2018年06月24日

【動画】伊勢物語 第百二段・百四段(斎宮後日譚) 追記:第七十段・七十二段・七十三段・七十五段


こちらで書いた通り、第六十九段をはじめとする伊勢の斎宮をめぐる物語群は、「伊勢物語」の構成上の(あくまで「構成」の上からの)転回点・ターニングポイントになっているように思います。
同じ二条の后の物語でも、第六十九段の前(第六十五段)と後(第七十六段)とでは、話の趣がまるで違っていることも、何度か言及した通りですが……
当の第六十九段のヒロイン斎宮(恬子内親王)にも、二つほど後日譚があり、二条の后と同様、やはり、すでになまめいた性愛の物語ではなくなっています。これもまた伊勢物語後半、「翁」の世界への突入を反映した挿話とも言えるかもしれません。



動画は二段収録されていますが、斎宮が登場するのは百二段のほうですね。
最後の一文に「斎宮の宮なり」と明示されています。
とはいえ、出家して尼になっていますから、すでに伊勢から退下したあと。
つまり清和天皇から陽成天皇への譲位の後ということでもあります。

一方の昔男は誰なのか。明確な手がかりもありませんが、唯一、「もと親族なりければ」とありますから、伊勢物語の読者であれば自然に業平のことだと脳内補完してきたのが、読みの伝統というものかもしれません(業平の正妻と恬子内親王が従姉妹)。
史実ではないの何のと揚げ足を取ることは容易すぎて陳腐なくらいですから……実録「風」のフィクションとしての伝統的な「読まれ方」を、まずは押さえておくべきでしょう。

wiki情報で恐縮ですが、恬子内親王の斎王卜定は貞観元年(859年)、伊勢下向が貞観3年(861年)。伊勢からの退下が貞観18年(876年)。だそうですから、だとすれば十五年ほど伊勢に滞在していたことになります。
第六十九段の物語からどれくらいの時間が経過した設定なのかは謎ですが、元より年単位のオーダーではあるでしょう。
しかもそもそも、この二人、こちらの追記で書いたような年の差ですから、百二段の時点では業平は(二条の后の時と同様)やはり当然「翁」となっていなければならないはずでしょう。
(一説には第六十九段の時点で業平はすでに四十一歳という話をどこだったかで読んだ記憶もあります。どういう計算なのかもとより不明ですが、だとしたらその時点で業平はこちらで軽く触れた「四十」をすでにすぎていることになり、それこそ女、女と追いかけまわしているのも「年甲斐」がないという年代になりつつあったということでしょう。伊勢の章段は、やはり、そのことを自覚する契機だったのかもしれません?)

「伊勢」と仏教との関係など、追究しだせばそれだけでキリがないようなトピックもありますが……
それはそれとして別の機会に譲って、今はただ、
そむくとて雲には乗らぬものなれど 世の憂きことぞよそになるてふ
の一首が、(裏の裏の裏を深読みでもすれば何とでも言えるかもしれませんが)、かつての性愛の世界を離れて、「世の憂きこと」が「よそになる」という出家遁世への憧憬を謳うという、老成した季節を迎えていることを確認しておきたいと思います。

まあ、皇族や御公家さんの出家などというものの実態は……とツッコみだせば、きりはありませんがw
花山院のように出家後に愛人を作っておいでだった法皇も珍しくはないでしょうし)

実際、もう一篇の斎宮の後日談、第百四段などは、出家の身で祭り見物になどでかけた内親王を揶揄するような内容ともとれます。


このぶしつけな「男」が何者なのかはそれこそ何の手がかりもありません。業平とは別人であってほしいところですが……
伊勢物語には露骨に田舎者をバカにしたような、現代の感覚からすると眉をひそめたくなる章段も多いですし、元斎宮にそそがれるこうした無遠慮な目線も、平安時代のお貴族様の一つの側面ではあったのかもしれません。
それはそれで「みやびな恋の物語~」とかいう俗説はどこへ行ったという話ではあり、「伊勢物語」の持つ説話集的な幅の広さでもあるのかもしれませんが。

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追記:
余談ですが、伊勢にまつわる挿話を集めた第六十九段~七十五段には、こちらなどで登場した明和町大淀の地名が、何度か登場しています。
第七十段は大淀が舞台になっていますし、第七十二段・七十五段には、大淀の地名を詠み込んだ歌も登場するようです。
 むかし、男、狩の使より帰り来けるに、大淀の渡りに宿りて、斎の宮の童べに言ひかけける、
  みるめ刈るかたやいづこぞ棹さして
    われに教へよ海人のつり舟
 むかし、男、伊勢の国なりける女、またえあはで、となりの国へ行くとて、いみじう恨みければ、女、
  大淀の松はつらくもあらなくに
    うらみてのみもかへる浪かな
 むかし、男、「伊勢の国に率て行きて、あらむ」と言ひければ、女、
  大淀の浜に生ふてふみるからに
    心はなぎぬ語らはねども
これを見るに、未練たらたらな男に比べて、「語らはねども」「心はなぎ(凪)ぬ」というのですから、女のほうがよほど凛としていますし、一切を内的に克服し終わっているようにさえ見えなくはありません。
この「男」や「女」が誰であるのかは異論もありうるところですが(特に七十五段、伊勢の斎宮を伊勢に連れていくというのも謎ですし)、「読み」の伝統としては在原業平と恬子内親王と解釈されてきたのでしょう。
斎宮旧跡だけあって、大淀のあたりには、「祓川」や「尾野湊御禊場」など、禊祓の場も今に残りますが……昔男の「御手洗川にせしみそぎ」はさておき、斎王の〝大淀のわたりにせし禊”はさすがに霊験あらたかだったというところかもしれません?

なお、「昔男」の名誉のために言っておくと、第七十三段の一首は、男の側からの断念・諦念を詠って、それなりに毅然としているようにも思えなくはないかもしれません。
 むかし、そこにありと聞けど、消息だに言ふべくもあらぬ女のあたりを思ひける
  目には見て手には取られぬ月のうちの
    桂のごとき君にぞありける
この「そこにありと聞けど、消息だに言ふべくもあらぬ女」が斎王なのか二条の后なのかは、(こちらでも書いた通り)、この短い章段自体からは断定する要素はないのですが……これ以降、昔男が「翁」となって、特定の女性のみならず女性との性愛全般から離れていくのだとすれば、どちらとでも読めるという、そのこと自体に意味があるのかもしれません。

こうして見ると、やはり、あらためて、これら伊勢の章段が性愛の季節からの離脱・転換の契機になっている感が深まるようにも思います。
posted by 蘇芳 at 20:21|  L 「伊勢物語」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする