2018年06月01日

右や左の……


三島由紀夫を崇拝する自称愛国者様は後を絶たない。
それ自体は思想信条の自由だから好きにすればいいが。
それならそれで、三島とは何者か? 自分たちは何を崇拝しているのか? 誰かの御高説を鵜呑みにする前に自分自身で把握しておくべきだ。
そしてそのためには、保守にとっての二二六事件の位置づけから問い直すべきように思えてならない。
何となれば、二二六の「叛乱軍」を、特攻隊の権威と華麗なレトリックを駆使して「英霊」に仕立て上げたうえで、その英霊の名を借りて昭和天皇をなじった(「などてすめろぎは人間となりたまいし」)のが三島由紀夫だった、と、当方には思えるから。


最近、ネット上で北一輝を「保守」と呼んでいる人を見かけてビックリした。
国家「改造」の主唱者のどこをどうひっくり返せば「保守」になるのか、当方の弱い頭では理解しがたい。
そもそも一般的には北一輝は国家社会主義者と呼ばれてはいなかったか。
Wikipedia:北一輝
彼が愛国者でなかったとまでは断定できないが(売国奴でなかったとも断定できないが)、右と何か、左とは何か、それさえも理解が曖昧なままでは、右にも左にも行きようがないし、右に行くつもりで左へ行き、左のつもりが右へ、と、冗談のような錯誤の原因にもなりかねない。
あるいは、「純粋な」と常に枕詞を冠して呼ばれる二二六の青年たちが陥り、三島が美化した、(そして劣化三島が受け売りをくりかえしている)「行動」の根底にあるものこそ、まさにそうした「錯誤」だったとさえ疑って疑えないことはないのではないだろうか。


北の日本改造法案大綱は、私有財産を制限し国有化するという、一種の社会主義体制を目指しているように見える。http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/kitaikki/nihonkaizouhouantaikou.html
日本国民一家の所有し得べき財産限度を壱百万円とす。
私有財産限度超過額はすべて無償をもつて国家に納付せしむ。
日本国民一家の所有し得べき私有地限度は時価拾万円とす。
私有地限度以上を超過せる土地はこれを国家に納付せしむ。
私人生産業の限度を資本壱千万円とす。海外における国民の私人生産業また同じ。
私人生産業限度を超過せる生産業はすべてこれを国家に集中し国家の統一的経営となす。
そして、この社会主義体制を確立するために北が利用しようとしたものこそ、実に「天皇」だった。
天皇大権の発動によりて三年間憲法を停止し両院を解散し全国に戒厳令を布く。
つまるところ立憲君主制を否定し、天皇を専制君主と化した上で、その独裁権力をもって、社会主義革命を行え、というのが、この大綱の要旨ではないのかと、現時点の当方は理解している。(あくまで半可通なので鋭くツッコまれても困るけれども)

政治体制における明治維新の成果の一つは、明治立憲体制=立憲君主制だろう。
しかして、大衆受けしたのは、美濃部達吉の天皇機関説ではなく、上杉慎吉の天皇主権論だった。
明治維新の成果たる立憲体制を否定して(場合によっては転覆さえして)、天皇に専制君主・独裁者になっていただく……それは素朴な尊皇家にとって、しちめんどくさい立憲君主制などより、はるかに理解しやすく、また誘惑的な夢想だったのかもしれない。
その大衆受けする夢想をいいことに、天皇に名目上の独裁権力を付与し、その専制権力(権威ではなく)をもって、社会主義革命を起こせという論理の倒錯(天皇よ革命の走狗となれ、「人民」に奉仕せよ、それが君民一如の国体だという詭弁)が、あるいは、日本改造法案の骨子だったのではないか? だとすれば、それは要するに、純粋な青年の素朴な尊皇心につけこんだ、愛国詐欺の一種だったようにも思える(北一輝自身の主観的な真意は別にして)。

昭和天皇が、怒りをあらわにされ、政治的な意思をお示しになった数少ない事例の一つが、二二六事件だと言われているが……
天皇大権の私物化と濫用による革命、という基本構想をひとたび把握してみれば、(重臣暗殺のテロリズムそのものが天皇の忌避あそばされるところだったことをさしひいて、純粋に思想の問題として見ても)、天皇の御怒りこそ当然と言わなければならないだろう。


「昭和維新」という字面は、一見すると、明治維新を規範とし、維新の志士を崇拝しているように感じられるかもしれない。
あるいは、昭和の青年たち自身は、そのつもりでいたかもしれない。
しかしながら、彼らが維新しようとした社会とは、何か?
それこそは、明治維新の成果(立憲体制)そのものではなかったのか。
つまるところ、昭和維新は、力による政権転覆という手段こそ明治維新の模倣だが、その目的に関しては、むしろ、明治維新の否定により近いように思う。(そもそも、維新をやりなおせというのは、前の維新は失敗だったといっているに等しい)

当方は、決して、明治維新を否定するものではないし、最近流行りの薩長史観批判は短絡的だと思ってはいるが……
一面から見れば、明治維新には、テロやクーデターといった非合法な暴力による政変という性格があること自体は否定できず、結果オーライとだけ言ってはいられない、後遺症や副作用も残したのではないか、とも、思えるのだ。

そもそも、水戸の藤田東湖、垂加神道の山崎闇斎、「日本外史」の頼山陽、「中朝事実」の山鹿素行、言わずと知れた吉田松陰……などなど。明治維新の思想的源流は、(穏健な国学ではなく)、より多く儒教の過激思想に根差しているように思えるが、儒教こそは易姓革命の変転常なき大陸のからごころ。力こそ正義、理屈は後からこじつければよい、という、サル山のボス争いのテツガクではなかったか。
維新の志士を崇拝すればするほど、この易姓革命の蟻地獄へと引きずりこまれやすくなる、そうした罠が、愛国者の素朴な「維新」熱には、潜んでいないだろうか?


明治維新を模倣した昭和維新を理想化する三島由紀夫を崇拝する……というとき、威勢の良い現代のサムライたちは、いったい、本当には何を崇めているのか?
正直、うすら寒いものを感じる。
青年将校たちのいわゆる「純粋さ」は当方とて否定しないが、純粋だからこそ、詐欺に乗せられて、道を誤るのだとすれば、その「純粋さ」こそ問題の俎上に乗せなければならないのではないか? 真面目で純粋だから騙される、などというのは、愛国に限らない、あらゆる詐欺やカルトに共通してよく見られる構造だろう。その「誤り」を美化しては「誤り」から学ぶことができまいし、いわんやその「誤り」を美化するアジテーターをさえ崇拝するにおいてをや。


もちろん、そのような錯誤は、「右」の専売特許ではないだろう。
農村の窮乏を救えとインテリゲンチャが叫んだ二二六事件は、それ自体、社会主義的な色彩を帯びている。
事件の鎮圧は、結果的に皇道派を失脚させ、統制派の天下をもたらしたが、それでは統制派は社会主義ではなかったのかといえば、決してそんなことはないようだ。
統制派の「統制」とはそもそも統制経済の「統制」と同じことだと聞いたことがある(統制派の理論的支柱・池田純久は戦後の雑誌対談で、統制派の思想について、「一君万民の社会主義天皇制を念願したことは、意識すると否とに拘らず明白な事実である」と語ったとか)。
有名な上奏文で「所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり」と喝破したのは近衛文麿だが、北一輝や皇道派に限らない、戦前のインテリのほとんどは社会主義・共産主義に幻惑されていたとも言う(ラベル / 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」)。何しろ、かく言う近衛自身がコミンテルンの尾崎秀実を重用して支那事変を泥沼化させた張本人なのだから始末に負えない。
戦前を「右翼」軍国主義の暗黒時代のように言うのは、戦後長らく流通してきた左翼の嘘だが、一方で、戦前のそれを「右翼」愛国主義のように美化して語るのも、また、やはりコインの裏表のような嘘ではないか。
とすれば、右に行くつもりで左へ行き、左のつもりが右へ、という、冒頭で述べた冗談のような錯誤の可能性は、「左」にとっても他人事ではない。というより、その錯誤に溺れ続けたあげくににっちもさっちもいかなくなったのが、「左」にとっての戦後だったのではないのだろうか。
右だの左だのと口にする前に、そもそも右とは左とは……そろそろ頭を整理しなおしたがよい気がする。
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日本改造法案大綱 (中公文庫)
コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)
帝国陸軍の栄光と転落 (文春新書)
posted by 蘇芳 at 21:12| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする