2017年10月05日

幕末領土主権所在地


ということで「世界と戦った日本人の歴史~幕末激動編」を視聴し終わったわけですが。
いつもながらくららの動画というのは今一つ食い足りない。
面白おかしくエピソードを語るのはよいが、快刀乱麻の痛快さというのは、結論ありきの単純化に通じかねない危険もあり、異論・異説を「切って捨てる」ことは、異論・異説に対する論理的な「反論」「批判」の放棄になりかねない。

反論できないこととしないこととの間に違いがあることは認めてよいが、では倉山氏がどちらなのかといえば、おそらくちゃんと考えはあるのだろうが、面白おかしく語ることに傾注しすぎて動画としては曖昧になっている憾みなしとしない。こと幕末維新に関しては、維新肯定が自明の前提とされすぎて、論証不足を感じる場面がしばしばあるような気はする。

別に当方も維新がダメだとか不要だとか言うつもりは無いが、昔から、玉石混交のアンチ薩長史観が提示されつづけ、時々流行するのも事実ではあり。それでは維新が起こらなければ日本はどうなっていたというのか、彼らが主張するように薩長などよりはるかにスバラシイ日本を築くことができたのか。否定するにせよ肯定するにせよ、一度くらいは、正面切っての議論をくららでも聞いてみたい気はする。

とりあえずど素人のにわかにすぎない当方的には、維新の必要性≒幕藩体制の欠陥については、当面は、こちらで書いたように考えてみるわけだが……

あらためて振り返ってみると、今回視聴した動画シリーズにも、そうした幕藩体制の特徴が垣間見える挿話はしばしば含まれていたようには思う(必ずしも倉山氏が強調しているとはかぎらないが)

一例として、こちら、高杉晋作の古事記暗唱の挿話。
これは、倉山氏お気に入りのエピソードらしく、複数の動画でくりかえしおもしろおかしく語っているのを見た記憶があるが……



あまり面白おかしく語りすぎて、重要な本質が見えにくくなっている気がしないこともない。
が、あらためて考えてみればすさまじい。
というのも、普通に考えれば「彦島」というのはいうまでもなく日本の国土、日本領土ではないか?
にもかかわらず、外国からその租借がどうこうという交渉を持ちかけられている、その一方の主体が長州藩≒山口県なのだ。

つまるところ、
日本領土をよこせ/よこさぬという交渉を、
朝廷でも幕府でもない、
山口県が勝手に外国とやっている

というのがこの場面ではなかろうか。
いったい日本の国家主権・領土主権はどこにあるのか。朝廷か、幕府か、諸大名か。

日本の領土主権を長州一藩の裁量で左右できると万一認めてしまえば、大変なことになる。長州にそんな決定権はない、何となれば天地初発時より云々、大八洲国は皇祖天照大神の事依佐志によって日向高千穂峰に天降りましし皇御孫命に云々、日本国はすべてかけまくも畏き天皇陛下がしろしめされる不滅神州であって、その一片をも割くことは天地人ともにこれを許さず云々、というのが、あえて言うなら高杉の古事記暗唱のロジックであって、日本の「持ち主」を明確化し、長州に領土交渉を持ちかけるナンセンスを主張している。無意味な呪文・経文・アブラカダブラの類を暗唱して単にケムに巻いただけというのとはわけが違うとも言いうるわけだ。

しかし、現実に「藩」と英「国」との交渉は始まってしまったわけで、国家のアイデンティティが問われ、一気に無化さえされかねない危機だったには違いない。
高杉が愛国者だったからよかったものの、たとえば現在、尖閣をよこすのよこさないのという「交渉」を、日本政府ではない沖縄県庁が勝手にやりはじめたらどうするのか。
スパイ防止法ひとつ持たない戦後日本が言えた義理ではないが、それはそれとして、幕藩体制もまた、地方自治体がてんでバラバラ手前勝手に諸外国と戦争・外交を独自に行うことが不可能ではないほどに、過剰に分権的な体制だったことは、この一事をもってしても明らかであるように思える。

それはもともと薩長に謀反気があったからだとも言いうるように思われるかもしれないが、そういう謀反気の湧出がほぼ必然化してしまうのが、幕府というシステムの本質であるようにも、当方などには思える。
何となれば、そもそも幕府というのは、「内戦」の勝者が力によって旧敵を従えるために構築したシステムであり、潜在的には諸大名をこそ最大の仮想敵としているように思われるためだ。
お山の大将の力が衰えれば挑戦者が現れるのはサル山の必然であって、むしろ暴力による支配者の交代そのものをシステム内部に包含せざるをえないのが、力による支配のモデルではないのか。支那の易姓革命などはまさにそれだ。(皇室を戴く日本全体としては革命のシステムを有しないが、皇室と無関係に生起しうる武家の内部抗争においては、さて、どうか)

こちらで平安時代関連のいくつかの記事にリンクしておいた。そのくりかえしになるのでくどくは言わないが。
外国の侵略に備えて武備を固めた天武天皇の御代、整備されたのは「公地公民」の制であり、すなわち軍制もまた「公軍」の制だった。
しかしやがて土地の私有、荘園の拡大は、「領地領民」を発生させ、それを防備する「私兵」の形成を促したように思える。
源氏や平氏といったそうした私兵集団相互の抗争・内戦の勝者が、それら無数の私兵集団を一挙にまとめあげ支配下に置くために、皇室の権威を借りて幕府を開き、擬制的に国軍に近いものを形成したのは、頼朝の天才だったかもしれないが、「擬制」はどこまでいっても「擬制」にすぎないとも言える。征夷大将軍はわずか三代で形骸化した(今現在の日本人の歴史の常識としても、北条執権の名は何人か知っていても、鎌倉将軍の名前など知ってるほうが変人という…そのていどのものになりはててはいまいか)。
その後も武家にとってはどこまで行っても「お家大事」、戦国乱世はもちろん、幕藩体制においても、私兵としての本質は変化しなかったように思える。

武士は「日本の軍人」ではない、どこまで行っても「殿様の家来」。
彼らの目的はあくまで主家の安泰であって、究極的には国家の命運などはどうでもよいとさえ言えなくはない。
幕府のために戦えと言われても、それが「お家」にとって損か得か。シビアに見定めたうえで、得にならぬと考えたなら、抜け駆け、日和見、サボタージュ、何でもありだろう。
国政になどかかわる必要がないとする長州の「俗論派」の現実主義はそうした「殿様の家来」の行動原理としては実に正しいに違いない。
しかし、国政にかかわらないということは、日本が滅んでも知ったことではないという退嬰的態度にすぎないとも言える。
そうした普通に現実的な日和見主義者たちに比べれば、ある意味、薩長のように、自ら徳川にとって変わろうとする、「野心家」や「テロリスト」のほうが、国家にとってはまだしも有用だったとさえ言えるかもしれない。野心家は力によってでも国家の「統一」を目途とするだろうからだ。
(たとえ汚い手段によったとしても天下統一は天下統一に違いない。同じ日本人による政権交代と、外国による侵略・支配と、どちらがマシか。詭弁を弄することは可能だし、外国に「解放」されたほうが幸福な国や民族も存在するかもしれないが、こと日本に関してはその例に入りはしない)
また、目的が手段を正当化するというのがテロリズムの主張なら、薩長は手段を正当化するに足るだけの目的を提示し達成する責任を負うことにもなろう。

つまるところ、明治維新や薩長史観を否定するためには、単に薩長の悪どさを倫理的に非難するだけでは、意味がない。
彼らが構想し、ある程度は実現した「皇軍」「国民国家」の是非が問われなければならないし、また、会津や幕府がそれ以上に優れた対案・青写真を持っており、なおかつ十分な実現可能性が見込まれたということを、論証しなければならないのではないか。
また、逆に、明治維新や薩長を肯定し称賛する論者にとっては、会津や幕府による新政府構想の可能性/不可能性を、真面目に検討したうえで批判することが必要ではないだろうか。

もちろん、当方ごときど素人の手に負える話ではないが……
だからこそ、著書や動画などを世に問うている識者には期待したいところではある。
posted by 蘇芳 at 15:38| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする