今さら言うまでもありませんが、古事記というのはもともと上つ巻・中つ巻・下つ巻の三巻本。
単に長さの都合でぶつ切りにしたわけではなく、この三部構成というのは、かなりしっかりとした意図によって作為されているようにも感じます。
各巻の内容をざっとおさらいしてみると……
上つ巻では、天地初発から国生み、国譲りを経て天孫降臨、日向三代を経て神倭伊波礼毘古命が誕生されるまでが描かれます。
いわば日本の「国土」とそれに伴う神々の誕生が語られ、その神々のなかでも最も高貴な系譜の果てに、初代天皇たるべき皇子が誕生されるという、まさに堂々たるプロローグです。
中つ巻では、その神武天皇の東征から御即位を以て日本の建国が宣言され、その鴻業が代々に受け継がれていきます。
初代神武天皇ののち、数代かけて畿内の諸豪族を平和的にまとめあげ、第十代崇神天皇の御代にはいよいよ四道に将軍を発して朝廷の勢力圏が拡大されていきます。
「将軍」とはいっても、考古学的に大きな戦乱の後が発見されているわけでも何でもなく、朝廷の傘下に入るメリットゆえに、進んで服属した勢力も多かったことが察せられますが……
中には頑強に抵抗した勢力もあったのでしょう。その代表が熊襲であり、景行天皇、日本武尊、仲哀天皇、父子三世にわたって征西がくりかえされます。
その熊襲の影で糸を引いているのが朝鮮半島の諸国家(三韓)であることが判明し、やがて神功皇后の三韓征伐を以て、日本の国家統一は一応の完成を見ました。
国内が平定され、三韓が服属することで訪れた、太平の応神天皇の大御代を描いて、中つ巻は幕を閉じます。
日本という「国土」の次は「国家」の建設を描く、それが中つ巻だと言えそうです。
ちなみに、御歴代天皇のうち、漢風諡号に「神」の字をお持ちになるのは、神武天皇、崇神天皇、応神天皇の三方ですが……
まさにその神武天皇に始まって崇神天皇を経て応神天皇に終わるのが中つ巻でもあります。
これもまた、中つ巻の主題が建国の功業であることとよく符合する表現ではないでしょうか。
そうして建国された国家は、では、いかに運営されるべきか?
下つ巻では、民のかまどの挿話で有名な仁徳天皇の御代に始まり、佞臣の讒言に端を発する、安康天皇・雄略天皇の御代の混乱と、顕宗天皇の御即位による秩序の回復など、その後の歴史が描かれますが……
単に歴史的事実の叙述にとどまるというよりは、皇族間、君臣間の関係性はどうあるべきかを考察するような、いわば「テーマ性」を感じさせる挿話が目立つようにも思えます。
(三韓を従え、文化的交流も本格化してしまったせいでしょうか、あるいは儒教の影響なども垣間見えるのかもしれません)
古事記の収録範囲は第三十三代推古天皇まで、と、紋切り型では言われますが、顕宗天皇の御代以降は、簡単な系図的情報が羅列されているだけで、物語的な展開は皆無の等しいことはこちらなどをはじめ、くりかえし述べてきたとおりです。
顕宗天皇の御代から推古天皇の御代の間といえば、継体天皇の御即位もあれば、仏教公伝と、それに伴う物部の滅亡や崇峻天皇の弑逆、聖徳太子の「活躍」など、歴史的事実の展開には事欠きません。
「日本書紀」にはしっかりと収録されているそれら数多くの重要事件が、「古事記」にはなぜこうもきれいさっぱりと欠落しているのか? 紙幅の都合? 資料の散逸? 記と紀ではよってたつ典拠が違う? 蘇我氏関連の政治的配慮? それらの事情もあったのかもしれませんが……これほど目立つ大きな欠落には、やはり、物語的・構成的要請による能動的な「意図」の存在を、一度は考えてみるべきでしょう。
上:国土創生
中:国家建設
下:国家経営
これら各巻のテーマに沿って、皇国のあるべき秩序を物語る「大団円」を以て、全編の幕を閉じる。
下つ巻の構成に、そのような主題的な作為は、まったく作用していないと言いきれるでしょうか?
もしもそのような作為が実在するとすれば、「日本書紀」が、取捨選択や解釈によるバイアスは避けられないものの、第一義的には「事実」の記録たるべき「歴史」であろうとしているのに対して、「古事記」は事実以上の教訓やテーマを主張しようとする「文学」に近い、と、やはり言えるのかもしれません。
そして、「事実以上の何か」を物語ろうとする行為は、単なる「事実」の記録以上に、高度な抽象であり、野心的な象徴操作であるとも言えるのではないでしょうか。
偏見かもしれませんが、一般的に「日本書紀」よりは「古事記」の人気は高く、この左傾化し果てた戦後にあっても、数次のブームのようなものは起こしてきたようにも思います。
そのとき、決まって持ちだされる比較が、カラゴコロに毒された日本書紀よりも、純粋な大和言葉でやまとごころを写し取った古事記のほうが云々、という、国学モドキの主張ですが……
大和言葉で書かれている、やまとごころか描かれている、という、そのこと自体の価値は幾重にも高く評価すべきはもちろんですが、それがすなわち、単純素朴な古代人の大らかな云々~というロマンチシズムを喚起するのなら、少し冷静に待ったをかけるべきかもしれません。
単純素朴で「ある」ことと、単純素朴を「描く」こととは、まったく異なる行為です。
(田園生活の素晴らしさを音楽や文学や絵画で高らかに歌い上げるのは、たいていの場合、都会から来たインテリでしょう)
「古事記」が高度なテーマ性によって周到に構成された文学作品であるとするならば……
その成立の背景には、天武天皇や太安万侶、稗田阿礼など、当代一流の知性による、日本とは何か、やまとごころとは何か、国は、君は、民は、いかにあるべきか、という、国民国家・日本をめぐる徹底した思想的格闘があっただろうことが確からしく思われてきます。
「古事記」が編纂された時代というのが、こちらなどをはじめ、くりかえし確認してきた、国家存亡の危機と自覚の時代だったことを、ゆめ忘れるべきではないでしょう。
そのような高度な文学性・思想性は、「古事記」の価値をいささかも減ずるものではなく、われわれは何者か、いかにあるべきか、という一種哲学的な命題を、1000年の昔から真剣に問い続けてきた先人の営為の精華として、むしろいっそうの敬意を表すべきに違いないのではないでしょうか。
上つ代のかたちよく見よいそのかみ古事ぶみはまそみのかゞみ (本居宣長「玉鉾百首」)
追記:
性格は大きく異なりますが、もちろん、「日本書紀」の重要性も古事記に劣るものではまったくありません。
ネット保守界隈では、古事記を第一等の古典と呼んだことばかりが有名な本居宣長は、「玉鉾百首」で次のようにも詠んでいます。
まつぶさにいかでしらましいにしへをやまと御書の世になかりせば本居大平の「玉鉾百首解」によれば、「○やまとみふみは、日本紀なり」「上代のありさまを、こまかに知べきは、此日本紀なり。されば此御書の、世にある事は、いといと尊きなり」だそうです。
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ラベル:古事記