2018年06月20日

【動画】日本遺産~祈る皇女斎王のみやこ 斎宮~2佐々夫江行宮跡


明和町公式動画 から。


動画概要:
2017/05/08 に公開
平成27年4月 文化庁が新たに創設した制度「日本遺産」に明和町が申請した「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定されました。この番組では「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」を語る上で不可欠な文化財群をご紹介します。第2回目は「佐々夫江行宮跡」です。
明和町ホームページ:斎宮斎王ゆかりの地(町内編)
三重県神社庁教化委員会:竹佐々夫江神社

動画(1:55~)で「行宮」を「天皇」の仮宮としていますが……「佐々夫江宮」はあくまで倭姫命の仮宮ではないのでしょうか? それとも、この時、この地に「天皇」がお運びになったという伝承でもあるのでしょうか?
 
そういえば、倭姫命の「巡幸」という言い方も(そのまま本のタイトルになるくらいに)わりと一般的ですが、皇室典範的な厳密さを求めるのであれば、「行幸」や「巡幸」も本来は天皇陛下のおでましについてしか使ってはいけない用語でしょう。
Wikipedia:行幸
垂仁天皇の娘・景行天皇の妹で”しかない”倭姫命の旅については「巡啓」でなければおかしいということになるのでしょうか?

まあ、行宮にせよ巡幸にせよ、主語が倭姫命ではなく、神鏡=天照大神であるとすれば、問題とするに足らないことにもなるでしょうし……
そもそも、岩波の日本思想体系版の「倭姫命世記」(https://amzn.to/2K26R83)では、記述の上からも、「佐々夫江宮」ではなく、単に「佐々夫江宮」と表記されているだけのようです。
其れ従り幸行シて、佐々夫江ニ御船泊マリ給ひ、其の処に佐々夫江宮造リ坐シマサシメ給ひき。大若子命、「白鳥の真野国」と国保伎白しき。其の処に佐々夫江社ヲ定め給ひき。
そして直接そのあとに続くのが、前回引用した、
其の処従り幸行したまふ間に、風浪無くして、海ノ塩大与度に与度美て御船をして幸行せしむ。其の時倭姫命悦ビ給ひて、其ノ浜に大与度社を定め給ひき<天照太神、倭姫命に誨へて曰たまはく、「是の神風の伊勢国は、即ち常世の浪の重浪帰する国也。傍国の可怜し国也。是に国に居らむと欲ふ」と。故れ太神の教の随に、其の祠を伊勢国に立てたまふ。因りて斎宮を五十鈴川上に興し立つ。是を磯宮と謂ふ。天照太神始めて天自り降ります処也>。
のくだりです。

そういう意味では、動画のナンバリングは、「倭姫命世記」の記述(巡幸ルート)に逆行した順序になっているとも言えますし、佐々夫江社や大与度社など現存する神社に比定されているお社の存在はスルーしているようでもあり、画竜点睛を欠く気もします。
明和町の日本文化遺産の性格(認定されたのは個々の遺跡ではなくそれらをめぐる「ストーリー」)や、その「構成文化財」の定義によるのかもしれませんが……少々、わかりにくいかも?(観光客誘致も兼ねたいのならなおさらでしょう)

異説もあるかもしれませんが、現在、
「佐々夫江社」は明和町大字山大淀3004番地の竹佐々夫江神社が、
「大与度社」は明和町大字大淀乙1番地の竹大與杼神社が、
それぞれ有力な比定地とされているようです。

佐々夫江行宮跡も観光情報などによれば、「山大淀」バス停から徒歩15分。地名からすれば、同じ山大淀にあるという竹佐々夫江神社のご近所のようですし、竹大與杼神社にしても、実際に現地を訪問した人の「倭姫の旅」というややスピリチュアル系の本によると、やはりご近所(竹佐々夫江神社から700mほど)だそうですから……
せっかくの日本遺産。観光で訪れた場合は、そのあたりも見落とさないようにしてくださいというところかもしれません。

なお、上の「倭姫命世記」からの引用箇所には、「白鳥の真野国」という国褒めの語が登場しています。古語で「白鳥」というのが何鳥を指しているのか、議論はあるのかもしれませんが(鵠とか鷺とかコウノトリとか)。
佐々夫江社が、こちらで言及した真鶴伝説の地として、後段で再登場する神社でもあることは、思い起こしておいてよいかもしれません。

奈良から見て東=日の出の方角であること、海辺であること、さらに「米」にまつわる伝承地であること……
鶏と卵の関係がどうなっているのかワカリマセンが。明和町大淀、後付けだろうと何だろうと、重層的な意味付けが行われた土地柄であることは、確かなのかもしれません。
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倭姫
元伊勢巡幸倭姫命世紀20XX
倭姫の旅
posted by 蘇芳 at 15:24|  L 斎宮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする