2018年03月30日

【動画】海田町魅力発信動画 織田幹雄さん


先だってはこちらが↓話題になりましたが。
このわずかな瞬間に人柄が出る羽生結弦選手。
インタビューを受ける際、手荷物を下ろそうとして、「国旗、国旗だけ誰か、下に置くことはできないので。」と国旗に敬意を払う姿が今でも印象に残っています。見習うべき姿。
東京オリンピックを機に国、国旗、国歌を愛する普通の国になりたいですね。 pic.twitter.com/tkR6OypBTX
- するめのよっちゃん#沖縄は日本だ (@surumegesogeso) 2018年2月17日
今をさること90年、日本人初の金メダリストにも日の丸がらみの逸話があるのだそうです。


動画概要:
2016/10/06 に公開
海田町出身の日本人初オリンピック金メダリスト・織田幹雄さんを紹介します。
Wikipedia:織田幹雄 > 逸話
織田は1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピックで金メダルを獲得したが、当時日本は国力がなく、他国のインチキ臭い記録に文句をつけても何も通らない時代[85][86]。アムステルダムのデパートにも他国の旗はあっても日の丸は置いてなく、日本人の優勝はまさに想定外だった[2]。「君が代」は「さざれ石の」と途中から流された[85]。掲揚用の日章旗さえなく、係員がうろうろしているのを見て「よしきた」と織田自ら持参した勝者の体を包むための大型の旗を持ち、国旗掲揚台の上に駆け上がった。日本語で「これを上げろ」と言ったが向こうは何のことか分からず、目を白黒させながら旗を受け取ってそれを掲揚した。その結果、織田の日章旗だけが他の旗と比べて図抜けて大きい(四倍)というアンバランスな形になり、写真にも残されている

動画には何の説明もありませんが、「写真」は掲載されていますね(0:42~)。
確かに、日の丸だけが巨大です。

wikiの記述は「当時日本は国力がなく~」とずいぶん自虐的ですが。1928年(昭和3年)なのですから、当時、日本は第一次世界大戦の戦勝国にして国際連盟の常任理事国です(国連脱退は1933年)。
それでいてなお、この扱い。

言っておきますが、織田幹雄がとったのはあくまで日本人初の「金」メダル。
「銀」なら、すでにそれ以前の第七回アントワープ五輪で、テニスの熊谷一弥柏尾誠一郎が獲得しています。
それでも、主催者は日本の国旗を用意していなかった。
どれだけ日本をナメくさっていたのかという話。

付け加えるなら大東亜戦争はまだ影も形もありませんから、開催国のオランダも別に敵国ではありません。
にもかかわらず、(今さら出島のよしみなどと情緒的なことは言いませんが)、ずいぶんとみみっちいことをしてくれたものでもあります。

まあ、黄色人種の「分際」で、五輪に出場できただけでも(独立国家だっただけでも)、大したものというべきかもしれませんが……
つまるところ、それこそが、白人至上主義が蔓延する戦前という時代であり、私たちの父祖が自らの血をもってしてでも変えようと挑んだ世界だったのかもしれません。

追記:
紙ヒコーキ舎 編著「日の丸 日本を知るための50景」によると、このとき掲げられた日の丸は、wikiの記述とは微妙に違って、「入場行進で使った秩父宮下賜の日の丸」だったとあるようです。どちらかが間違っているのか、同じ旗を別の言い方で描写しているだけなのか、さて?

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私たちの美しい日の丸・君が代―子供たちに伝える国旗・国歌物語
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101個の金メダル―オリンピックにおけるニッポンの活躍
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ラベル:国旗
posted by 蘇芳 at 19:52| 昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする