2017年08月23日

【動画】特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第2回朝日新聞の手の内をバラす!」江崎道朗 上念司


チャンネルくららから。


動画概要:
2017/08/10 に公開
★8月11日新発売!PHP新書第1位!全体33位!
『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 (PHP新書)江崎 道朗 : http://amzn.to/2wx0Qgg

読了しました。
似非保守・偽装保守というカテゴリーが「右翼全体主義者」という形で整理されており、その多くを確信犯の共産主義者とは微妙に異なる「デュープス」(≒役に立つバカ)と見なしているため、単なる告発・罵倒にとどまらない考察になりえていると思います。
産経:現代の《デュープス》はだれだ!? 総力特集「共産主義者は眠らせない」 正論5月号好評発売中
罵倒芸を抑えた中川八洋というとアレかもしれませんがw

こちらで引用した、
街には、赤旗を押したてたデモ行進が延々と続いている。インターナショナルの歌声が怒濤のごとく響いてくる。私はふと奇妙な錯覚にとらわれる。この同じ街を、同じ我々の同胞が、手に手に日の丸の旗を打振り、愛国行進歌を高らかに歌い、延々長蛇の列をなして通って行く姿が瞼に浮んでくる。それが、まだついこの間のような気がするし、また遠い昔のような気もする。そして、あの日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った何万何十万かの人間は、何処へ行ってしまったのだろうか、また、赤旗を押し立て、革命歌を歌い、堂々デモ行進をやっている何万何十万かの人間は、何処から出て来たのだろうか。あの頃――何処で、何をしていた人々だろうか、と思う。それから静かに考えてみて、大変な事に気がつく。あの戦争中、日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った人間も、いま、赤旗を振り、革命歌を歌って通る人間も、同じ人間ではないのかと。
に戦慄したことのある人なら、思考の整理に役立つこと請け合い。

また、当ブログではしばしば、二二六事件の青年将校や、三島由紀夫や、彼らを神聖視して異論を許さない自称「愛国者」への違和感を吐露してきました。
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彼らの何が間違っているのか。
同時に、彼らの何が「部分的」に正しくて人を魅了し、欺くのか。
なかなかうまく言語化できずにもどかしい思いをしてきましたが……
本書は、戦前の思想状況全体を「左翼全体主義者」「右翼全体主義者」「保守自由主義者」の三つ巴で整理することで、もつれた糸を解きほぐすとっかかりを与えてくれるかもしれません。

とりあえず必読の一冊であることは間違いありません。

もちろん、上の構図も所詮は単純化しすぎかもしれませんし、細部に異論はありうるでしょう。
(「保守自由主義の立脚点は聖徳太子、五箇条の御誓文、帝国憲法」と、本書は主張しますし、近現代だけを見ていればもっともらしいですが……しかしそもそも、帝国憲法を作り上げた明治の元勲は維新の志士。維新の志士のバックボーンとなった江戸時代の思想は、儒教にせよ国学にせよ、反仏教色が強く、実際、明治政府も神仏分離政策を実施しました。何といっても尊皇の志士が日本の国柄を追求して古代史を紐解けば、蘇我氏にせよ道鏡にせよ、最悪の朝敵・逆賊といえば常に仏教勢力であるわけで……聖徳太子はまさにその蘇我氏のお仲間でもあったわけです。水戸光圀は仏教どころか八幡神まで(和気清麻呂の改革にもかかわらず)嫌っていましたし、諸外国の憲法を調査した伊藤博文などは、同時に、頼山陽の「日本政記」を愛読していたとか何とか。
我が邦は君臣の義、万国に度越す。而るに西竺の説、これを壊り、これを土灰沙塵に帰して止む。而してその端を開く者は、厩戸・馬子なり。
十七条憲法と帝国憲法は、そうやすやすと両立しうるのか? 江崎氏に言わせると、戦前の「右翼全体主義者」は口に承詔必謹を唱えながら昭和天皇の大御心を蔑ろにしたそうですが、古代史を紐解けば、憲法に承詔必謹を唱えながら崇峻天皇弑逆犯と仲良くタッグを組みつづけたのが聖徳太子といえなくもありません)
しかしまあ、それこそ、「議論」すればよいことでしょう。
明治政府の立憲主義を評価する一方で、幕末動乱への批判的考察が弾圧されてよいというわけもありません。
(保守自由主義を名乗るのなら、当然、学問の自由こそ保護されなければならないわけですから。また実際、江崎氏が評価する自由民権運動「薩長幕府」批判から生じてきた面もあるでしょう)

本書はまた、左右の全体主義に抗して戦った保守自由主義者たちの勇気を称賛する内容も含んでいます。
それはそれで十分に再評価されるべき人々ではあろうかと思いますが……
それら人々の一部は、著者自身の知己でもあり、やや身びいきのキライがないかどうか、多少は警戒したほうがよいかもしれません。

彼らは確かに立派だった、先見の明があり、勇気があった。
しかし、戦前は弾圧され、戦後は黙殺された。
知的・学問的な成果はあったかもしれませんが、社会的・政治的な成果は、どうだったか?

小田村寅二郎「昭和史に刻むわれらが道統」は1978年日本教文社刊、「日本思想の源流―歴代天皇を中心に」は1971年日本教文社刊、
小田村寅二郎と小柳陽太郎の共著「歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首」は1973年やはり日本教文社刊。

日本の国柄を知ろうとAmazonあたりで古書をあされば、明成社や展転社と並んでしばしばヒットしながら、そのわりには愛国書籍の絶版率が異常に高いこの「日本教文社」とはどのような出版社か?
wiki:日本教文社
1930年、生長の家出版部として出発、34年光明思想普及会となり、戦後1946年日本教文社となる。
wiki:生長の家
1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による太平洋戦争(大東亜戦争)への反省や戦争責任の追及、人権感覚からの女系・女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。1994年(平成6年)には雅宣の妻・谷口純子が白鳩会副総裁に就任。

近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対し宗教右派[21][22]の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている[23][24][25][26]。しかし、自身のブログでは民主党への支持を表明するなどしたため、一部の信徒は雅宣を「左翼」と批判し、1998年から教団を離脱して分派を作る動きも見られた。
2016年6月9日、生長の家は2016年の参議院選挙において、安倍首相の政治姿勢に反対の意思表明をするために、組織として[29]「与党及びその候補者を支持しない」ことを決定した[30]。また、元生長の家信者らの関与する政治組織・日本会議が政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があるとして、遺憾の想いと強い危惧を表明した[30]。
コミンテルンの「内部穿孔工作」を鋭く見抜いたという保守自由主義者たちは、戦前も戦後も、それを「見抜く」ことができたとはいえ、はたして「防止」することはできたのか?
彼らの仕事は純粋な学問的知的営為であるから、そんなことはできなくてもよい、のでしょうか?

こちらこちらなどチャンネルくららの動画でも、また本書でも、江崎氏は「敵の手口を教えてくれる反日メディアを弾圧するなど言語道断」と主張していますが……「知る」ことだけが目的ならそれでよいですが、「知っ」た上でその知識をどう活用するのか? そもそも放送法違反をはじめとする「違法行為の取り締まり」と「不当な言論弾圧」をやや混同しすぎているキライがあるのではないでしょうか。(それとも、こんな過激な「弾圧」を企図していると、私もまた「右翼全体主義者」だと、江崎氏たちにレッテルを貼られるのでしょうか?)

いろいろと挑発的かつ啓発的な一冊には違いありません。
異論の余地も反論の余地もあるでしょう。
が、何を議論するにしても、まずは一読するのが先決かと。
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