2017年07月13日

神道の「教義」?


神道は教義も経典も持たない、とよく言われますが、あれは半分は本当で、半分は嘘ではないかと最近思います。
ドヤ顔でそんなことを言う同じ人が、その舌の根も乾かないうちに「神道には一霊四魂という考え方があって~」などと言い始めると、いったい誰がいつそんな「考え方」を定めたのだとツッコみたくもなります。

神道が元々統一的な教義を持たなかったことは確かかもしれません。
最初から教義がないのなら神学論争も起きるいわれがないのですから平和でよいかもしれません。

しかし、そこへ外部から立派な教義・経典を持った仏教や儒教や道教が入ってきたらどうなるか?
口げんかで負けるのではないでしょうか。
素朴な日本人が支那朝鮮の減らず口に勝てる道理があるでしょうか。
あちらには教義・経典というアンチョコまであるというのに、こちらには何もないのですからなおさらです。

結果、いわゆる「神仏習合」の理論的主導権は、長らく、仏教側に握られることになりました。
(護法善神説や神身離脱説は要するに神が仏の家来になったという話ですし、有名な本地垂迹説も道鏡事件以後の改革を経て一応マシにはなったというものの「本地」はあくまで仏です)
神道側にはそもそも「理論」自体の持ち合わせがないのですから当然です。

細かいことは気にしない大らかな神主ばかりなら別にそれで困りもしないのかもしれません。
が、中には無駄にまじめで勤勉で純粋でプライドの高い神主さんもいるわけで。
仏教に大きな顔をされてばかりいると、結局悔しいのですね。
仏教で世の中が平和に丸く治まっているうちは良いですが、世の中が乱れ、坊主の堕落もあからさまになってくればなおさらです。なんであんな俗物どもの下風に立たねばならぬのか。一度生臭坊主どもを言い負かしてやりたい、ギャフン(死語)と言わせてやりたい。
そう考える神主が現れます。ルサンチマンを募らせます。
そして往々にしてルサンチマンは人をニーチェ的な意味での宗教に向かわせるのではないでしょうか。

神道のイニシアティブを仏教から取り戻したい。自律性を主張したい。
そのためには仏教に対抗できるだけの理論武装が必要です。
結局のところ意識高い系の神主さんは、神道独自の理論の構築、要するに教義・経典の構築のために努力するようになるのではないでしょうか。
(神道五部書はいつ誰が「執筆」したのか。言わぬが花というものでしょうか)

同様な試みに挑んだ神主は他にもたくさんいたのかもしれませんが、そうした神道の自立化・自律化を、歴史に名を残すレベルで達成した初期の例が、渡会家行であり、吉田兼倶だったかもしれません。
渡会家行は仏教だけでなく内宮に対するルサンチマンもこじらせていたようで、こちらで見たような宇宙の根源神を構想しましたし、吉田兼倶は根葉果実説を説くことでついに神仏の主客を転倒し、習合の主導権を握ることに成功しました。

つまるところ、神道は教義も経典も持たない、と、よく言われますが、だからこそ、教義を持ちたいと望み、持とうとしてきた、というのも、歴史の一面なのではないでしょうか。

それはそれで一つの達成であり、進歩でしょう。
しかし、同時に、何をもたらしたか。
神道とは何か、それまで曖昧にぼかされていたそれがハッキリと言語化される。
ということは、論点・矛盾点・対立点もまた明らかになるということです。
「神道とはこうだ」と、誰かが言う。それは必ず、「違う」という反発を呼び覚まします。
なまじ「教義」を主張するようになったからこそ、無用な論争もまた巻き起こる。
そもそも神道には、祖霊信仰、自然崇拝、首長崇拝、皇室崇敬、などなど、仏教以外にもいろいろ混じっているのですから当然です。
こちらでも書いたように、当の渡会神道と吉田神道自体も、飛び神明をめぐって、犬猿の中になりました(教義以前の泥仕合という気もしますが💧)

南朝との結びつきが強かった渡会神道は足利時代には今一つメジャーになりきれなかったようですが、吉田神道は違います。京都・吉田山の地の利を活かして朝廷にも、足利にも、やがては上洛してきた天下人たちにも巧みに取り入り、一世を風靡します。江戸時代には神道免許状の発行権を幕府に公認され、巨大利権団体にまで成長しました。
そして徳川三百年の太平の中で、学問・芸術は著しい発展を見ました。神道巨大利権の周辺だけが穏やかで和気藹々などというわけはないでしょう。当代一流の頭脳が、命がけの議論をくりかえしたのではないでしょうか。今よりずっと神秘が身近で切実だった時代。しかも巨大利権が絡んでいるのです。暇人のネットの炎上とは気合が違います。

吉田神道が日光東照大「明神」を主張する。
仏教勢力に妨害され、実現したのは、東照大「権現」。
そもそも仏教など日本に要らないと儒学が言う。
そんな排他性はからごころだと国学が言う。
閉鎖的な島国根性では雪隠詰めだと儒教が言い返す。
吉田神道からこっそり吉川神道が分派し、
本居宣長と一面識もない一番弟子が復古神道を構築して、宣長門下から罵倒され、
吉田神道の利権にあぶれた連中が、対抗馬として事務屋のトップにすぎない白川家を担ぎだす。

それが江戸時代の百家争鳴であり、神学論争が熱くなれば、やがて本道から外れる連中も現れるのが必然というものかもしれません。
吾れ嘗て称す、王業衰へて神道興ると。何となれば即ち、これ祖宗の事なればなり。王政の盛時に当り、誰れか敢てこれを口舌に騰げ、以て私説を樹てんや。
(頼山陽「日本政紀」)
それだけ議論しても分派抗争が激しくなるだけで、結局、神道すべてに共通の「結論」などは出なかった。だからやはり「統一的」な「教義」はない、と言えるのかもしれません。
しかしまた、同時に……
何しろ、当代一流の頭脳たちが、真剣勝負の議論をくりかえしたのです。神道の「教義」をめぐる主要な論点の多くは、大方出尽くしたのもまた、江戸時代というものではなかったでしょうか?

最近は日本人の「覚醒」が進み、伝統文化、なかんずく、日本独自の神道への関心も高まっているとか。
それはそれでとてもよいことですが、それに便乗して、パワースポットだのスピリチュアルだの、何やら香ばしい商法も横行しているようないないような。
中には、ただの神道より上等な「古神道」を名乗って、おかしな予言や「メソッド」や「ワーク」や「セミナー」を奨めている人たちもいるようです。商魂たくましくて結構なことですが……
しかし、「古神道」と言って、いったい、何がそんなに「古い」のか?
本人たちがどんな大風呂敷を広げているのかよく知りませんが……結局のところ、その元ネタの多くは、江戸時代の議論に行き着くのではないか、という根拠のない予感というか邪推を感じなくもない今日この頃なのです。
Amazon:
吉田神道の四百年 神と葵の近世史 (講談社選書メチエ)
神道の逆襲 (講談社現代新書)
霊の真柱 (岩波文庫)
直毘霊・玉鉾百首 (岩波文庫)
垂加翁神説/垂加神道初重伝 (岩波文庫 青 44-1)
ラベル:仏教 儒教 国学 神道
posted by 蘇芳 at 21:27| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする