2018年07月21日

【動画】【日本遺産】「いざ,鎌倉」 ~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~


bunkachannel鎌倉市公式チャンネルから。





動画概要:
1)2017/03/06 に公開

2)2017/05/09 に公開
日本遺産ポータルサイト:「いざ,鎌倉」

戦後レジームがどーの、自虐史観がどーの、歴史戦がどーのという方面からは、意外と、鎌倉時代というのは盲点というか、微妙に関心が薄いような気がしないでもありません。
国民的な関心の高いトピックといえば、それこそ、幕府の成立自体を別にすれば、承久の変と元寇と……他に何かありましたっけ?というか何というか。
逆に言えば、それだけ、よく治まっていた時代でもあったのかもしれませんが。治めていたのは誰だったのかといえば、北条なのですよね。

上の動画に限らず、鎌倉時代といえば、通俗歴史書から反日教科書まで、必ずと言っていいほど「いざ,鎌倉」とかもっともらしい見出しが登場しがちですが……
それでは、当の「鎌倉殿」≒鎌倉幕府の征夷大将軍の名前、普通の日本人は、何人くらい知っているでしょうか? まず3人までがいいところかと。実際には9人ほどいるのですけどね。
Wikipedia:鎌倉将軍一覧
足利でも徳川でも、「最後の将軍」が何代目かくらいは、常識として知られていると思いますが……こと鎌倉将軍に至っては、この「9人」という数字すら知らない人のほうが多いような気がしないでもありません。

だいたい、「いざ,鎌倉」といっても、幕府成立後にそれで盛り上がった最初の大事件は、承久の変ではなかったかと。それこそ実朝暗殺からの幕府乗っ取りがきっかけみたいなものなら、武士たち相手に大演説をぶちあげたのも北条政子。「いざ,鎌倉」と鎌倉武士が駆け付けたのは、鎌倉将軍の元というよりは北条の元へではなかったでしょうか。しかもそうしてノリノリで弓を引いた相手が三上皇というのですからナントモハヤ。
その後も北条の権力確立の過程で、御家人たちが(北条の元へ)駆け付けたこともあったでしょう。
Wikipedia:宝治合戦 、 二月騒動 etc
つまるところ「鎌倉時代」の実態は、むしろ、北条時代というべきような気もするのですが。「いざ,鎌倉」というスローガンや、頼朝のネームバリューのために、かえってその実態が覆い隠されがちなのだとしたら、勿体ないような気はします。

第二次安倍政権成立以降、いさましく「歴史戦」を口にする人は増えてきたようには思いますし、そのこと自体は歓迎すべきことでもあろうとは思いますが……
そうした勇ましい「歴史戦」が、一方で、かえって安直な思考停止に陥らないかどうか。自分も含めて、注意しておきたいところではあります。

Amazon:
日本遺産2 時をつなぐ歴史旅
北条氏と鎌倉幕府 (講談社選書メチエ)
ヴィジュアル版 武家の古都「鎌倉」を歩く(祥伝社新書)
ラベル:「日本遺産」
posted by 蘇芳 at 20:19| 鎌倉時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする