2018年03月14日

【動画】米つくり 制作:佐藤一夫


NPO法人科学映像館から。


動画概要:
2018/03/09 に公開
米つくり
制作:佐藤一夫
1960年代後半 カラー 無声 8mm 12分
稲の苗作り、田の整備 田植えからコメが実るまでの様子を詳細に描いた作品。このころには田んぼの整備に耕運機が使用されていたり、隣近所の共同作業で行う田植えの様子など興味深い作品。

当方の近辺には今でもまだ幾分かは田畑が残されていて、こうした光景を見る機会も完全には失われきってはいませんが。。。
その「機会」、今後、減ることはあるとしても、増える見込みは、さて、どうでしょうね?

自虐史観払拭、戦後レジーム脱却、日本を取り戻す。
それらの掛け声とともにようやく日本の日本たるゆえんにも注目が集まり、伊勢の式年遷宮ブームなども重なって、「米」や水田稲作についても蘊蓄が流通したりもしましたし、当ブログも御多分に漏れず便乗してきましたがw
日本のこころを探して:
【動画】「日本のこころ」 稲穂 (いなほ)
【動画】天皇陛下は、どうして稲刈りをなさるの?~神嘗祭や新嘗祭~[#30]
【動画】【KSM】「新嘗祭(にいなめさい)」って何ですか? 11月23日 勤労感謝の日
【動画】新嘗祭(にいなめさい)の歌 11月23日 / 祝日大祭日唱歌八曲
【動画】神嘗祭(かんなめさい)の歌 10月17日 / 祝日大祭日唱歌八曲
斎庭稲穂の神勅ガー新嘗祭ガーといくらわめいてみたところで、稲作そのものが多数派の日本人の日常から縁遠いファンタジーになり果ててしまったら、どうなるのだろうか、と、うすら寒い気がしないこともありません。

 日本の神話では、いはゆる天孫降臨といふ。高天原から皇孫命が天降りされるとき、神聖な稲穂を、天上の神からこと寄さされた。そのとき神勅があつて、この米を作つてくらしのもととするなら、地上においても、また、天上の神々と同じくらしの風儀ができる。地上の國もみな、天上の神々の國と等しい神國となるだらう、と敎へられた。この責任を神に對し負ひ給ふのが皇孫である。すなはち天皇陛下である。このことを西洋風の原罪といふ思想と照合すると、天降りの精神において、まつたく異なることがわかる。わが國の神話には原罪の思想はないのである。
 わが國の神話は、このやうに農耕の神話である。多くの民族神話は、闘ひや、爭ひから、ときには自然の證明から始まる。しかしわが國の神話は、絶對平和の根柢を生活として敎へる神話である。この神話をもつとも精密に傳へたのが、延喜式祝詞である。封建末期の國學者鈴木重胤大人は、延喜式祝詞は日本の國の憲法だといつてゐる。
保田の御高説は耳に心地よいですが。
音声解説の一切ない、上の動画を見て、作業の意味がわからない、という子どもや若い人や、いわんや大人が増加し、ついに日本人の大多数を占めるに至るとしたら、それでもなお、それは日本のこころとして生きつづけていると言えるのでしょうか。
今はまだそこまでではないにしても、やがていつの日か、「農」の実践が、平均的な日本人の生活から遠ざかり、専門職や、贅沢な趣味や、あまつさえ移民政策の道具になり果てるとしたら……
コメがコメがという稲作浪漫主義もまた、所詮は書斎人の自慰的夢想にすぎないという笑えないオチに帰着し終わるのかもしれません。

かく言う私も、貸農園で野菜作りの真似事くらいはやっていますが、米作りの経験はないですし、近所に水田があるといったところで、田植え以前の苗づくりの工程までこんなじっくり見たことはありません。わりと雑にバラ撒きしている光景とか、何げにリアルで興味深い動画でした。

ちなみに……

そのまま直播きで育てればよさそうなものを、わざわざ引っこ抜いて束ねてあらためて田植えするというのは、ともすれば無駄な二度手間のようにも見えるかもしれませんが、そうして稲を整列させるだけで、単位面積当たりの収量が飛躍的に増加するとか何とか。
ネットの愛国者方面の定番ネタに無理やりこじつけるとするならば、有名な〝ダショー・ニシオカ”こと西岡京治氏のブータンにおける数ある業績の一つが、稲を整列させて収量を上げる「移植農法」の普及だったとか何とか、聞いたことがあったようななかったような気がします。
Wikipedia:西岡京治
(3/15追記:正しくは「並木植え」だったようで。苗の植え替えの有無は関係ないかもしれません。こちらの動画参照)

西岡氏にかぎらず、ネットにあふれる〝ニッポンスゴイ”ネタは枚挙に暇がありませんが……
その凄さの多くが、日本人自身にとっては、本来、「当たり前」のものでもあったように思います。
しかし、また、そうした「当たり前」や「普通」は、長い歴史の中で培われてきた「スゴイ」知恵に裏打ちされてこそ、はじめて、「当たり前」や「普通」でありうるとも言えるのでしょう。
(コメの「移植農法」も、やはり、日本人にとってはすこぶる「普通」の水田稲作農法。面倒だからと直播きですませていては、かえって奇異の目で見られるレベルでしょう。しかし、その「普通」が確立されるまでにはそれこそ斎庭の稲穂の神勅以来の長い長い技術的積み重ねがあったはず)
その素晴らしい「当たり前」や「普通」が、多数派の日本人にとって、「特殊」で「普通でない」何かになってしまわないように……願わずにいられません。

ちなみに上で「貸農園で野菜作りの真似事」云々と言いましたが。貸すほど農地が余っているということが、要するに農家の高齢化で自作しなく(できなく)なっているということでなければよいのですが。地主さん八十いくつでしたっけねぇ……
Amazon:
コメと日本人と伊勢神宮
校註 祝詞 (保田与重郎文庫)
太陽と稲の神殿―伊勢神宮の稲作儀礼
伊勢神宮 水のいのち、稲のいのち、木のいのち


追記:
ダショーの業績はさておいて。
最近の日本では一周回って直播農法がかえって妙にもてはやされたりもしているらしいとか何とか。
まあ、植え替えしなくていいなら単純思考で楽そうには思えますし、兼業や趣味的帰農やらセカンドライフやら何やら、余裕をかまして米が作れるけっこうなご身分の人には需要もあるのかもしれない気はします。
とはいえ、この手の変則農法をヘンに理想化してもてはやす輩というのは、(私の偏見ならそれに越したことはありませんが)、エコがどうこう自然がどうこうと夢見がちな左巻きが多い気がしないこともなく……
今よりはるかに農業が一般的だった時代に先人が捨てて顧みなかったにはそれなりの理由もあるのでしょうから、○○にヤサシイ式の安易な標語に踊らされる前に、ちゃんと実践的な経験談とかにも耳を傾けておくべきかもしれません。
農家こうめのワイン:直播農法あれこれ
 直播農法は苗を作らずに済むため、省力化できるとしてしばらく前から普及してきた方法です。条件さえ合えば良い方法でしょうが、個人的に言わせてもらうと日本ではその条件に合う場所がかなり限定されると思います。一旦ははじめたが、やっぱりやめた、という人も案外いて、もちろんメリットを感じて続けている人もいますが、少なくとも評論家どもが軽く「省力化!」と宣伝できるようなものではありません。
ラベル:植物 農業
posted by 蘇芳 at 21:19| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする