2018年06月07日

【動画】朗読 伊勢物語 第六十九段 「狩の使」


伊勢物語というと学校の教科書で読まされたきりという人もいるかもしれませんし、その場合、「初冠」「月やあらぬ」「芥河」「東下り」「井筒」などなど、定番のエピソードもだいたい決まっているわけですが。しかしそれだと、そもそもなぜ伊勢物語が「伊勢」物語なのか、よくわからないかもしれません。授業や教科書が「狩の使」を取り上げていれば、辛うじて「伊勢」が登場したことを覚えている人もいるかもしれませんが、それさえも、全百二十五段の物語集のなかで、その一段だけがなぜ全体の表題になるほどに重要なのか、ピンと来なかった人もいるのではないでしょうか。というか、私自身、当時はピンときませんでした。それはなぜかとあらためて考えてみると……今はどうだか知りませんが、当時の国語の授業の教え方というのが、二条の后を重視しすぎていたからではないかという気がしないでもありません。

伊勢物語の成立過程というのもかなり謎ですし、作者も不明。そもそも全編が一人の著者による創作というわけでもなく、説話の寄せ集めのような性格もあるようですが……それでも、それら本来はバラバラだったはずの各エピソードの登場人物を、無理やり実在の人物にこじつけて、在原業平の一代記のように仕立て上げてあるのが伊勢物語の趣向というわけで。業平周辺の人物は、惟喬親王や二条の后(藤原高子)、藤原基経・国経など、わりとハッキリそれと明記されています。
それら人物のなかで(今はどうだか知りませんが私が習った当時の)学校国語的に、特にクローズアップされていたのが藤原高子。あたかも伊勢物語全編が、業平と高子の悲恋を中心にした物語である、とさえ誤解させかねない勢いだった記憶がないでもありません。つまるところ、高子が入内することになって引き裂かれ、傷心の業平がふらふらと旅に出るのが「東下り」、そこから数々の女性遍歴が始まるというのが「伊勢物語」だと。
確かにその流れ自体は、物語の発端・外枠として別に間違ってもいないとは思いますが……しかしそれだと、全百二十五段のうちの、十段くらいまでしかたどり着けないのですよね(「芥河」が第六段、「東下り」が第九段)。それでは「伊勢」物語もへったくれもありません。

伊勢物語というのは、さすがに、在原業平の一代記として真面目に読むには物語としての結構がゆるすぎるのですが……それでもあえて、諸々の不都合に目をつむって伊勢物語全編を一本のストーリーとして考えてみるとするならば、二条の后の存在が、業平にとって運命的な最初の女性ではあったとしても、(あるいは、あったとすれば、なおさら)、ではそのトラウマを引きずりながら、その後はどのような遍歴が展開されるのか? それが一つの焦点になりうるでしょう。とすれば、恬子内親王というもう一人のヒロインを、二条の后に対置してみてこそ、伊勢物語が「物語」として立体的な構造を獲得する可能性も生まれてくるというものではないでしょうか。

(実際の伊勢物語はその可能性を十分に発揮するには至らなかったかもしれませんが、萌芽として示されたその可能性が、紫式部をはじめとする後世の物語作者を刺激し、より緊密な構成を持った物語の執筆へとかりたてた、という面はあるかもしれません? ちなみに、「伊勢物語」というタイトルが、文献上に初めて登場するのは、「源氏物語」絵合の巻だそうで(「次に、伊勢物語に正三位を合せて、また定めやらず」云々)、紫式部が伊勢物語を相当に意識していたことがうかがわれます。そもそも臣籍降下した貴種である主人公が、初恋の人の面影を引きずりながら女性遍歴をくりかえす、という物語の結構も、その遍歴のなかで伊勢の斎宮が(さすがに源氏は斎宮本人には手を出しませんが)登場することも、「伊勢」から「源氏」への顕著な影響というべきでしょうか)


「伊勢物語」において、「伊勢の斎宮」や「伊勢の国」が舞台になるのは、第六十九段から七十五段にかけて。
そのなかで登場人物を実在の人物としてキッパリ名指ししているのが、第六十九段「狩の使」です。





締めくくりの一文で、

>斎宮は、水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬親王の妹

と、明示されています。

在原業平が惟喬親王に仕えたことは言うまでもないでしょう。
その妹であるという人脈・因縁からしても、物語の舞台が今度こそ文字通り伊勢であることからしても、斎宮という神聖性・禁忌性においても、本来、恬子内親王こそが、「伊勢」物語の真ヒロインとしてのポテンシャルをそなえた「キャラ」(というと語弊もありますが💦)だったようにも思えます。

伊勢物語がなぜ「伊勢」物語なのか……
書名の由来については、実は、ハッキリと断定的な定説はないとも聞きますが、従来、有力な説の一つが、この第六十九段由来であることは間違いないようですし、つらつら思んみるに、それなりの説得力はある説なのかもしれません。


それにしても……

伊勢物語にせよ、多分にその影響を受けたと思しい源氏物語にせよ、女御や中宮やさらには斎宮との不義密通などという、政治的・現実的には不敬の極み・涜神の極みとも言うべきバチアタリな行為を、仮名文学だからとでもいうのでしょうか、平気で書いているのですから大したものです。
単に書いているどころではない、普通に広く読まれている。それどころか、後世、これこそ王朝文化の極み、国文学の到達点、芸術的規範でもあるかのようにもてなされつづけているのですから……日本とかいうわが祖国、フリーダムにもほどがあるというか何というか。

さらにいうなら、斎宮の密通というモチーフを扱った古典文学は、伊勢物語だけにかぎらないとも聞きますし……
それを許容してしまえるどころか一緒になって芸術として享受してしまえる皇室も神道も懐が深いにもほどがあるというべきでしょうか。

まあ、つまるところ、我が国皇室がそれだけ、専制独裁・思想言論弾圧とは縁遠い存在だったということではあるかもしれませんが。
それならそれで臣下ももうちょっと遠慮しろやゴルアという気がしないこともありません。。

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追記:
とはいえさすがに、文学・芸術・仮名手の世界と、政治・真名手の世界は、少々、事情も異なるようで。
業平と恬子内親王の密通というこの「伝説」のせいで、二百年の後にまで迷惑を蒙った人もいるのだとか。
Webで学ぶ 情報処理概論: 情報夜話 > 二百年影を落とした一夜の愛
Wikipedia:高階氏
この伝説にこじつけてまでして権力闘争がくりひろげられたのが、藤原道長の時代≒紫式部の時代だというのも、(「伊勢」の影響を受けた「源氏」がやはり不義密通を描いていることを思えば)、皮肉というかダブスタというか、深いのは懐だけでなく、闇もかも?という気もしないことはないかもしれません。
posted by 蘇芳 at 21:51|  L 「伊勢物語」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする