チャンネルくららから。
動画概要:
2018/02/04 に公開
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実朝暗殺にも将軍継嗣問題にも触れずに承久の変を語る歴史家がまさか実在するとは思いませんでしたが……
Wikipedia:承久の乱まあ、倉山氏の目にはそう見えているのかもしれません。
源実朝は歌人としても有名ですが、その作品に、
大君の勅をかしこみ ちちわくに心はわくとも 人に言はめやも
山はさけ海はあせなむ世なりとも 君にふた心わがあらめやもなどがあり、「大君」への忠誠心と、それゆえに揺れる心情が詠われています。
さらにいうと、実朝の正室・信子は後鳥羽上皇の御生母藤原殖子(七条院)の姪に当たる、というような縁故もあったようです。
Wikipedia:坊門忠信上皇と実朝の関係は基本的に良好であり、〝あるべき朝幕関係”について、何らかの合意に達しえた/達していた可能性はあるかもしれません。後鳥羽天皇の生母藤原殖子(七条院)を叔母にもち、姉妹に源実朝室の信子、後鳥羽天皇女房の坊門局、順徳天皇女房の位子らがいる。
その実朝が暗殺され、頼朝嫡流の将軍家が断絶。鎌倉幕府自体が北条に乗っ取られるわけです。
公暁が何を思って実朝を襲ったのか、真相は謎とされていますが、同時に、現在に至るまでさまざまな陰謀論・黒幕説がささやかれつづけていることもまた事実。
Wikipedia:源実朝 > [注釈 6]こうした犯人捜しは現代の私たちにとっては単なる「ミステリー」ですみますが、当時の関係者たちにして見れば、政治的利害にもことによると生命にもかかわるかもしれない重大な「謎」でしょう。^ 落命の件は、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれた為だとする説がある。ただし、その黒幕の正体については北条義時、三浦義村、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀、後鳥羽上皇など諸説ある。北条義時黒幕説の代表的なものとして龍粛(『鎌倉時代 下(京都)』春秋社、1957年)、安田元久(『北条義時』吉川弘文館、1961年)など。三浦義村黒幕説は永井路子が小説『炎環』(光風社、1964年)で描いて以来注目され、石井進がその可能性を認め(『日本の歴史7 鎌倉幕府』中央公論社、1965年)、大山喬平(『日本の歴史9 鎌倉幕府』小学館、1974年)、上横手雅敬(「承久の乱」安田元久 編『古文書の語る日本史3 鎌倉』筑摩書房、1990年)などが支持している。北条・三浦ら鎌倉御家人共謀説は五味文彦(「源実朝-将軍独裁の崩壊」『歴史公論』、1979年)が、後鳥羽上皇黒幕説は谷昇(「承久の乱に至る後鳥羽上皇の政治課題 -承久年中「修法群」の意味-」『立命館文学』588号、2005年)が提唱している。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところにこの事件の最も大きな要因を求める見解もあり、山本幸司(『日本の歴史9 頼朝の天下草創』講談社、2001年)、永井晋(『鎌倉源氏三代記 一門・重臣と源家将軍』吉川弘文館、2010年)、坂井孝一(『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』講談社、2014年)、高橋秀樹(『三浦一族の中世』吉川弘文館、2015年)、矢代仁(『公暁―鎌倉殿になり損ねた男 』ブイツーソリューション、2015年)などが公暁単独犯行説を取っている。Wikipedia:公暁 > 実朝暗殺公暁の犯行の背後には、北条氏の源家討滅[3]、あるいは北条氏の政敵で公暁と近しかった三浦氏による北条打倒[4]、または将軍親裁を強める実朝に対する北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀[5]、もしくは後鳥羽上皇による幕府転覆の策謀[6]などが存在したのではないか、と後世の研究家に推測されている[7]がいずれも確証はない。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところに、この事件の最も大きな要因を求める見解もある[8]。
上のような上皇と実朝の関係からすれば、上皇もまた、実朝の死に不審の念を抱かれたとしても、おかしくはありません。
暗殺犯公暁は北条によって誅殺されますが……もしもその公暁の誅殺が、誅を装った口封じにすぎなかったとしたら?
それこそ「司法」とは何だという話になりかねません。
まあ、それについては確証の無いことであるから問わないとしても……
臣下の家来にすぎない北条が三上皇を配流し奉ったことを、皇室を滅ぼさずに云々と称賛するに至っては、立場によっては、議論というより喧嘩の種にもなりうる話でしょう。
上皇を三人までも配流してまでして、北条が「改革」したという「社会の矛盾」とは何か? もう少し突っ込んだ説明が必要ではないでしょうか。
「大君の勅をかしこ」む将軍が暗殺され、将軍の家来が「大君」を「島流し」にする。この大転換はそも何か? 前後の政治状況を棚に上げ、下世話な痴情に還元して上皇を嘲笑していればそれですむというのなら、それはそれで倉山氏らしくはあるかもしれませんが……素直に鵜呑みにしてよい「世界史」なのかどうなのか、即断は避けたほうがよいかもしれない。そう思わせる動画ではありました。
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承久の乱と後鳥羽院 (敗者の日本史)
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追記:
いつもながらどのへんが「世界史」なのか、微妙に羊頭狗肉な気がしないでもないくららでしたが……
一応、前半で登場したモンゴルと、後半で登場した北条が、やがて激突するのが元寇ではあります。
日本のこころを探して:【動画】すばやく学ぼう!歴史人物伝「18歳で総理大臣!日本を救った英雄 北条時宗」そういう意味では、日本を防衛するためには、上皇が敗北され、北条専権体制が確立された方がよかった、という言い方もできるのかもしれませんし、「英雄」時宗が生まれたのは義時がいたからだ(だから義時は正しい)、という言い方さえ、できなくはないかもしれません。あまりにも後知恵の結果論すぎる気はしますが。
しかし、政治的に偏向した史観というものは、往々にして、そういう御都合の逆算によって組み立てられるものではあるかもしれません。
今回の動画を視聴するにあたっては、承久の「乱」こそは、まさしく、そうした、論者自身の政治性によって評価が大きく左右されてきた事件の一典型であることを承知したうえで、幾重にも眉に唾をつけておいても、よいような気はしないでもありません。
Wikipedia:承久の乱 > 承久の「乱」と「変」