2017年08月13日

【動画】ヨーロッパ戦国時代【CGS 世界と日本の戦争史 第13回】


CGSから。


動画概要:
2017/08/12 に公開
今回も、前回に引き続き17世紀の戦争について語って頂いております。
非常に次から次へと戦争が続いていく時代になっております。各地で戦争が起こり戦争が戦争を呼ぶ形で、たった100年の間に沢山の争いが起こった
歴史の裏には一体どういう事があったのでしょう?ぜひご覧ください。

世界史とかいうくだらないものにかかわらずにすんだ、というのは、こちらこちらのシリーズで倉山満がしばしば言っていたことですが。
今回の動画の地図を見ていると、「鎖国」は正しかったのだなー、と、あらためて思えるかもしれません。
ついでに、
【動画】じっくり学ぼう!世界近代史 第14回「 17世紀の世界 徳川家康と明清交替」
じっくり学ぼう!世界近代史 第17回 17世紀の世界 三十年戦争③ ~傭兵たちの死闘!と略奪
【動画】じっくり学ぼう!世界近代史 第18回「17世紀の世界 三十年戦争④ ~リシュリューの国家理性」
なども参照すればなおさらかも? (「ガイジンとかかわっても殺し合いしかない」とか「三十年戦争日本戦線」とか「プロテスタント寄りの中立」とか「関わっちゃダメなんですよ、世界と」などいろいろ言われていますね……)

江戸時代というと、天下統一して太平の世になったので平和ボケして幕末に慌てふためいた、かのように言われがちですが……
そもそも「太平の世」を作り上げたこと自体、世界水準ですさまじい偉業なわけですし、それを成し遂げたのは「武装中立」なわけで、本来は「平和ボケ」どころの話ではありません。

また、鎖国鎖国といったところで、ポルトガルとの断交はカトリックが宣教という名の侵略行為(≒実際に魂の「征服」を自称していた)を仕掛けてきたからであって、異民族への布教など考えなかった(ある意味根っからの差別主義者)プロテスタントのオランダとは交易しています。
また、家康の時代には英国にも交易の許可が出ていたとか。それが後に断交したのは、英王室とポルトガルとの縁戚が直接の理由(口実)だったとか。
そもそも明~清とも普通に交易(こちらで書いた「唐人」問題が起きるレベル)しているわけですから、何が「鎖国」かという話。

要するに「鎖国」といったところで、当初は特定の敵国との断交、にすぎなかったともいえるわけで……
やがてそれが幕府の「祖法」として観念されるようになるまでには、それなりの文脈があったのではなかったでしょうか。
(大きな転機はこちらで書いたレザノフの文化露寇かもしれません。が、それ以前、レザノフは長崎に寄港を許されていますし、それはレザノフが、かつて幕府がラクスマンに与えた「信牌」を携えていたからです。「鎖国だからレザノフを追い払った」ことと、「鎖国なのにラクスマンに信牌を与えた」ことと、そもそも「鎖国」とは何かについて、幕府内においても観念のブレはあったのではないでしょうか。レザノフの侵略行為は藪蛇だったとも言えるのかもしれません)

もちろん、徳川二百数十年、平和ボケした時代がまったくなかったわけではないでしょうし、鎖国しているあいだに「列強」の顔ぶれがガラッと変わってしまったことも(今回の動画でもいわれている通り)事実。
幕末に慌てふためいたことも事実には違いないでしょうが……
慌てふためいて、すわ一大事と、上下挙げて事態に対処しようとして、スッタモンダはあったものの、何だかんだで侵略も植民地化もされることなく「対処」しきってしまった、というのも幕末日本の事実。
明治の元勲、と言いますが、彼らは皆、江戸時代の武士でもあったわけで……彼らの人格・能力・識見の基礎を育んだ徳川時代の底力というものを、決して軽視してはならないのではないでしょうか。

日本人もボケるときはボケるのかもしれませんが、それはボケても大丈夫な時代だけ。一朝事あらば瞬く間に目覚めて事態を正確に把握し、乗り切ってきたのだとすれば、それはそれでスゴイことのように思います。
願わくは、現代の「平和ボケ」も、そのようにして克服可能であってくれればよいのですが……
posted by 蘇芳 at 20:27| ・「CGS 世界と日本の戦争史」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする