2017年08月27日

こともなくしらべあげたる


以下の引用は小柳陽太郎他編著「名歌でたどる日本の心」序文から。

明治天皇の御製に、

 こともなくしらべあげたる言の葉の花にぞにほふ国のすがたも

という一首があります。「こともなく」とは、特別の意識もなく、ありのままに。「しらべあげたる」とは美しい調べで詠むということ。日本とはこういう国だと意識して詠んだり、武将のあるべき姿を示すというのではなく、ただ素直に実感が詠まれた歌には「国のすがた」が「言の葉の花にぞにほふ」、花がにおうように日本の国の国柄が感じられる、ということでしょう。この信玄や謙信の歌も「武士道」とか「日本精神」などというような概括的な言葉ではなく、それこそ「花がにほふ」ように、「国のすがた」そのものが詠まれている。
 しかしそれは必ずしも、いわゆる「国を思う」とか、「国を憂える」というような歌を集めたものではありません。この中にはもちろん、恋の歌も自然を詠んだ歌もたくさん出てくる。しかしそこに「国」という言葉はなくても、それこそあの明治天皇のお歌のように「こともなくしらべあげたる言の葉」の中に「国のすがた」が「にほふ」ような歌を取り上げるようにつとめました。

ネットのおかげで日本人の「覚醒」が進んだとも言えますが、左にふりきった振り子が反動で右にふりきれて、おかしな似非に騙される危険もなくもがな。
国体ガー国柄ガー武士道ガー皇軍ガー、と、目を怒らせ肩肘をはって呼号し、偶像の権威を借りて陶酔を貪る自称愛国者はあとを絶ちません。
仰々しくこともありげにくりだされる彼らの雄たけびのなかに、いったい「国のすがた」が「にほふ」ていることは、どれほどあるのか?

保守とは何か。誰が似非で誰が本物か。自分だけが唯一絶対の真理を知っているかのように傲岸不遜な演説をあえてする威勢の良い国士様は本当に信じるに値するのか。それはどこで見分けることができるのか。
偉そうな演説の中にではなく、ふとした拍子に「こともなく」もらした「言の葉」の中にこそ、手掛かりがひそんでいるのかもしれません。

自戒も含めて、心にとめておきたい御製ではないでしょうか。
こともなくしらべあげたる言の葉の花にぞにほふ国のすがたも (明治天皇)
Amazon:
名歌でたどる日本の心―スサノオノミコトから昭和天皇まで
明治の御代―御製とお言葉から見えてくるもの
新抄 明治天皇御集 昭憲皇太后御集

追記:
当ブログの最近のイチオシといえばこちらでシリーズ動画なども視聴した江崎道朗「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」ですが、前掲「名歌でたどる日本の心」の編著者小柳陽太郎は、江崎氏が例示する「保守自由主義」者の一人だったように思います。各担当執筆者も江崎氏の著書で言及があった「国民文化研究会」の関係者のようです?
だからどうだということもありませんが……
戦前から戦中戦後を通じて、史実を紐解きながら、反日左翼(左翼全体主義)はもちろん、似非保守(右翼全体主義)と真正保守(保守自由主義)の違いについても示唆を与えてくれる江崎氏の新著。
上の御製を拝誦しつつ、こちらもあらためて推奨しておきます(もちろん鵜呑みにしろとは言いません。当たり前です)。
Amazon:コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)
楽天ブックス:コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書) [ 江崎道朗 ]
posted by 蘇芳 at 22:34| 明治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする