2018年02月10日

【動画】「池田末男」北海道をソ連侵攻から護った「戦車隊の神様」天神山で発した士魂の訓示


2月7日はすぎましたが、2月いっぱいは北方領土返還運動全国強調月間てふことで。
内閣府:「北方領土の日」「北方領土返還運動全国強調月間」関連事業一覧(平成30年)
まあ、肝心の内閣総理大臣が侵略者の親玉とオトモダチ~とか言ってりゃ世話ないですが。


動画概要:
2017/09/10 に公開
●池田末男 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%9C%AB%E7%94%B7

●占守島の戦い(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

こちらにも登場した池田末男連隊長。
涙なしには見られません、と、口で言うのは簡単ですが。
娯楽映画ではなく史実。単に「感動」していればそれでいいというものでもないでしょう。
あるいは白虎隊となり玉砕を以て民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか
彼らの問いかけを、文字通り「後世」の私たちは、きちんと受け止めてきたでしょうか?
問いかけそのものを「忘却」してはこなかったでしょうか?

もちろん、そこに、反日勢力による意図的な隠蔽・歪曲があったことは間違いないでしょうが……

同時に、国民全体が「恥を忍んで将来に仇を報ぜんとする」気概を喪失してしまったという側面も、そこにありはしなかったでしょうか。
その「喪失」もまた反日プロパガンダによって作為されたものではあるにしても……
そのプロパガンダにたやすく迎合する風潮、隠微な共犯関係が、戦後日本の「空気」に、皆無だったといえるでしょうか。
それこそは、敵にとっての「思う壺」であり、要するに、プロパガンダ戦・宣伝戦における民族の敗北でもあったのではないでしょうか。

wikiによると、池田末男の陸軍戦車学校時代の教え子の一人に「司馬遼太郎」がいると言います。
四平の陸軍戦車学校の教え子に作家の司馬遼太郎がおり、司馬は池田から大いに薫陶を受ける。のちに、「いまでも、私は、朝、ひげを剃りながら、自分が池田大佐ならどうするだろう」と自問し、「わからない。何十年たっても答えが出ない」と述べている[1]。
その三文文士が、明治に遡って嘘八百の乃木愚将論を捏造までして、帝国陸軍を辱しめ、海軍善玉論という虚偽の流布に大いにこれつとめていたのですから、世話はありません。
Wikipedia:陸軍悪玉論
そのため、戦争を生き残り復員した学徒出身の元海軍軍人は、その待遇の良さから戦後も「海軍贔屓」になり易く、こうして戦後社会での有力者たちの間で「陸軍悪玉・海軍善玉」の声がはるかに大きくなり、これが一般的なイメージとして形象化されていった。特に作家阿川弘之(富裕層出身、東京帝国大学卒業、海軍兵科予備学生第2期)がこの代表格であり、阿川は徹底的な陸軍嫌悪・過度な海軍賛美を著書や発言で繰り返している。陸軍出身者では司馬遼太郎などもこうした傾向を固定化させる上で代表的な役割を果たした文化人の一人である。
司馬には司馬なりの言い分があるのかどうだか知ったことではありませんが……
こうした似非史観の蔓延もまた「戦後レジーム」のひとつの側面ではあり、超克されなければならにもののようには思えるのです。
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北海道を守った占守島の戦い
一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場
8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記
司馬遼太郎と東京裁判―司馬歴史に潜む「あるイデオロギー」
posted by 蘇芳 at 20:06|  L 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする