2018年03月23日

【動画】唱歌「さくら さくら」


当方のご近所ではまだまだサッパリですが。
地域によっては開花の便りも聞こえてきたりはしているようです?



やまとごころと人とはば~などというまでもなく、桜といえば日本人のこころの花ですが。
有史以来の最初からそうだったわけではなく、日本にとって桜がかくも特別な存在になったには、それなりの経緯や展開もあったようです。
たとえば「万葉集」に登場する「花」といえば、最多は「萩」で、次が「梅」、実は「桜」は三位にすぎないのだとか……聞いたことがあったような気もします。

平安時代に入っても、しばらくは盛んに遣唐使など派遣して、唐風文化がもてはやされた。その時代に「花」といえばまずは「梅」だったという話もありますし、京都御所の紫宸殿にある有名な「左近の桜」も、最初に植えられた当時は「左近の梅」だったという話もあるようです。それがいつのころからか桜に変わったらしいですが……
教えて!goo:紫宸殿前の左近の梅がなぜ桜に変わったのでしょう。
コトバンク:左近の桜・右近の橘(さこんのさくらうこんのたちばな)とは
京都おもしろ宣言:梅あらかると
いつごろ変わったのかについては、仁明天皇の御代だったり、村上天皇の御代だったり、はたまた菅原道真が替えたという説もあるようですから宇多天皇か醍醐天皇の御代という可能性も残り、ハッキリしないようです。
菅原道真といえば「東風吹かば~」でむしろ一般的なイメージでは梅と縁の深い人ですから、無理やり感もあり、伝説の類かもしれませんが。同時に、菅原道真といえば遣唐使を廃止し、国風文化隆昌のきっかけを作ったとも目されていますから、中華的なイメージの強い梅を排除したという伝説が生まれる余地も、あったかもしれません?

桜といえば、当然、和歌文学との結びつきも強いわけですが。
最初の勅撰和歌集「古今集」が編まれたのは醍醐天皇の御代。それこそ、道真が生きた時代です。
それ以前に編まれた勅撰集といえば、嵯峨天皇の御代の「凌雲集」「文華秀麗集」、淳和天皇の御代の「経国集」と、勅撰は勅撰でもすべて漢詩集でした。当然、そこで「花」といえば、まず第一には「梅」だったでしょう。
そう思えば、嵯峨天皇の子であり、淳和天皇の甥である仁明天皇の御代に、左近の梅をわざわざ桜に替えたというのもおさまりが悪い話。
醍醐天皇の御代なり、その皇子である村上天皇の御代、という説の方が、感覚的には納得いきやすい気はしないでもありません。

いずれにせよ、支那の呪縛から自立して、日本ならではの文化的自覚を深めていく中で、文学史の上からも、漢詩の梅、和歌の桜、というような棲み分けが進んでいったということはありうるでしょうし、当の平安時代よりも、もっと後世になってから、より強固になったその棲み分けの意識が、事後的に過去に投影されることもあったかもしれません。
梅好きで有名な道真が桜を植えた主人公にされてしまうのも(それが史実ではなく伝説であるとするならば)そうした投影の一種かもしれません。
他にも、小野小町の「花の色はうつりにけりな~」の「花」は、桜のことだと後世の私たちはついつい思ってしまいがちですが、実は梅ではないかという説もありはするようです。そういえば、小野小町ゆかりの寺として有名な随心院は、梅の名所ですね。
史実の詮索は、今となっては、容易に結論も出せないかもしれませんが、こうした「意識」の変遷については、先人の書き残した言の葉のなかから、掬い上げていくこともできるのかもしれません。

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ラベル: 音楽 唱歌
posted by 蘇芳 at 20:32| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする