2018年01月28日

【動画】「大間違いの織田信長」海上知明(日本経済大学教授)倉山満


チャンネルくららから。


動画概要:
2017/08/12 に公開
★8月19日新発売!『大間違いの織田信長』倉山満著 :http://amzn.to/2rJlYON
●実は上司にしたいナンバーワン!織田信長
●「兵農分離の常備軍だったから戦争に強かった」は間違い!
●真のマキャベリスト織田信長
●「寝ずに働け」ではなく「寝ずに働く」
●ルイス・フロイス『日本史』はNYタイムズ?
●常に上・中・下策を用意していたから運を味方にできた
●カリスマではなく名キャプテン
●34歳信長の決断とは

「マキャベリズム」といえば現実主義・リアリズムの代名詞みたいなものですが、信長のことを「真のマキャベリスト」と言っておきながら、同時に、守りに入らず勝負に出た、信長のある意味非常識な「決断」について「考えてほしい」と言っている(13:10)のが、倉山さんらしい気はしないでもありません。「命には賭け時がある」と言ってみたり、高杉晋作の非常識・非合理な決断が日本を救ったと言ってみたり、幕末の政局について、
 「現実的」とは、えてして大勢順応妥協的になりがちだ。その「現実的」姿勢が結局、国家を破滅に導くことは往々にしてある。なぜならば、現実が大劣勢の際に最善手だけを着手し続けても、破滅するだけだからである。
 敗勢の局面において必要なのは、劣勢の現実に耐え続け、最初の好機が到来した際に勝負手を打てるかどうかである。「現実的」な人間には、勝負はできない。たとえば、「いまだ最大派閥の領袖である徳川慶喜を抜きにした政権は“現実的”ではないから、慶喜中心の雄藩連合政権を作ろう」といった具合に。
 いつの時代にもいる、この種の主張を繰り返す御仁には、その「現実」を打破しなければ破滅するという「現実」が見えていないのだ。
と総括したりもする倉山氏が、普段の露悪的な言動の裏で、実は内心に秘めているかもしれない情念のようなものが垣間見えるような気がしないでもない動画でした。
まあ、その同じ情念がこじれるとこちらで引用したような状態にもなるのかもしれませんが💧

閑話休題。

信長が(意外と)敬神家(として行動していた)という話はこちらでも書きましたし、そうなると自動的に神様の子孫≒天皇陛下に逆らえなくもなるわけです。
動画で言われているように、信長が「義理堅い」というのが本当なら、なおさらです。
神道の文脈だけでなく、実際の戦場でも、信長は、何度も正親町天皇に窮地を救っていただいてもいるわけですから……信長が「義理堅い」というのが本当なら、それこそ、頭が上がるわけがありません。

前回と同じ今谷明の「信長と天皇 中世的権威に挑む覇王」によれば、信長は、和平を命じる綸旨を正親町天皇に発給していただいた(信長の側から懇望した)ことが三度ほどあるそうですが、そのうち二度までが、織田方の敗色濃厚風前の灯火の瀬戸際だったとか。
一度目はいわゆる姉川の戦いのあと、勢いに乗る浅井・朝倉が三好三人衆や本願寺勢と呼応し、織田を追い詰めたとき。江濃越一和。(浅井・朝倉側から和議を願い出たという説もあるそうですが、今谷明は、敗色濃厚な信長のほうが正親町天皇に泣きついた≒袞龍の袖にすがったのだとしています)
二度目は将軍義昭との戦争中に、信玄上洛の報が舞い込んだとき。周知のとおり信玄はその途上で死没するわけですが、それがすぐに判明するわけもなく、信玄をアテにする義昭は意気軒高。当然、旧敵の数々も旗色をうかがうわけで。
いずれにせよ、勝利を目前とした(と思っている)浅井・朝倉や義昭の側に、攻撃の手を緩める合理的理由などありはしません。その浅井・朝倉や義昭に和睦を強制することが可能な御存在といえば、正親町天皇をおいて他になかったわけですし、実際、勅命という「鶴の一声」で、彼らは矛を収めているのだとか。

(※三度目の「勅命講和」は石山本願寺が相手で、このときばかりは軍事的には織田が優勢だったようですが。軍事的要衝であり堅城である本願寺を早期に無傷で手に入れたかったために、やはり信長が袞龍の袖にすがったのだ、と、今谷氏の前掲書にはあります。異説はあるでしょうが。いずれにせよ、信長が徹底して天皇の権威を「利用」している、と同時に、利用すればするほど、いわば「借り」を作っていくことになり、頭が上がらなくなっていくこと、前回も書いたようなスパイラルに陥っていくことは、間違いないように思います)

もちろん、こんな講和は信長にとっては単なる時間稼ぎにすぎないわけで、急場をしのいでしばらくすれば、反攻の準備を整えた信長の側から和議を破って、今度こそ相手を攻め滅ぼしていきます。
天皇陛下に泣きついて斡旋していただいた和議をあっさり踏みにじっているわけですから、ある意味、龍顔に泥を塗っているとも言えるわけで、これもまた「不敬」の一例かもしれませんが……
同時に、正親町天皇のおかげで、敗死が一転して勝者になりおおせているわけですから、それこそ、陛下に足を向けては寝られないとも言えるかもしれません。
違約の何のというのは、所詮、戦国の習いのお互いさま、油断した方が悪いとうそぶいておくのが「真のマキャベリスト」の面目とも言えるでしょう。
乱世の大政治家・正親町天皇もそれでうろたえるような「やわ」な天皇ではあらせられなかったのかもしれません。

今谷氏の著書には、
なにしろこの天皇は、一一歳のとき(大永七)将軍以下の出奔と柳本賢治らの入洛、一九歳のとき(天文五)天文法華の乱(下京焼亡)、三三歳(天文一八)のとき三好長慶の入洛、践祚翌年(永禄元)には将軍義輝が亡命先から入洛、四五歳のとき(永禄四)六角義賢の上洛、四九歳(永禄八)のとき将軍義輝の暗殺、と数限りない武家社会の有為転変を経験してきているのである。少々のことでは驚かなくなっているのである。
との記述があり、一般的に知名度がとても高い天皇というわけではないかもしれませんが、なかなかどうして、スゴイ天皇陛下がいらっしゃったものです。
今谷氏の前掲書の副題は「中世的権威に挑む覇王」ですが……挑んだ結果がどうだったかといえば、それこそ天皇陛下の「権威」に屈服し、覇王になりそこなったというのが、それこそ、信長の実像なのかもしれません?

本当の本当のところはもちろん私ごときにはワカリマセンが……

動画で名が上がっているような歴史ファンタジー作家の流布したイメージにとらわれることなく、いろいろな観点・論点の存在を知ることが、まずは学術以前の「教養」の入口にはなるのかもしれません。
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posted by 蘇芳 at 20:40| 戦国~織豊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする