2017年10月13日

若鮎さばしる


大正天皇には鮎をお詠みになった御製がいくつかある。
月かげにさばしる鮎のかげみえて夏の夜川ぞすゞしかりける
藤波の花のかげみる山川の清きながれに若鮎さばしる
かのあたり鮎やよるらむさし下す舟のかがり火しばしうごかず
最初の一首は明治時代、後の二首は大正六年の御製。
素朴な疑問だが、これらは実際の御経験だろうか。大正天皇は夜の川を泳ぐ鮎や、かがり火をたいて鮎をすなどる夜漁(鵜飼か?)の様を、実際に、目のあたり御覧になったのだろうか。

大正天皇といえば、皇太子時代の行啓は有名で、ほほえましいエピソードも伝わってはいるが、万歳万歳と行く先々で奉迎されていれば、鮎もビックリして姿を隠してしまいそうな気はしないでもない。
もちろん、行啓先ではさまざまなものを御覧にはなっただろう。地域の伝統の鮎漁をお目にかけよう、という催しもあったかもしれない。
しかし、そういう「イベント」があったとして、実際、どのていどのものだっただろう? 通り一遍、真似事程度の〝出し物”にすぎなかったのだろうか? 行啓の予定のごく一部にすぎなかったなら、そんなくらいがせいぜいだったかもしれない。

しかし、どうも、明治天皇の御代には、行幸の「ついで」ではなく、それ自体を目的とした「兎御狩」や「鮎御漁」が数日がかりでもよおされたことが、何度かあったらしい。
稲城市ホームページ:多摩川の鮎漁
歴代の将軍や明治天皇、皇族の人々も、たびたび多摩川をおとずれ、鮎漁を楽しんでいます。
大山格のブログ:明治天皇、兎を狩る 47
明治大帝陛下には明治十四年二月二十日御兎狩の為め連光寺村へ行幸あらせられ、其年六月二日再び同村多摩川に行幸あらせられ鮎御漁の天覧がありました。
この前後四度にわたる明治天皇の多摩連光寺行幸について、現在、もっとも手軽に読める著述は保田与重郎の「天杖記」あたりだろうか。

そしてそれは明治天皇だけのことではないらしい。
「天杖記」には、こうもある。
大正天皇が明宮と申し上げた御頃に、初めて行啓あらせられたのは、明治二十年八月二十一日、富澤父子の御案内にて鮎御漁を遊ばしたのである。時に御齢御幼くて九歳にわたらせられた。
同じ年の神嘗祭の日に、明宮には御學友を從へさせられ、再び富澤父子の御案内にて、御栗拾ひをこの地の山々で遊ばされた。次いで二十一年の神嘗祭の日にも行啓あつて、二十二年十一月三日皇太子に立ち給うて後も、二十五年、二十六年、三十三年、四十年、四十一年、四十二年と、その行啓の御囘數は、あとさき合せて九度におよび、或ひは地理御見學の御爲めや、鳥類御獵の御事もあつたけれど、殆ど過半の行啓は、鮎御漁の御催であつた。
なるほど前後九回となれば、よほど当地がお気に召していたのであろうし、その過半が「鮎御漁の御催」であったというなら、前掲の御製のような光景も一切ならず御覧になったと思ってよさそうだろうか。

どうも一口に皇太子時代の行啓と申し上げても、原武史「大正天皇 (朝日文庫)」あたりが政治的底意を以て描きだすそれとは、ずいぶんと印象が違っているようでもある(原氏の著書は行啓の日程に注目して評価を得たらしいが、氏が大正天皇をヨイショして見せるのは、所詮、その対照として、来る昭和に「軍靴ガー」と罵声を浴びせるための下準備にすぎないのではないかと思えてならない。下種の勘繰りなら恐縮だが、版元が版元だ)。

「天杖記」はもちろんあくまで明治天皇の多摩行幸をめぐって書かれた書物ではあるが、天皇のすすめもあってか皇后や皇太子も多摩へ行啓遊ばされたことには触れてあり、皇太子についてはさらに一場の佳話が載せられてもいる。
大正天皇は御代知らす以前、九度にわたり多摩連光寺に行啓遊ばされたが、そのつど富澤父子が御案内に仕へ奉る例であつた。四十年八月二日の、幾年ぶりかの鮎御漁の御時と傳へられるが、いたく老いた富澤政恕が、なほ御供の中に奔走してゐるのを、御見出し遊ばされたので、御傍近くに召寄せられ、老人の勞をいたはらせ給うて、その齢を御下問遊ばされた。既にこの時、政恕は八十四の高齢であった。御感殊に深き御さまにて、重ねて御慰勞の御言葉を賜ひ、御手づから御前の御菓子を下されつゝ、特に帽子を被つて、御座船の日覆の下に座し居れとの、恩命を拜したのであつた。さばかりの老翁とは申せ、皇太子に仕へ奉る誠なども敢て申さず、炎天の下河原を奔走することも、慣れ來つた人ゆゑ、如何ほどのことでもなかつたが、政恕は恩命を拜して胸ふたがり、老眼に感涙の滂沱と流れるのを止め得ず、たゞありがたさに、身動きもせずかしこまつてゐた。政恕は、この月二十九日、殆ど老衰のために永眠したのであつたが、臨終に到るまでくりかへしくりかへしたことは、この時この君の御仁慈の御言葉であつたと傳へられてゐる。
大正天皇については、前掲原書の他にもいくつか伝記を読んだことはあるが、
Amazon:
大正天皇―一躍五大洲を雄飛す (ミネルヴァ日本評伝選)
大正天皇 (人物叢書)
嗚呼大正天皇 合本版 (パブリックドメイン NDL所蔵古書POD)
「天杖記」以外で、このエピソードを読んだ記憶は、どうにも思いだすことができない。
そういう意味で、「天杖記」のこの一節は、貴重な記録であろう。

これら「九度」におよぶ多摩行啓について、とりわけ富澤政恕の挿話を知るか知らぬかによって、冒頭に掲げた御製の味わいも、深みがまるで違ってくる。
さばしる鮎は、ただ生物学的な意味で魚であるというだけでもなければ、詩的情趣を喚起するための単なる文芸上の記号でもない。若き日の大正天皇の、君民相和す行啓の佳き思い出のよすがである。のではないか?
さらに牽強付会するなら、大正六年に回想されたさばしる〝若”鮎には、若き日の溌剌とされていた大正天皇ご自身の投影を見ることも、できなくはないかもしれない。
月かげにさばしる鮎のかげみえて夏の夜川ぞすゞしかりける
藤波の花のかげみる山川の清きながれに若鮎さばしる
かのあたり鮎やよるらむさし下す舟のかがり火しばしうごかず
保田与重郎など最近ではあまり読む人もいないかもしれないし、私もさほど詳しいわけでもないが、この「天杖記」一篇をもってしても、完全に忘れ去ってしまうのは勿体ない作家であるかもしれない。
Amazon:
おほみやびうた―大正天皇御集
鳥見のひかり/天杖記 (保田与重郎文庫)
posted by 蘇芳 at 22:47| 大正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする