2018年08月05日

伊勢物語の虚実


実在の遠山金四郎はあんな人物ではない。したがって「遠山の金さん」には何の価値もないっっ!
実在の徳川光圀はあんな人物ではない。したがって「水戸黄門」には何の価値もないっっ!
実在の徳川吉宗は米将軍である、したがって「暴れん坊将軍」には何の価値もないっっ!
などなどなど……という人は普通は滅多にいないように(いないですよね? 今どきはわかったものではないので困りますが)、フィクションにはフィクションなりに自立的な価値があるでしょう。
とはいえ、それは虚構と現実をしっかり区別したうえでの話。
伊勢物語」に関しては「尊卑分脈」の時点ですでに高階師尚がひどい風評被害を蒙っているように、事実と虚構が混同される時代が長く続きました。フィクションをフィクションとして(現実と混同せず)楽しむためにも、一応、史実についても最低限いくつか確認しておいたほうがよいポイントはあるかもしれません。

こちらなどで取り上げた承和の変。
仁明天皇と藤原良房の利害が一致して起きたであろう政変ですが。
このとき、重要な役を果たした人物に、阿保親王がいます。
以下は学術文庫版「続日本後紀」の現代語訳。
 これより先、弾正尹三品阿保親王が封書を嵯峨太皇太后(橘嘉智子)に上呈した。太后は中納言正三位藤原朝臣良房を御前に呼び、密かに封書を良房に渡し、天皇に奏上した。その封書の内容は次のとおりであった。
  今月十日、伴健岑が来て、「嵯峨太上天皇の死期が近づいて、国家に乱れが起きようとしています。皇太子恒貞親王を奉じて、東国へ向かおうと思います」と語りました。
 封書は長文なので全文を引用することができない。
要するに承和の変のそもそもの発端は阿保親王の密告。つまり阿保親王は良房側に与したということ。事件そのものが藤氏の陰謀であるとすれば、そもそもの始めから結託していたと見ることもできるかもしれません。
元々、阿保親王は、父・平城上皇の起された薬子の変に連座して、大宰府に左遷されていましたが。父上皇の崩後、帰京を許され、その後はとんとん拍子に出世していきます。治部卿・兵部卿・弾正尹を歴任したうえ、上野・上総の太守を兼官。さらには桓武天皇皇女(伊都内親王。ちなみに物凄い財産家)を奥さんに貰うという好待遇。早良親王の記憶も新しい時代、平城上皇の怨霊化を恐れ、未然に防ぐ意味もあったのではないかという説もあるそうですが……いずれにせよ、官位官職はもちろん、皇女殿下との結婚までともなれば、相応の実力者の引きたてがあってのことに間違いはなく。当時の実力者といえば、嵯峨上皇、仁明天皇、檀林皇后、そして藤原冬嗣、良房と、そのあたりに違いなかったはずではないでしょうか。
要するに阿保親王は相当程度、藤原氏とよろしくやっていた。そのことに疑いもないわけですが……
この阿保親王こそ誰あろう、在原業平の父。伊都内親王が在原業平の母。
したがって、元来、業平もまた、父が恩顧をこうむった藤原氏・摂関家に喧嘩を売らねばならない理由などはさらさらない。ということになります。
実際、業平自身、良房~基経の時代に、近衛権中将にまで上り蔵人頭を兼ねているわけですから、しっかりちゃっかり出世しています。藤氏の引き立てあってのことでしょう。しかも、清和天皇の在位期間は天安2年11月7日(858年12月15日) - 貞観18年11月29日(876年12月18日)だそうですが。この貞観年間に、従五位上となり、左兵衛権佐となり、左兵衛佐、左兵衛権少将へと進み、右馬頭となり……と順調に出世コースを歩んだのが業平。兄の行平も同様に順調な官途を歩んでいます。
とするならば、よりにもよって、その良房・基経の秘蔵っ子であり、清和天皇の女御である、二条后・藤原高子と業平の「密通」などという伊勢物語のエピソードが、純然たるフィクション以外のなにものでもありえないこと、論を待たないというべきではないでしょうか。(お后の浮気相手を引きたててとんとん拍子で出世させるなど、どこのNTR趣味のHENTAIだという話になってしまいます)

こちらで書いた通り、二条后の物語に見る、ロミオとジュリエットばりの対立構造は、娯楽作品としては王道的な面白さがありはするでしょうが。裏を返せば、史実とするにはあまりに面白すぎ、できすぎていると、言うべきなのかもしれません。
あえて史実性を云々するなら、こちらで見た、藤氏の春をお祝いする業平、という章段のほうが、はるかに実像に近い姿なのかもしれません(しかも恩讐の彼方とか何とか余計なドラマチックな紆余曲折もなくストレートに)。

かつ、また。密通事件がなかったなら、その結果としての感傷旅行や流罪なども自動的になかったことになり。つまり東下りも純然たるフィクション。
もちろん、密通云々とは関係なく、業平が東国を旅したことはあり、その経験が元になっているという可能性も100%完全には否定しきるのは困難かもしれませんが……しかし、おそらく、そんな核となる事実のカケラさえ、なかった可能性のほうが高いようにも思います。
もとより、和歌文学の世界には「歌枕」の技法があり、実際には行ったことも見たこともない名所の数々を、文学的な約束事(テンプレ)だけでもっともらしく歌いあげていたことは、今さら言うまでもない常識でしょうが。
南北朝時代に書かれたと考えられている「伊勢物語難儀抄」という古注釈書には、次のような一節があるのだとか。
とう宮の御所は四のでんあり。せうやうしや・ひぎやうしや・ごようくわしや・し景舎。此四のでんに、日本国の名所を、みなゑにかゝれたり。かのゑをみて春宮のまへにてつくりたる物語なり。さてこそ、みやこをはなれずと。
まあ、古注釈書というのもいい加減なものは多く、(それこそ伊勢物語のすべてを業平の実伝のように扱う古注釈も多々あり)、この引用を「根拠」と呼ぶのは早計ですが。
それでも、南北朝期にはすでにこういう解釈もあったというのは、注目すべきことには思えます。
何といっても、これが事実とすれば、東下りなどは一種の題詠。京にいながらにして完全な想像だけでこしらえあげた、純然たる絵空事ということになるのですし。しかも、その「ゑ」があったのは「とう宮の御所」であり、東下りとはそもそも「春宮のまへにてつくりたる物語」だというのですから……NTRの張本人(ないしその御子。この時点の東宮は清和天皇なのか陽成天皇なのか?)の前でお后の密通を「事実」として語っていたとすればどれだけ爛れた世界だという話。
結局のところ東下りも、その前段としての密通譚も、絶対にありえないフィクションだと誰もが100%承知の上で、きわどい「ネタ」を楽しんでいたという、万葉集の額田王のような状況だと、考えたほうが筋は通るように思います。

シェイクスピアばりの悲恋物語に酔いたい向きには、ある意味、夢を壊して申し訳ない気もしますが……

二条后がそういうことなら、もう一方のヒロイン、斎宮・恬子内親王やいかに?
言うまでもありませんが、斎宮・斎王というのは、(制度としてどれほど頽落していたとしても)、本来、神聖な存在。
こちらでも書いたように、宮中で天皇に対して行われる元旦の拝賀=朝賀が、天皇の他に、唯一、伊勢の斎王に対して行われていたという記録があるそうですし、「斎宮式」には斎王の近親者の不幸や本人の病気などの凶事によって、例外的に斎王が交代する事態も想定されていたといいます。
恬子内親王と業平の「密通」が事実だったとすれば、業平自身がただですむわけがないことはもちろん、恬子内親王も史実のようには任期を全うできたはずがないのではないでしょうか。
が、実際には、業平は上でも見た通り順風満帆の官途を歩んでいますし、恬子内親王も清和天皇から陽成天皇への代替わりまで、任期をまっとうされています。
ちなみに上で引用した在原業平・小野小町―天才作家の虚像と実像の著者によれば、清和天皇は仏教に深く傾倒され、殺生を忌まれたため、「狩の使」自体が、この御代には派遣されていない。したがって、業平が狩の使いとして伊勢へ下向することもありえない。とのこと。
(清和天皇は即位時点で9歳の幼帝でいらっしゃいましたから……そのころから仏教に「深く傾倒」されていたのか? 傾倒されるようになったのはいつごろからなのか? 時期の問題はあるような気はしますが)
それが事実とすれば、やはり、これも、絶対にありえないフィクションだと誰もが100%承知の上で、きわどい「ネタ」を楽しんでいた……王朝文化の産物と見るべきかもしれません。
ちなみに「斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史 (中公新書)」の著者によれば、恬子内親王は、「九世紀後半以降影が薄くなっていく斎王の、いわば第一号」であり、「今風」に言うなら、「イジリやすかったのである」とも、書いているようです。
不謹慎といえば不謹慎かもしれませんが……
上でも触れた額田王の例もあり。そのフリーダムさが、日本の日本たるゆえんでもあるのかもしれません?

もちろん、何が事実で何が虚構なのか、なおまだ議論はありうるのかもしれませんし、たとえ事実がどうであれ優れた文学作品には「それ自体」としての価値がありうることも間違いないでしょう。
しかし、虚構の価値をはかるにも、真面目な研究であれば、それなりの作法というものはあるでしょう。
伊勢物語はじめ、平安時代の文学作品は、複数の作者たちの手を経て、長い時間の中で、変化しつつ現在の形に落ち着いてきた可能性が否定できないのでもあれば、なおさらです。
・元ネタとなった事実
・初期形態の物語の原著者の意図
・それを増補・改訂・整理等々して成立した現行「初冠本」の意図
少なくとも、それくらいは整理して理解する必要があろうとは思うのです。

Amazon:
伊勢物語―付現代語訳 (角川ソフィア文庫 (SP5))
在原業平・小野小町―天才作家の虚像と実像
在原業平・小野小町(1970年) (日本詩人選〈6〉)
続日本後紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史 (中公新書)


追記:
不謹慎ついでに引用するとすれば、某匿名掲示板界隈では、
アマテラスは引きこもり、紫式部は腐女子、清少納言はブログ女、紀貫之はネカマ、かぐや姫はツンデレ、
聖武天皇は収集ヲタで正倉院はヲタ部屋、後白河法皇は最新流行の追っかけ、秀吉はコスプレじじぃ、
狂言は第一次お笑いブーム、鎌倉末期は新興宗教ブーム、戦国の茶道は萌え喫茶ブーム
江戸期に入るとエ●パロ二次創作がこれでもかってぐらい溢れかえっている。

事の良し悪しは置いといて、日本人は伝統的に変態遺伝子を受け継いでいるのは事実だ。
外国人から指摘されたとしても悪びれる必要はない。堂々と千年変態だと答えればいい。
というコピペが出回っているのだそうで。
その伝で行くならば、皇女殿下でもあり、斎王という一種の巫女でもあり、ついでに惟喬親王の妹でもある恬子内親王は、平安時代きっての「萌えキャラ」。チート主人公がモテまくる伊勢物語は、さしずめ「ラノベ」とでも言っておけばよいのでしょうか?
posted by 蘇芳 at 21:51|  L 「伊勢物語」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする