2018年02月28日

【動画】戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎


北方領土返還運動全国強調月間とやらも残すところ今日一日。
内閣府:「北方領土の日」「北方領土返還運動全国強調月間」関連事業一覧(平成30年)
当ブログでもいくつか動画を視聴しましたが……
それらにしばしば登場した樋口季一郎将軍には、占守島の他、オトポール事件やキスカ島撤退作戦などの挿話があります。今月の最後に、それら樋口将軍の足跡を一通り押さえた動画を、ひとつ。。





(※英語版は日本語版の半分以下の時間。キスカ島・占守島は割愛。オポトール事件の部分のみのようです)
動画概要:
1)2015/10/02 に公開
氷点下20度の極寒の地、ナチスの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人難民は満州とソビ­エトの国境オトポールで立ち往生していました。
満州国外交部はドイツの目を気にして入国を拒否するなか、当時、ハルビン特務機関長であった、樋口季一郎少将は、二万人ともいわれる凍死寸前のユダヤ人難民の命を救ったのです。

「日本はナチス・ドイツの属国ではありません。ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめ­することが、正しいことですか」

当時、関東軍の東条英機参謀長に、樋口季一郎少将は正論をぶつけました。リトアニア領事館で杉原千畝が「命のビザ」を発給する2年前のことでした。

樋口季一郎は、また、米艦隊に包囲され、玉砕必至のキスカ島守備隊520­0人の無血脱出を成功させ、さらに終戦後に北方に侵攻するソ連軍への「断乎反撃」を命じ、ソ連の北海道占領の野望­を砕いて、占守(しゅむしゅ)島での日本軍最後の勝利をもたらしています。
これら三つの「奇跡」をもたらしたのは、常に人道に立脚した樋口の決断でした。
現在の日本がおかれている安全保障における危機的状況を打開するためにも、人として正しい道を貫いた樋口季一郎の「志」を学ぶことはとても大切なことだと思いま­す。

樋口季一郎元陸軍中将のお孫さんで、明治学院大学の樋口隆一名誉教授に24歳まで同居­していた祖父から学んだことや秘話、思い出を語っていただきながら、決断の人、樋口季­一郎元陸軍中将の歴史的偉業に迫っていきます。

英語版「The Miracle of General Kiichiro Higuchi」
https://youtu.be/VYSvrgFWTAQ

2)2015/10/21 に公開
The Miracle of General Kiichiro Higuchi

The year 1938.In the extreme cold of temperatures below 20 degrees, many Jewish refugees fleeing from Nazi persecution were held up in Otopol at the Soviet border of Manchuria.
While the Manchukuo Foreign Ministry Immigration Office refused to grant them visas due to the watchfulness of their German allies, the Harbin secret military chief at that time,
Major General Kiichiro Higuchi, saved the lives of those Jewish refugees on the verge of freezing to death, estimated to be up to twenty thousand.
He rightfully declared to the Chief of Staff of the Kantou Army, Major General Hideki Tojo: "Japan is not a vassal state of Nazi Germany. Is it truly correct for us to carry Hitler’s stick to make misery on unwanted people?”
It would be two years until Chiune Sugihara was appointed as Lithuanian Consulate in Kaunas and issued “Visas for Life”.

In this article, we speak with Ryuichi Higuchi grandson of former army Lieutenant General Kiichiro Higuchi and Professor Emeritus of Meiji Gakuin University, about what he learned from his grandfather, whom he lived with until 24 years of age. We will discuss memories and untold stories related to the “man of decision,” Kiichiro Higuchi, as we conduct an in-depth examination on the historic feats of the Lieutenant General.

「Chiune Sugihara Rememberd by Jewish Survivors」
https://youtu.be/XTrDeXjd0h4

「Nobuki Sugihara -the 4th son of Chiune Sugihara」
https://youtu.be/9MaEVNll6mU

日本語版「戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎」
https://youtu.be/4caq5e_toz8
産経ニュース:【正論】杉原千畝は有名なのに…樋口季一郎中将はなぜ忘却されたのか 新潟県立大学教授・袴田茂樹
Wikipedia:樋口季一郎

スターリンの謀略から始まった大東亜戦争。
【動画】共産主義者の大東亜戦争責任(1/3)
【動画】共産主義者の大東亜戦争責任(2/3)
【動画】共産主義者の大東亜戦争責任(3/3)
ラベル / 「じっくり学ぼう!近衛内閣」
ラベル / 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」
樋口中将たちが、最後の最後に、そのソ連の野望を挫いてくれたのなら、わずかに溜飲が下がる気もしないでもありません。
(もっと早く~と言いだせばキリはありませんが)

樋口将軍はもちろん、根本中将に至っては、日本ばかりか、台湾まで救っていますからね。。。
(「中華民国」は「台湾」かという問題はあるにせよ……少なくとも、台湾が「人民共和国」の手に落ちることだけは防いだわけで。金門島の戦いがなければ、70年前のとっくの昔に、中共が太平洋に侵略の手を伸ばすことにもなっていたわけでしょう)

小名木善行氏が動画内で言う通り、まさに「感謝しかない」わけですが。

その英雄たちに戦後日本がどう報いてきたのかを思うと、忸怩たるものもあります。

あの戦争を戦い抜き、生き残った軍人のなかには、戦後の日本に絶望する人も、左傾化する人も、珍しくなかったような話は、見聞きしないでもありません。
そこまでいかなくとも、
「戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔いもありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて、つまらん人生でしたね」
神立尚紀「祖父たちの零戦
といった空虚感や無力感のようなものは、誰しもが味わってきたのかもしれません。
(その一方で彼らを死地へ追いやったスパイやデュープスが戦後のうのうとのさばりつづけたことを思うと今更のように怒りが湧いてきます。
「一君万民の社会主義天皇制を念願したことは、意識すると否とに拘らず明白な事実である。国家統制経済を採用し、農魚山村経済に力を注ぎ、その疲弊を救う」(『別冊知性』昭和三一年一二月号 河出書房)
社会主義者がしたり顔で左翼雑誌に集って座談会。それが戦後日本か)

そんななか、孫の樋口隆一氏が語る「ベルリン」の挿話(51:32)にあるとおり、樋口将軍が(勝利の隠蔽への怒りとはまた別に)戦後も長く日本を守り抜いた「自負」を抱き続けておいでだったというのが、事実だとすれば、せめてもの慰めとも言うべきかもしれません(将軍本人というより私たち自身にとって)。

そうした自負を胸奥に「秘める」ことしか許さなかった、戦後日本の「自虐」……
単に恥辱である以上に、亡国の基でもある、その迷妄から、いつになれば、目が覚めるのか。いかにして目を覚ますべきか。
過去に対する決着は、動画の最後のまとめに見る通り、現在ただ今の安全保障・国家存亡の危機に直結する問題でもあるようです。
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ユダヤ難民を救った男 樋口季一郎・伝
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指揮官の決断―満州とアッツの将軍 樋口季一郎
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陸軍中将樋口季一郎回想録
流氷の海 ある軍司令官の決断
posted by 蘇芳 at 20:48|  L 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする