2017年10月01日

【動画】世界と戦った日本人の歴史~幕末激動編 第18回「高杉晋作、 大英帝国を追い返す」


チャンネルくららから。



何度も書いていますが、従来ずっと、薩摩は一橋派であり公武合体派です。長州はテロリストであり逆賊です。
いわゆる薩長同盟というのは、尊皇攘夷の西南雄藩が結ぶべくして結んだ同盟…などではさらさらありません。
昨日まで敵同士だった両者の結びつきであり、しかもこの場合、従来の立場を大きく変更して長州に歩み寄ったのは薩摩のほう、ということになります。
何といっても、官軍・薩摩が、幕府を裏切って、逆賊・長州に接近したのですから……

この両者を仲介し、同盟成立の影の立役者になった人物が特定できたとすれば、なるほど、文字通り歴史に残る大仕事を成し遂げたと言っていいでしょう。坂本龍馬の人気は、この薩長同盟の〝ありえなさ”を踏まえておかないと、理解しにくいかもしれません。

それにしても、龍馬や中岡やグラバーがいかに奔走したところで、本人たちにその気がなければ、同盟など結べるはずもありません。
実際、桂と西郷だけでは決裂しかけた、それを説得したのが龍馬とか何とかも言われていますが……
それでもその時点ですでに両者が対面するところまでこぎつけていたわけですし、それも単に「会った」というだけではない、同盟締結を目指して対面しているのです。
従来の成り行きや意地や対面が妨げにはなったものの、同盟の必要性は、両者すでに理解していた、ということでしょう。

昨日まで殺し合っていた敵と味方が、なぜ、そうまでお互いを必要としたのか。
なかんずく、官軍という有利な立場にあったはずの薩摩が、なぜ、逆賊に接近しなければならなかったのか。
(俗説かもしれませんが、桂との会合で、いわゆる龍馬の説得に応じて「折れた」のも、どちらかといえば西郷のほうでしょう)

薩摩と長州の共通点といえば、やはり、対外戦争の経験。なかんずく対英国のそれでしょう。
動画でも言われていますし、一般的にもよく言われる、即時攘夷の不可能を悟ったという話。
共通の経験が、共通の認識を生み、危機感の共有が両藩の接近を可能にした……
というともっともらしいですが。

しかし、少し待ってください。

幕末についてはくりかえし語ってきたように、薩長がそれに気づくはるか以前から、幕府はとうの昔に、攘夷の不可能性を悟って開国に舵を切っていたのではなかったでしょうか。
しかも、幕府だけではない。
上の動画でも「やるなよ」云々と言われていますが、こちらなどでも、倉山氏自身が、誰も攘夷できるなど思っていない、と語っていたのではなかったでしょうか。
長州はまだしも、薩摩については、上でも書いた通り、もとより公武合体派であり、島津斉彬などは開国派でもあったはず。即時攘夷の不可能、など、とうの昔に知っていたはずではなかったのでしょうか?
もちろん、理屈でわかることと、身を以て痛感することとの間には、大きな違いがあるかもしれませんが……
長州はまだしも、薩摩が今さらここで即時攘夷の不可能に気づいたなどというのは、周回遅れもいいところのようにも思えます。

にもかかわらず、その薩摩こそが、くりかえしますが、幕府を裏切ってまでして長州に接近した。
(「武備恭順」を幕府や諸藩に説いてまわった、のではなく)
薩摩が幕府に愛想を尽かしつつあったということもあるでしょうが……
ここは、やはり、西洋の強さを知って攘夷の夢から醒めた、などという、安易な通説に飛びつく前に、もう一段、考えておきたい気はします。

薩摩と長州の共通点は何か?
対外戦争の経験だけでしょうか?
むしろ、戦後処理の経験であり、しかもその相手が英国だったこと。ではないでしょうか?

薩英戦争は、なるほど、最初から相手は英国です。
しかし、下関戦争はどうだったでしょう? 来襲したのは四国艦隊ではなかったでしょうか。
そしてその四か国のなかで、長州を攻める動機や理由が一番薄い(≒砲撃を受けていない)のは英国でした。
にもかかわらず、上の動画には、米仏蘭は登場しません。
実際に交渉が行われなかったという話ではなく、倉山氏がそちらをあまり重視していないということ。長州にとって決定的に重要だった交渉相手は、他のどこでもない、英国だと見なしている、ということでしょうか?

ちなみに英国以外の三国についていえば、いずれも、幕府との結びつきこそが強い国だったように思います。
オランダは長年にわたる幕府の友好国、
米国は、ペリー来航以来、幕府にとって優先交渉相手国(こちらなど参照)
フランスについては、くららの動画にはあまり登場してきませんが……幕末の内戦に関して、幕府方に肩入れしていたのがフランスだったことは、漠然とは知られているのではないでしょうか。

薩長同盟以後、討幕の歴史については、英国が幕府よりもむしろ薩長に肩入れしはじめたことを抜きにして考えることはできないように思いますし、薩長が英国の関心を引きだした理由の一つは、(こちらでも書きましたが)、薩摩や長州が大英帝国に敢然と立ち向かい、その「胆力」を示したこと。でもあったのかもしれません?
(現代日本の政治・外交に足りないものは何か……あまり安直な結論に終始したくはありませんが、やはり、誰しも脳裏をよぎる考えではあるでしょうか)
動画で言われているような「薩長の目覚め」だけでなく、むしろ「英国の目覚め」についても、考えてみたい気はします。
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