明和町公式動画 から。
動画概要:
2017/05/08 に公開
平成27年4月 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定されました。この番組では「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を語る上で不可欠な文化財群をご紹介します。第7回目は「竹川の花園」です。
ゲンキ3ネット:竹川の花園 ~源氏物語に登場する歴史ロマンあふれるスポット~ 明和町竹川
今回の竹川というのもそうですが……
こちらに登場した「大与度社」の有力比定地は「竹大與杼神社」、
こちらに登場した「佐々夫江社」の有力比定地は「竹佐々夫江神社」、
近辺には他に(動画末尾のアクセス情報にも登場した)「竹神社」という神社もあるようですし、移転前の旧跡には「郷社竹神社御跡」の石碑も建っているとか。
◎あちこち神社◎:▼竹神社旧地と小倉神社・祓戸跡▼写真を見るかぎり、別に周囲に竹が生えているということでもなさそうですが。この「竹」というのは何のことかといえば、「三重県多気郡明和町」の元の形ではないかとも言われているようです(他の説もあるかもしれませんが)
アーカイブ:http://archive.li/z22kw
「たき」は元は「たけ」と発音したのであって、表記も「竹」であったと、楠木勝俊&岡田登「倭姫命の御巡幸」にはあるようです。
また、別に竹が多いわけでも竹が名産というわけでもなさそうな一帯がなぜ「竹」と呼ばれるようになったのか、その由来については、上の竹神社の創建由緒に登場する「竹連(たけのむらじ、竹氏という豪族)」が関係しているらしくもあるでしょうか。
この豪族がなぜ「竹」という姓を賜ったのかは謎ですが……
思わず「竹取の翁」を連想したのは私だけでしょうか?
あくまで何の根拠もない連想であり妄想ですが、「竹連」「竹氏」を名乗るからには、何か竹と関係する由来があるのかもしれませんし。「竹取物語」に登場する月の都の行列というのも、言われてみれば、斎王群行のイメージを髣髴とさせなくもないかもしれません。
父母や貴公子たちとの縁を絶ち切って聖なる天上の宮へ~といえば伊勢への下向のイメージかもしれませんし、満期を迎えて月の都に還るということなら帰京のイメージかもしれません。
(ちなみにこちらなどしばしば言及してきたように、伊勢神宮は称徳天皇の一時期を除いて仏教を禁断してきた数少ない神社ですが。神仏習合&末法思想の平安時代には、その伊勢の斎王に選ばれることは、仏教の救いから疎外されるという意味で一種の「悲運」「不幸」と考えられていた……という説もあるそうです。きわどいですが、かぐや姫の「流刑」とも連想はつながらないことはないかもしれません)
まあ、「竹取物語」についてはあくまで当方のコジツケですが……
(もっとも私ごとき独創性のないディレッタントの連想ですから、先人がすでにとっくの昔に通ってきた道である可能性もありますが)
動画でも言及されている通り、「源氏物語」にはそのものズバリの「竹川(竹河)」が登場する挿話もあるようです。
といっても第四十四帖という光源氏死去後のお話なので……いわゆる「須磨帰り」してしまうとたどり着けもしませんがw
Wikipedia:竹河劇中で歌われる催馬楽が、
青空文庫:紫式部 與謝野晶子訳 源氏物語 竹河
>竹河の 橋のつめなるや 橋のつめなるや 花園に はれ 花園に 我をば放てや 我をば放てや 少女伴(めざしたぐ)へてというものであるらしいことは冒頭のリンク先にあるとおりですが、さらに劇中の登場人物たちによって、
竹河のはしうちいでし一節に深き心の底は知りきや
竹河によを更かさじと急ぎしもいかなる節を思ひおかまし
竹河のその夜のことは思ひいづや忍ぶばかりの節はなけれど
流れての頼みむなしき竹河に世はうきものと思ひ知りにきなどの歌が詠まれているようです。
あくまで地名が読み込まれているだけですし、それで物語の展開がどうこうというほどのことでもなさそうではあるのですが……
「梅が枝」だけでもよさそうなものを、わざわざあえて「竹河」が読み込まれた理由については、物語の舞台が冷泉院の後宮であることが、多少は関係している……のでしょうか?
「竹河」帖の本筋にはほとんどかかわってこないものの(「后の宮」として名前だけ登場?)、冷泉院には、新女御(玉鬘の長女)やその叔母である弘徽殿女御(光源氏が生きていた頃のあの方とは別人。為念)のほかに、格上のお后として秋好中宮がいらっしゃることは、一応、思いだしておいてもよいのかもしれません。
秋好中宮。詳しい人には言うまでもないでしょうが、六条御息所の娘で、前斎王。つまるところ、「竹河の花園」を単なる歌枕としてだけではなく、実際にその目で見てきただろうはずの人物です。
だからといって、その方が何をどうなさるというわけでもなく、せっかくの前斎王と「竹河」という取り合わせも消化不良な気がしないでもありませんし、そもそも「竹河」帖自体(無理やり玉鬘を不幸にしてみたり、官名記述に矛盾があったり)別作者説が唱えられるほどいろいろ物議をかもしてもいるそうですが……
Wikipedia:竹河 - 後記説・別作者説物語的にさほど有効に機能しているわけでもないのに、それでも無理やり「竹河」の「花園」を詠み込んだ、そこにはかえって作者の強いコダワリが隠されているとも、言って言えないことはないのかもしれません?
Yahoo!知恵袋:源氏物語第44帖「竹河」の部分について教えてください。
(まあ、梅が枝はもちろん、「花」を詠んだ歌も山ほど登場する帖ですし、あえてというなら、「花園」というのが後宮の華やいだ若い女性たちのことをいうとでも考えれば、その「花園」を余所目に眺めておいでになるのが、斎王というコジツケも…………無理やりですかね💦)
Amazon:
倭姫命の御巡幸
倭姫の旅
新版・竹取物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
源氏物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
源氏物語―付現代語訳 (第8巻) (角川ソフィア文庫)
与謝野晶子の源氏物語〈中〉六条院の四季 (角川ソフィア文庫)