2017年09月19日

【動画】世界と戦った 日本人の歴史~幕末激動編~第9回「桜田門外の変 ~幕末テロリズムの始まり」


チャンネルくららから。



安政の大獄というとすぐに吉田松陰が殺されたとか橋本佐内が殺されたとか言いますが。
それではなぜ、井伊直弼を暗殺したのは、長州藩士でもなければ越前藩士でもなかったのか?

安政の大獄で志士が弾圧されたのでかえって尊攘テロの火がついた、というのは、長州を中心にみた「討幕」の説明としては正しいでしょう。
が、安政の大獄~桜田門外の変それ自体の説明としては不十分。
水戸の動向を押さえておかないと、事件そのものが、よくわからなくなるのではないでしょうか。

こちらなどでも書いたように、安政の大獄の眼目は、草莽の志士などより、むしろ、将軍継嗣問題に絡む「一橋派」の弾圧でしょう。
「一橋派」とは何かといえば、これこそは、水戸藩主・徳川斉昭が自分の息子(一橋慶喜)を将軍にしようとしたということです。
水戸の藩主を中心にした勢力が井伊に弾圧された。だからこそ水戸の(脱藩)藩士が井伊を殺すことになるわけではないでしょうか。
多少矮小化した言い方をすれば、安政の大獄~桜田門外の変というのは、幕府内部の跡目争い・内部抗争にすぎない。条約勅許問題さえもそのための口実にすぎないと言って言えないことはないかもしれません。

(だからこそ、水戸の「仕返し」はせいぜい大老を殺す程度のことですんだ、とも言えるのかもしれません。しかし一方、松陰を殺された長州の「仇討ち」は幕府を倒さずんばやまなかった、という……両者のスタンスにはそれくらいの違いがあったのかもしれません)

水戸といえば光圀公以来の尊皇家。「大日本史」を編纂し、「神道集成」を編纂し、水戸学を生みだし、天狗党を生み、桜田門外の変を起こし、維新の魁となった、などと言われることもありますが。
それでも水戸はあくまで御三家であり、将軍を輩出しうる家柄。
討幕などは考えておらず、将軍位を狙っていただけ。「だけ」というと語弊がありますが、幕府の主導権を握って幕府権力を以て尊皇攘夷を行うというのが、本来、水戸の目指した立場だったのかもしれません?

あるいは、安政のころに、流血の惨事を見ることなく、〝十四代将軍”徳川慶喜が実現していれば、そのような道もありえたのでしょうか?(あまり楽観できない気もしますが)
しかし、実際には、十四代将軍は家茂。しかも大獄の流血から、水戸以外の諸藩にも、「幕末テロリズム」が拡大していきます。
坂下門外の変も薩英戦争も八月十八日の政変も禁門の変も池田屋事件も寺田屋事件も天誅組の変も下関戦争も長州征伐も天狗党の乱も東禅寺事件も、あげていけばキリがありませんが、幕末の血なまぐさい事件のかなりの部分が、将軍家茂の時代に起きているでしょう。時代は混乱の極みでした。

そんな時代に家茂が急死し、今さら将軍職を継げと言われたのが慶喜。
大獄以前ならまだしも、ここまで事態がこじれたあげく、長州一藩をさえ屈服させられない幕府の弱体が露呈した中での将軍職就任。この期に及んで、いったい、何ほどのことができるのか? ヘタレエゴイストだとさんざんにいわれる慶喜ですが、彼が直面させられた無理難題を思えば、頭を抱えるのも無理はないようにも思います。

それもこれも井伊直弼が単に「一橋派」だけではない、あまりに片っ端に弾圧の対象を拡大し、全方位に火種をまき散らしたためであり、その遠因を作ったのが倉山氏の言う通り堀田正睦なのだとしたら……
「堀田が悪い」
誰よりもそう言いたかったのは、あるいは慶喜だったかもしれません。