2018年06月22日

【動画】日本遺産~祈る皇女斎王のみやこ 斎宮~3カケチカラ発祥の地


明和町公式動画 から。


動画概要:
2017/05/08 に公開
平成27年4月 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定されました。この番組では「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を語る上で不可欠な文化財群をご紹介します。第3回目は「カケチカラ発祥の地」です。
斎宮歴史博物館:斎宮千話一話 第72話 大淀と鶴の稲のお話

カケチカラについては過去記事のこちらなども参照。

「カケチカラ発祥の地」というのも漠然とした表現で、具体的にどこを指すのかわかりにくいですが。
「倭姫命世記」には、垂仁天皇二十七年に以下の記述があり、
二十七年戊午秋九月、鳥ノ鳴ク声高ク聞えて、昼モ夜モ止まずシテ囂シ。「此レ異シ」ト宣タマヒて、大幡主神と舎人紀麻呂良とを使ニ差シ遣はシテ、彼ノ鳥ノ鳴く処ヲ見シム。罷リ行きテ見レば、嶋国伊雑の方上ノ葦原ノ中ニ、稲一基在り。生ひタル本は一基に為て、末ハ千穂ニ茂レリ。彼ノ稲ヲ白キ真名鶴咋へ持ち廻リ乍鳴キキ。此れヲ見顕ハスに、其ノ鳥の鳴く声止ミきと返事申しき。尓の時倭姫命宣たまはく、「恐シ。事問ハヌ鳥スラ、田ヲ作りテ皇太神ニ奉ル物を」と詔ひて、物忌始め給ひて、彼の稲を伊佐波登美神を為て抜穂に抜かしめて、皇太神ノ御前ニ懸久真に懸ケ奉リ始メき。則ち其の穂を、大幡主ノ女子乙姫に清酒ニ作らしめテ、御饌に始め奉りき。千税始め奉る事、茲因り也。彼ノ稲ノ生ふル地を千田ト号ひき。嶋国伊雑の方上に在リ。其の処に伊佐波登美神の神宮造リ奉リ、皇太神の摂宮ト為ス。伊雑宮此れ也。
また、その翌年に、
又明年ノ秋ノ比、真名鶴、皇太神宮ニ当リテ、天翔リ北従リ来テ日夜止マズ翔リ鳴キき。時ニ白草ニ当りき。爰に倭姫命異シミ給ヒテ、足速男命ヲ差しテ、使トシテ見しめたまふ。罷リ到キテ見れば、彼の鶴は佐佐牟江宮ノ前ノ葦原の中ニ還リテ行き鳴きき。使到キテ葦原の中ヲ見ルニ、稲生ひタリ。本は一基ニ為て末ハ百穂ニ茂レリ。咋へ捧ゲ持ゲテ鳴キキ。爰ニ使到キテ見顕ハス時ニ、鳴く声止みテ、天ニ翔ル事モ止ミき。時に返事白しき。尓ノ時ニ倭姫命歓ビ詔はく、「恐シ。皇太神入り坐せば、鳥禽相悦ビ、草木共モ相ヒ随キ奉ル。稲一本千穂八百穂ニ茂れリ」と詔ひて、竹連吉比古等に仰せ給ひテ、先穂ヲ抜穂ニ半分ヲ抜カシメテ、大税苅らしめ、皇太神の御前ニ懸け奉りき。抜穂は細税と号ひ、大苅は太半と号ひて、御前に懸け奉りき。仍りテ天都告刀ニ、「千税八百税余」と称メ白シて、仕リ奉ル也。因りて其ノ鶴の住める処ニ、八握穂社ヲ造テ祠ル也。
との記述があるようです。
つまるところほぼ同じ出来事が場所を変えて二回くりかえして語られており、いきおい、伝承地も二カ所あるようです。

前者は「嶋国伊雑の方上」。伊雑宮といえば現在も伊勢神宮の別宮として有名なお宮です。
Wikipedia:伊雑宮
伊勢神宮公式HP:内宮(皇大神宮)|別宮 伊雑宮
所在地は「志摩市磯部町」とのことですから、動画製作元の明和町的には困るかもしれませんがw
>毎年6月24日(6月月次祭当日)に行われる御田植式は、とても雅な神事で、「磯部の御神田」の名で国の重要無形民俗文化財に登録され、日本三大田植祭の一つとされます。
とあるように、やはり、お米にまつわる神事が行われているようです(伊勢神宮ですから当然ですが)。

明和町とかかわるのはもう一方の伝承地ですね。
「佐佐牟江宮」とありますので、要は前回の動画に登場した「佐々夫江宮」。明和町大淀のあたりになるようです。
前回も紹介した竹佐々夫江神社は、三重県神社庁教化委員会の解説によると、
>明治40年、八握穂神社、津島神社を合祀し、大正元年に神饌幣帛料供進社に指定された。
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E7%AB%B9%E4%BD%90%E3%80%85%E5%A4%AB%E6%B1%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
とあるようですから、上の引用文中にある「八握穂社」も、つまりココということになるのでしょうか。
ちなみに付近には八握穂社旧跡 なる石碑も建っているらしくもあるようです。合祀以前の八握穂神社があった場所ということですかね?
zabieru48busのブログ:八握穂社旧跡
http://archive.li/nDLld

ただし……

動画に登場した「カケチカラ発祥の地」は、それら伝承地とはまた別に、昭和五十年八月に建立された石碑の祀られている場所のようです?
三重県観光連盟公式サイト 観光三重:カケチカラ発祥記念碑
明和町ホームページ:史跡斎宮跡、360度パノラマ写真
碑を建立したのは、昭和24年発足の「伊勢神宮カケチカラ会」。占領期にいろいろと頑張ったということでしょうか。
碑文には、
垂仁天皇の御代倭姫命 皇大神を奉戴し御鎮座地をもとめられ この地の東 佐々牟江にましましたとき 真名鶴が葦原の中に 一株に八百穂をみのらせた稲をささげたので この稲を 半は抜穂にし 半は大税にして大御前にかけそなえられた故事をしのび 伊勢神宮カケチカラ会役員相はかり 地元根倉をはじめ関係各方面の御理解を得て碑を建てこれを表わ寸
 昭和五十年八月吉日
神宮少宮司 慶光院俊 撰并書
と記されているとか。ソースは岡田登「倭姫命の御巡幸」https://amzn.to/2JYPa9u

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posted by 蘇芳 at 20:43|  L 斎宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする