2018年08月24日

【動画】神々の島 久高島 平成18年3月28日作成


沖縄県南城市 から。


動画概要:
2011/10/10 に公開
沖縄で最も神聖な島 "久高島" 島人の暮らしや1年間を通して行われる神事の数々を収録しています。

こちらこちらで見たイザイホーは有名ですが、あれはあくまで神女「加入」儀礼であって、つまりある意味スタートライン。神女としての仕事は加入した後から始まるわけで。あたりまえですが、久高島でも年間を通じて様々な祭祀が行われています。
そして、イザイホーが1978年を最後に行われていない≒新しい神女が生まれていない≒後継者が育っていない以上、当たり前ですが、後継者の途絶とともに、その年間祭祀も失われていくのかもしれません。

伝統を「守る」とはどういうことを言うのでしょうか?

実を言うと、1978年の12年後の1990年には、イザイホーが行われる可能性が皆無ではありませんでした。
イザイホーの参加条件は、①島で生まれ、②島で育った女性であることに加え、③島の男性と結婚していること、④結婚後も島に住みつづけていること、だそうですが、1990年当時、この条件を「ほぼ」満たしていた女性が二人だけいたといいます。
しかし、問題はこの「ほぼ」という点であって、「完全に」ではありませんでした。
その二人は間違いなく、島で生まれ、島で育ち、島の男性と結婚した女性たちでした。
しかし、島で暮らしてはいませんでした(上の条件④を満たさない)。

そもそも久高島には高校がなく、就職口もなく、進学・就職とともに島を出ざるをえない現実があったそうで。
生活の軸足を島外に置きながら、島の年間祭祀にも参加するなどという二重生活は、それ自体、非現実的だったでしょう。

それでもイザイホーを行え、というのなら、彼女らの生活を根本から変えることを強いるか、または、イザイホー(ならびに年間祭祀)の条件を大幅に緩和する必要があったでしょう。
前者は基本的人権の侵害ですから論外ですが。後者については、そのようにすべきだとの声もないではなかったようです。
「時代に合わせて」変化してでも、伝統を維持するべきだ、というのは、一見、もっともらしいかもしれません。守るべきは守り、変えるべきは変えて~などと、軽々しく口にする輩は、どこにでも転がっているでしょう。

伝統を維持するために伝統を変える必要がある?
しかし、変わり果ててしまったそれは、それでもまだ伝統と呼べるのか?
何をどこまでなら変えてよいというのか、何をどこまで変えてしまったらすべてが台無しになるのか?

現存する世界最古の統一王朝たるわが国には、「連綿と続く」とされる伝統は、いくつもあるでしょう。
しかし、幾度となくあっただろう消滅の危機を乗り越えて「連綿と続」いてきたという、そのこと自体が、その「伝統」が数々の変化を経験してきたことの証拠のようなものでもあります。

変化してもなお本質を失わなかった伝統もあるでしょう。
変化したからこそ生き延びてきた伝統もあるでしょう。
しかし、同時に、変化≒変質した結果、かえって本質や核心を見失い、継続する意味や理由を失って消滅していった「伝統」もあったのではなかったでしょうか。
(当ブログの守備範囲で言うなら、古代のヒメヒコ制から逸脱を重ね、仏教の影響で就任を忌避されるようにさえなったあげく、律令制の破綻とともに形骸化し、王政復古の藪蛇でかえってトドメをさされた斎宮制度などは、変化によって滅びた伝統の好例かもしれません)

伝統の「何」であれば変えてもよく、「何」であれば絶対に変えてはいけないのか。
簡単に答えの出せる問題ではないでしょうが……
久高島の祭祀につていうならば、琉球「王国」時代に、ノロ制度に組み込まれて、「変化」した歴史はあります。
そのときの「変化」は、(「王国」の強制に逆らえなかったというより以上に)、久高島の祭祀の本質までもは脅かさなかったために、受け入れが可能だったのかもしれません(ノロ制度そのものが、「聞得大君」というヒメを中心に「妹の力」を組織化したもののようですっから、久高島の伝統とも相性が良かったでしょうし、王国側でも聖地久高島には一定以上の敬意を払っていたもののようです)
しかし、その同じ久高島が、1990年のイザイホーについては、その「変化」を、ついに受け入れることなく終わりました。。
 ある種の厳しい条件を付して実施しなかった久高島の神組織とコミュニティーの判断は、祭祀が実態に忠実で、実に純粋であったという証でもあった。
 久高島の神行事と神女組織は、妥協しなかったのである。

その苦渋の決断について、門外漢がさかしらに論評するのも非礼かとは思いますが……
生活から遊離した伝統という名の見世物がわりと豊富なとある関西の街に暮らしている身からすると、こうも思うのです。
久高島の年間祭祀は、生活に密着したもの。その生活自体が(高校進学とともに島を出ざるをえないというほどに)維持できなくなりつつあるのだとすれば。生活を失って祭祀だけを残して、何の意味があるだろう。
人は祭祀のために生きてきたのではなく、生活のために祭祀を営んできたのではないか。それが「常民の文化」とやらではないのか。つまるところ、生活実態のないところに、祭祀の実質もありえないのではないか。
ならば、島の生活実態が大きく変わってしまった時代、イザイホーの伝統を守れ、と、言うのであれば、祭祀のための祭祀ではなく、島の生活・経済基盤から守るなり育てるなりしなければ、所詮は不自然であり無理というものであって、長続きはしないのではないか、と

21世紀を迎えた現在。1990年当時に比べて、「伝統」に対する問題意識が、どのように変化/深化したのか、しなかったのかはよくワカリマセンが……
動画の後半に見られたような(経済的なそれも含めた)取り組みが、島の伝統と未来にとって実りあるものになることを祈りたいところではあります。

Amazon:
イザイホウ
琉球弧の祭祀 - 久高島イザイホー
日本人の魂の原郷 沖縄久高島 (集英社新書)
女が男を守るクニ 久高島の年中行事 (神々の古層)
母たちの神―比嘉康雄写真集
海上の道 (岩波文庫 青 138-6)
沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史
ラベル:沖縄
posted by 蘇芳 at 20:40| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする