2018年06月23日

【動画】日本遺産~祈る皇女斎王のみやこ 斎宮~4秡川


明和町公式動画 から。


動画概要:
2017/05/08 に公開
平成27年4月 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定されました。この番組では「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を語る上で不可欠な文化財群をご紹介します。第4回目は「秡川」です。
明和町ホームページ:斎宮ストーリーの構成文化財一覧表

岡田登「倭姫命の御巡幸」によれば、「秡川」は「櫛田川」の中流から分岐する、幅10mほどの小さな川だとのことですが。
動画では得に言及がありませんが、この「秡川」の由来も、さらに元をたどれば倭姫命に行き着くようです。

「倭姫命世記」垂仁天皇二十二年、飯野高宮にお遷りになり、四年滞在。
三重県神社庁教化委員会 » 飯野高宮神山神社
その後、さらに巡幸をお続けになる、その途上、一行は「櫛田」にたどり着きます。倭姫命が櫛をお落としになったという地名伝承のある土地のようです。
三重県神社庁教化委員会 » 櫛田神社
その櫛田から船出して「其ノ河後ノ江」(≒櫛田川の河口)にたどり着き、やがてその川で倭姫命が「秡解ヘ(はらへ)」を行われた、結果、「遂ニ五十鈴宮ニ向フコトを得タマヘリ」、最後の鎮座地へ向けて旅立つことができた。これによって、以後、上は「天皇ノ太子」から下は「駅使・国司人等ニ及ブ如キ」まで、都から伊勢へ向かう途中、「此レ等ノ川ニ到りテ解除(はらへ)を為」すのが恒例になった。と、どうもそういうことになるのでしょうか。
其の処に御櫛落シ給ヒキ。其の処を櫛田と号ひ給ヒ、櫛田社を定め賜ひき。是ノ処従りして、御船に乗り給ひて、幸行ナリタマヒテ、其ノ河後ノ江に到リ坐ス。時に魚自然ニ集まり出でて、御船ニ参乗リき。尓の時倭姫命見ソナハシ悦ビ給ひて、其の処に魚見社ヲ定め賜ひき。其従り幸行なるに、御饗奉ル神参リ相ヒタテマツリキ。「汝が国の名は何ぞ」と問ひ給ふ。白さく、「白浜真名胡ノ国」ト申ス。其の所ニ真名胡神社ヲ定め賜ひき。又若子命、麻神・蒭霊等ヲ以テ倭姫命ニ進りて、秡解ヘシム。陪従人ニ及び、弓劔を留めて、兵と共に飯野ノ高丘ニ入リ座シマス。遂ニ五十鈴宮ニ向フコトを得タマヘリ。尓レ自り以来、天皇ノ太子、斎宮、駅使・国司人等ニ及ブ如キ、此レ等ノ川ニ到りテ解除を為シ、鈴ノ声ヲ止ムル。此レ其ノ儀也
このくだりの直後に続くのが、こちらで引用した佐々夫江のくだり。
さらにその次のくだりで天照大神の有名な神勅が下ることになることは、こちらで書いた通り。
いわゆる「伊勢神宮」の鎮座地がいよいよ決まろうとする、その直前の禊祓が行われた、その伝承地ということになるのでしょうか。
斎王の禊の場として、なるほど、ふさわしい由緒かと思われます。

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神に仕える皇女たち―斎王への誘い―
倭姫命の御巡幸
倭姫の命さまの物語
日本思想体系19中世神道論


追記:
斎王行列は明和町のイベントはもちろん、京都嵐山の野宮神社などでも再現されているようです。
京都で斎王(斎王代)というと、上下賀茂社の葵祭が有名ですが、あれはあくまで賀茂社の斎王。
(源氏物語で言えば車争いの場面)。
同じ「斎王」でも、伊勢に下向した「斎王群行」を再現(?)しているのは、こちら↓のほうですね。
(同じ源氏物語でも六条御息所との別れの場面。この時の斎王が後の秋好中宮でしたか)



こちら↑は発地・京都。

こちら↓が着地・明和町。



別に相互の祭りに連絡があるわけでもありませんが。
せっかくならセットで視聴してみるのも一興かもしれません?
posted by 蘇芳 at 20:22|  L 斎宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする