2017年09月24日

【動画】世界と戦った日本人の歴史~幕末激動編~第13回「若き日の大久保利通と西郷隆盛~竹馬の友として」


チャンネルくららから。



明治の人は凄かったと言いますが。
明治に活躍した人が成長したのは江戸時代。
本当に凄かったのは江戸の人材育成システムであって、逆に、明治以降の学校教育制度は……💧という話はときどき耳にします。(そもそも明治天皇が教育勅語をお出しになったのも、学校教育の弊害を憂えられたから、とも言われているくらい)

といって、江戸時代に全国的・統一的・画一的な教育制度があったかというと、それは、まあ、一応、幕府直轄の教育機関(昌平坂学問所)などもなくはありませんでしたが、それで全国津々浦々をフォローできるはずもなく……教育の実態は藩により地域によりさまざまだったでしょう。
庶民含めての初等教育には寺子屋などが有名ですが、高等教育としては、私塾や藩校があったでしょう。松下村塾などは私塾ですし、こちらで見た適塾というのもありました。藩校としては長州の明倫館、佐賀の弘道館などが有名でしょうか?

何にせよそれらはもちろん教育機関ですから学問を教えるわけですが……明治の人は以下略と言われるような凄さというのは、単にお勉強ができるというだけのことではない。動画で言われているところの「人間力」。
もちろん、歴史に名を残さなかったから目立たないだけで、オチコボレもたくさんいたのかもしれません。したがって有名人だけを見たうえでの、所詮は結果論かもしれませんが、私塾にしろ藩校にしろ、その他の教育システムにしろ、成功した江戸の教育機関には、やはり、後の学校教育とは根本的に異なる「何か」があったのではないかと思いたくなるのも人情というものかもしれません。

わけても、動画でもチラッと言及されている薩摩の「郷中制度」などは、高等教育ではなく幼年教育、むしろ教育というより子育て制度のような印象もありますから、わりと後々にまでつづいたのでしょうか。東郷平八郎など明治に活躍した薩摩人はもちろん、牛島満など昭和の偉大な薩摩人もなおまだかろうじてこの制度の余薫の中でひととなったというような話は聞いたことがあるような気もします。(将口泰浩「魂還り魂還り皇国護らん―沖縄に散った最後の陸軍大将牛島満の生涯」:Amazon)

西郷・大久保というといろいろと尾ひれがつきまくって、イメージが(特に西郷などは)肥大化している、後世に伝説化されるほどそこまで聖人君子だったわけではない、という意見も時々耳にします。
が、やはり、何だかんだで、幕末維新の渦中にあった人物には違いないでしょうし、その胆力・人間力に端倪すべからざるものがあったことまでは、否定しなくてもよさそうには思います。
最近は、薩長などテロリストにすぎないと罵りたい向きも増えてきたかもしれませんが、犯罪者にも肝の座った確信犯がいておかしくはありません(動画でも「逮捕される覚悟」云々と言われています)
何をやったか、その善悪の評価とは別に、彼らがそれを成し遂げた、彼らの肝が据わっていた、という、そのこと自体には、なお、学ぶべきものがあるように思います。(「学ぶ」ことができるものなのかどうかはさておき……)