2017年08月11日

【動画】世界と戦った日本人の近現代史 第7回「高まる脅威と藩政改革」


チャンネルくららから。


動画概要:
2016/05/16 に公開
アジア、アフリカが次々植民地支配されていった1800年代、江戸幕府は「徳川家康レジーム」に縛られ改革ができずにいた・・

倉山氏はフェートン号事件を特別に重視しているようですし、重要事件には違いないでしょうが……
こちらなどで書いた通り(というか倉山氏自身が著書で書いている通り)、この時代の焦点のひとつは海洋覇権をめぐる英露の対立。
同時期にフランスの船もロシアの船も日本に来ているわけですが、ロシアの侵略というのは、日本にとっては常に(現代も)大きな脅威。
松尾晋一「江戸幕府と国防 (講談社選書メチエ)」によれば、幕府が(動画では軽く片づけられている)レザノフを追い返したあと、北海道、樺太、千島列島をロシアが頻繁に襲撃してくるようになったとか。多数の日本人が拉致され、殺害され、生業を奪われ、奥州諸大名には蝦夷地出兵が命じられたりもしたのだとか。
wiki:文化露寇
倉山氏と松尾氏、どちらが「嘘だらけ」で「大間違い」なのかは知りませんが……
前掲書によれば、この「露寇」こそは、
近世日本の対外関係の転換点であり、幕藩制国家滅亡の危機を予感させるほどの衝撃があった。そして、この過程で、鎖国を祖法とする観念と政策が整備され、対外的危機意識と攘夷観などが醸成されることになった。
のだとか。
そしてロシア船来航への危機感も全国に波及・増幅していった、と。
松尾氏によれば、フェートン号事件に先立つ文化三年の時点で、
結局、幕府は祖法としての鎖国を維持し、武威を誇示することを目的に、ロシア船打ち払いに踏み出すことになる。
これが事実とすれば、「太平の眠り」は、「小国」アメリカどころか、覇権国英国ですらなく、覇権への挑戦者・ロシアによって、とっくの昔に破られていた。ことになるのかもしれません。

しかしながら、裏を返せば、この時点ではなお、幕府は「ロシア船打ち払いに踏み出す」ことが可能だった。それだけの底力はあった、とも言えるわけです。
また、フェートン号事件以後も、ブラザーズ号やサラセン号といった英国船が来航していますが、有名な「異国船無二念打払令」が出されるのはこれら事件を背景にした文化8年。
この時点では(表向きは「商船」「捕鯨船」ではあったとはいえ)天下の英国船すら「打ち払い」することが不可能ではなかった。少なくとも幕府はそう判断していた。ことになりそうです。

それを可能にしたのは、幕府の武威であると同時に、外交論理でもあったかもしれません。

文化露寇にせよ、ゴロウニン事件にせよ、幕府がロシアと事を構えるときには、決まって侵略の尖兵を「海賊」と定義していたといいます。これによって、侵略行為に対するロシア政府の関与は否定され、外交問題化させることなく、あくまで刑事事件として「処理」することが可能になったとか。
同様な方便は、こちらで触れた唐人犯罪についてついに強硬策(正徳新令)が採用され、唐船打払が行われたときにも利用されたといいますし、そもそもこの「海賊」という方便は、日本一国が勝手に言いはったものではなく、当時の国際社会でもそれなりに通用しうるものでもあった……のだとか。
再び前掲書から引用しておけば、
幕府にとって「海賊」とは、自らの武力行使を正当化する存在であると同時に、政権レベルで外交問題をそれ以上エスカレートさせないための方便としての常套句でもあった。これが当時の国際関係の中でも効果を持つものとして理解されていたということは、幕府の外交論理が時代に合わないものではなかったことを証明していると言えるだろう。
もちろん、「商船」や「捕鯨船」や本物の「海賊」の背後にさえ実際には外国政府の意志が介在していることは多々あったはずですが、上の「詭弁」を外交の不文律的に押し通すことは(実力の裏付けさえあれば)可能だったのかもしれません。

もっとも、「詭弁」はどこまでいっても「詭弁」にすぎないことも、また、事実でしょう。

おそらくこの動画シリーズでも、次回以降、パーマストン外交やアヘン戦争への言及が見られるのではないかと思いますが……幕府の武威を上回る武力を持った893覇権国を相手に、海賊云々の「詭弁」がいつまでも通用するはずもないことを、幕府は遠からず悟ることになるようです。
無二念打払から薪水給与令への華麗にもほどがある掌返しは、情ないといえば情ないですが……
現実的といえば現実的でしょう。
さらに後になってまで、攘夷決行だの、対英戦争だのをやらかした薩長に比べれば、さっさと打払令を撤回した幕府の変わり身の早さこそ、むしろ評価に値するという考え方も、あるいは、あってもよいのではないでしょうか。

いずれにせよ、少なくとも、支那の「海賊」すら撃沈できない現代日本にだけは、幕府を嗤う資格がないことは、確からしく思われます。
保守速報:【参院選】自民党・青山繁晴候補、拉致や赤サンゴを例に「憲法9条があるために安全守れない」 都内で街頭演説
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嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)


追記:
つまるところ、後に幕府を崩壊させた要因としては、幕府が無能だったとか、外交音痴だったとか、平和ボケしていたとかいうことではなく、こちらをはじめ、何度も考察しているように、幕藩体制そのものの内包する(中央集権化しきれないという)脆弱性こそが大きかったのではないでしょうか。
何となれば、動画でも「考えることは皆同じ」と称して、いくつもの「藩」の政策が紹介されていますが……明治維新以前・以後のもっとも大きな変化は、(ミンシュシュギなどではなく)、富国強兵をはじめとする重要政策を、国家レベルで一致団結して推進できたか、藩(≒地方自治体)レベルでバラバラに推進せざるをえなかったか、という、その点にあるように思えますから。
(鹿児島県が勝手に外国と戦争を始めることさえ可能だった、という、地方分権にはすさまじいものがありますし……現代の似非保守が道州制を主張すること、反日勢力が先住民詐欺を企てること、さらにはウィルソンの「民族自決」が何をもたらしたか、ということなどと合わせ考えてみることもできるかもしれません)