため神武天皇、崇神天皇、景行天皇、ヤマトタケル、神功皇后、応神天皇、仁徳天皇といった古代日本に大和の国の国造りを行った本物のスター達が揃って追放されてしまった。倉山満氏曰く「ヒーローのいない歴史」。日本古代史を学ぶと人名が全く出てこない。誰が何をしたのかさっぱり解らない。
この人がいなければ今の日本は無い、という重要人物を国民に故意に教えていないということです。
タテマエは記紀は不確かな伝承で信用できない、年齢が長命すぎるなどもっともらしいこと言って、ホンネは常に歴史の中心に天皇がいた事実が気に入らない。こんな歴史はなくしてしまいたい。その追放した重要人物スター達の穴を埋めているのが卑弥呼です。
卑弥呼といったらほとんどの歴史の教科書で太文字で記されている日本人の固有名詞第一号という名誉ある地位を獲得しています。邪馬台国の関連本も延々と出版され続け、全国各地で我が町が邪馬台国と名乗り出てるそうです。
纒向遺跡のある桜井市が卑弥呼の里と称し一花咲かせようとしてるらしい。第3章を読めば纒向遺跡は崇神・垂仁・景行の3代が纒向に都を置きそこを拠点に勢力拡大したものだと納得がいくはずです。それを卑弥呼の里とは、牧村氏は唖然とする残念な現象と述べているが同感ですね。
纒向で大きい建物が見つかった→よってこれは卑弥呼の館である、など論になってない
ここまでの説明で大和にあったなどという説は荒唐無稽も甚だしいと解りますが、最近は畿内説が優勢らしいです。
どうも纒向発掘のリーダー達が邪馬台国畿内説、纒向説の急先鋒らしい。そのため大きい発見があるたび「卑弥呼の館発見か!」とプレスリリースされマスコミも同調して煽る。情報操作と言われかねない誘導が行われてるということです。古代史研究家の中にはとにかく騒いで自説をゴリ押しし、既成事実化させることを企む輩がいますがまさにそういう連中のようで。彼等の論理は次の通り。1、卑弥呼の館は大きな建物であったはずだ2、纒向で大きな建物の遺構が見つかった3、よってこの建物は卑弥呼の館である就職試験のロジカルテストでこれに○をつければ不採用です。大きな建物=卑弥呼の館など牽強付会としか言いようが無い。
まさかと思う読者も少なくないでしょう。しかし、本書で説明される箸墓を中心とする纒向遺跡の説明(p.227-232)を読めば、また、仁徳天皇の事業についての説明(p.303-325)を読めば、相当の説得力を持つことが理解されるでしょう。

本書を貫く仮説や説明は非常に合理的であり、20年程度前まで力を持っていたマルクス主義の闘争史観に決して流されることのない、強靭な論理で構成されている点は多くの読者の注目するところとなるでしょう。新たな時代にふさわしい、柔軟で説得力ある新たな古代史の試みを体現する稀有な本です。
目の前の事実が見えない/見ようとしない、曲学阿世の左翼研究者は言うまでもなく。さらに嘆かわしいのは、マスゴミの筋金入りの反日や、地方自治体の機会主義でしょうか。
そんななか、学問的な良心と、反証可能性に満ちた根拠ある推論を展開する牧村健志氏の著書は、一服の清涼剤というべきか……
弥呼」だ「馬台国」だ「」だとチャイナ様につけていただいた 蔑 称 をありがたがる愚物どもにウンザリしている向きはもちろん、祖国の「正史」に関心をもつべきすべての日本人にとっても、必読の一冊といってよさそうです。

Amazon:よみがえる神武天皇

楽天ブックス:よみがえる神武天皇 日本書紀の暗号を読み解く [ 牧村健志 ]


追記:
纏向遺跡の発掘調査にあたった研究者が「邪馬台国の候補地・纒向遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) 」をはじめ、思い込みと先入観にまみれた妄想を垂れ流していることは事実のようですが……
一応、「研究者」全般の名誉のために言っておきますと、
同じ纏向を扱っていても、「清水眞一」氏の「最初の巨大古墳・箸墓古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) 」には、
箸墓に関しては、宮内庁指定陵のため一切の発掘が認められていないので推測の域を出ないが、卑弥呼の墓ではないだろうという事と、全長280mという全国11番目の規模とその築造年代(4世紀前後)の古さからいって、間違いなく古代天皇家に繋がる大王の墓であろうと推測している。
という程度の学問的良心は維持されているようですし……
(一方で同じレビューに曰く「ただ、最後のところで前方後円墳の形は、当時、中国で流行っていた神仙思想(西王母/東王父)の影響で東王父の座る壺型土器に由来しており、当時の日本(倭国)は中国の支配下にあったと結論?づけられている(70頁)のは、些か早計に走ると思われる。」だそうで、所詮、その程度の媚中らしくもありますが)
また、「黒田龍二」氏の「纒向から伊勢・出雲へ」は、牧村氏自身も本書の中で言及されているように、波風をたてない書き方ではあるものの、 石野某とはまったく異なる、正当な推論を展開しているのだとか。
そういう意味では、(本来それが当然ではありますが)、研究者の見解も様々。愛国保守の闘士サマから見ると甘いかもしれませんが、学問的良心をカケラも持たないクズばかりではない……と思いたいところではあります。
posted by 蘇芳 at 19:48| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする