2018年07月05日

【動画】日本遺産~祈る皇女斎王のみやこ 斎宮~10 斎王の森


明和町公式動画 から。


動画概要:
2017/05/08 に公開
平成27年4月 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定されました。この番組では「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を語る上で不可欠な文化財群をご紹介します。第10回目は「斎王の森」です。
明和町ホームページ:
日本遺産認定「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」
ストーリーの構成文化財一覧表

国指定史跡「斎宮跡」は、こちらでも書いた通り、東西約二キロ、南北約一キロにもなんなんとする広大なもの。総面積は約137ヘクタールに及ぶとか。
その中心近くに位置するのが「斎宮の森」、動画で言われている通り、斎王の御殿があったと言い伝えられてきた場所でした。
昭和46年の発掘調査で、斎王の森から西へ約七〇〇メートル離れた(しか離れていない)古里地区から、「蹄脚硯」や「土馬」が出土したとき、研究者はもちろん地元有志がにわかに色めき立ったのも、その伝承を大切に守りつづけてきたからこそだったかもしれません。

従来、斎宮村の共有地であり、地元住民30名の名義で登記登録されていた斎王の森(五三五平方メートル)は、史跡指定に先立つことちょうど20年前の昭和三四年(1959年)、伊勢神宮に寄付されたとのこと。動画にも登場した「斎王宮跡」の石碑と「黒木の鳥居」は、昭和四三年(1968年)、明治維新百年記念事業の一環として、神宮が建てたものだそうです。
その直後(昭和45年(1970年))に降ってわいたのが、件の造成計画だというのですから……地元の憤懣や危機感は想像を絶するものだったかもしれません。
しかしまた、それが長年放置されてきた斎宮跡の大規模発掘調査や、遺跡保存運動の盛り上がりへとつながり、ついには昭和54年(1979年)の史跡指定に結実するというのですから、世の中というもの、なかなかどうして油断できません。大神様や歴代斎王の御霊のお導き…かどうかはワカリマセンが。。

「斎王の森」周辺は、今では斎宮跡の「シンボルゾーン」として親しまれているとのこと。
観光三重:斎王の森の観光スポット情報
斎宮の歴史はもちろん、斎宮を語り伝え、保護に立ち上がり、今も史跡とともに生きる(※史跡内に約600世帯が居住)、地元の心意気にも思いをはせてみたいところかもしれません。
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posted by 蘇芳 at 19:28|  L 斎宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする