2018年06月15日

【動画】伊勢物語 第八十二段 第八十三段 第八十五段 (惟喬親王)


こちらで書いた通り、第六十九段をはじめとする伊勢を舞台にした一連の章段は、伊勢物語全体のターニングポイントの様相を呈しています。
それ以前のなまなましい性愛の物語群とは打って変わって、第七十六段以降、「翁」の世界に突入した伊勢物語には、在原業平に擬せられる昔男自身の恋を描いた章段はほぼ見えなくなっています。(業平以外の男女の恋愛譚は多少はありますが)
老いさらばえて女性に相手にされなくなっただけ、と、言ってしまえばそれまでですが。
その代わり、より幅の広い人生の諸相が「歌」の主題として浮上してきます。文学的な興趣としては色恋沙汰に勝るとも劣らないとも言えるでしょう。
そもそも、有名な二条の后の物語の背景にはこちらで整理した皇位継承をめぐる派閥抗争が暗示されていますが……当の惟喬親王その人が実際に伊勢物語本文に登場するのも、この後半の「翁」の時代になってからです。









惟喬親王は文徳天皇の第一皇子、惟仁親王は第四皇子。
兄皇子をさしおいて立太子され即位あそばしたのは、惟仁親王。
確かに形の上からは皇位継承争いに違いありません。

しかし、こちらでもこちらでも書いた通り、惟仁親王こと清和天皇といえば「髫齓の天皇」。周りの大人たちが騒いぐばかりで、ご本人はあずかり知らぬ幼帝です。

では、一方の兄・惟喬親王は?

清和天皇のご生誕は嘉祥3年(西850年)、惟喬親王は承和11年(844年)
年齢差は六歳です。
つまるところ、惟仁親王が生後八か月で立太子された時点で、惟喬親王は六歳。
立太子だ、中継ぎだと大人たちが騒いでも、惟喬親王自身が蚊帳の外であずかり知らぬこと、弟皇子とさほど違いもしなかったのではないでしょうか。

天安2年(858年)、惟仁親王が九歳で即位あそばされた時点でも、惟喬親王は十五歳。やっとその前年に元服されたばかりというお若さでした。
(ちなみに。二条の后と昔男の密通は「まだいと若うて、后のただにおはしける時」という設定ですから、野暮を承知で実年齢を勘案するなら、この時点の物語に、惟喬親王の関与の余地はもちろん、登場の余地すらもないことは、自然というべきでしょうか)

もちろん、清和天皇即位の時点では、惟喬親王は元服はしているのですから、弟皇子の即位というその意味はもう理解できたでしょう。
といって、理解したところで、今さらどうなるものでもなかったでしょう。
また、理解すればするほど、自分たちのあずかり知らぬところで生涯がすでに決められてしまっているままならなさに、嘆息するしかなかったかもしれません。

そもそも、皇位継承争いといったところで、実際の対立者は本人同士というより、紀名虎と藤原良房。
両家の勢威を思えば、最初から勝負にもならないというのが、実情だったかもしれません。
名虎の傀儡として、継承争いの敗者として、惟喬親王は、政治の現実から、二重に疎外されていたと言うこともできるでしょうか。

伊勢物語はあくまで「物語」。
現実とごちゃ混ぜにすることは禁物ではありますが……
八十二段の風流生活を経て、八十三段・八十五段の出家遁世へと至る、惟喬親王の足跡には、史実と響き合うものもあるようには思いますし、だからこそこれらの親王伝説が生まれ、長く語り継がれることにもなったのでしょう。
そしてその親王に、あの昔男が寄り添い、
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
狩り暮らしたなばたつめに宿からむ 天の河原にわれは来にけり
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとは
といった名歌の情趣を共にするのが(できるようになったのが)、伊勢物語後半の「翁」の世界であるようにも思います。

「伊勢物語」は業平に擬せられる昔男の「一代記」と言われることもありますが……
いやしくも「一代記」を名乗るのなら、元服から死去に至るまで、その時々のライフサイクルに応じたさまざまな主題が展開されなければ片手落ちというものでしょう。とすれば、王朝貴族のみやびな恋の物語~などというよくある文庫本の謳い文句は、あまりに一面的。性愛一辺倒の青年時代もそれはそれとして。それだけではないさまざまな情趣・情感が描かれる後半部にも、伊勢物語の豊かさの一半があることを、見落としてはモッタイナイというものかと思います。
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追記:
なお、在原業平の生誕は天長2年(825年)、惟喬親王より十九歳年長。
二条の后・藤原高子の生年は承和9年(842年)、清和天皇より八歳年上の姉さん女御ということになるようです。
天安2年(858年)惟仁親王が九歳で即位あそばされた時点では、惟喬親王は十五歳、二条の后は十七歳、業平は三十四歳という計算でしょうか?
つまるところ、業平と二条の后というのも、現代の感覚で言えば、それなりの年の差カップルですが。
恬子内親王ともなると、生年不詳ですが、惟喬親王の同母妹ですから、それ以上の年の差だったことは確かでしょう。
とすれば、第六十九段の一夜が、俗説通りの下世話な肉体関係の物語だったのかどうなのか?
こちらで考察したように、その一夜が、第七十六段の老いの自覚へと向かう転換点であり、性愛の終焉をさえ画しているかに思えることも考慮して、読みなおしてみる必要がありそうな気がしなくもありません。
(「伝説」の解釈に実年齢を加味するのも野暮というものではあるかもしれませんが……)
posted by 蘇芳 at 21:14|  L 「伊勢物語」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする