2017年10月03日

【動画】世界と戦った日本人の歴史~幕末激動編 第19回・最終回「功山寺決起 ~一人の若者の決意が 日本を救った」


チャンネルくららから。



戦争目的=正義を示すこと。
というのは、いかにも松陰の弟子ですが。
松陰にかぎらず、日本人はこういうのが好きですね。
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
有名な松陰の言葉を聞いたとき、多くの日本人は、ついつい、それと意識することもなく、自然に、後半ではなく前半部分にこそ、軸足を置いてしまいがちではないでしょうか。
何かにつけモラルの根本を「死ぬことと見つけ」たがるのは、日本人の習い性なのかもしれません。

もちろん、死によって不朽になった人間や、その物語自体は、別に日本特有のものでもない、外国にもいくらもあるでしょう。日本に吉田松陰がいるのなら、ギリシアにはソクラテスがいます。その後の西洋などはイエスという「不朽の死」の上に文明を築いたようなものでもあります。
ただ、そうした特権的な不朽の死者を、単に崇め奉るだけではなく、実際に模倣し、自らそうした死の不朽を積極的に目指しさえする、そのハードルの低さは、日本において、微妙に目立つような気がしないこともありません。

イエスの死はあまりに特権的に聖化され、模倣を許さない「唯一」「絶対」の高みにまで祀り挙げられたのに対して、日本における偉人の死はいかに祀り上げられたところで「唯一」や「絶対」の高みに達することは決してなく、もっと「身近」なお手本として、模倣を(強制はしないまでも)禁止することもなかった。つまるところ前者は一神教で後者は多神教なのだ、というのは、あまりに安易な物言いでしょうか。

いずれにせよ、義に生きて義に死ぬ、生に執着しない理想主義は、潔さや気高さの源泉ではあるかもしれませんが、同時に、現実的な成果追及の努力を徹底できない弱点でもありうるかもしれません。

「頭の中、太平記の楠木正成」
「失敗したらただのバカ」

演技性パーソナリティ障害というか何というか……
椋梨藤太の目から見れば、高杉の行動など、幼稚な〝ごっこあそび”にしか見えなかったかもしれません。

結果的には、その高杉の〝正成ごっこ”こそが、維新回天をもたらしたわけですが……

結果が正義を証明する、勝てば官軍、というのは、歴史の「事実」としてはともかく、政策をめぐる「論理」としては弱いでしょう。
実際、維新不要論は、今も昔も、根強く唱えられつづけています。
高杉は勝った。維新回天は起きた。しかしそもそも、維新回天は、必要だったのか?と。

維新回天の偉業を「偉業」として評価しつづけるためには、「椋梨藤太流のリアリズムをつきつめていけば日本が亡びる」という倉山氏の主張を、もっと具体的かつ論理的に証明しなければならないようにも思います。
合理的に考えれば滅びるしかない状況、現実主義ではどうにも打破できない、どれほどの窮地に、当時の日本は追い詰められていたのか?
薩長の「成功」からはかえって見えてきにくい、幕藩体制の行き詰まりこそが、維新の是非を判断するポイントになりそうな気はします。
ちなみにこの動画シリーズの次のシリーズが、すでに視聴済みの「徳川慶喜の幕末世界史」だったようですが……
エゴイストだ何だと言われ放題だった慶喜こそは、まさしく、そうした「現実主義者」の権化だった。のでしょうか?