2017年06月23日

【動画】【沖縄レポート】沖縄県護国神社宮司・伊藤陽夫氏に聞く[桜 H21/8/13]


チャンネル桜から。


動画概要:
2009/08/13 に公開
戦禍から沖縄ならではの復興の道程をたどり、実に多くの参拝者が訪れているという沖縄県護国神社の伊藤陽夫宮司に、沖縄県護国神社の現状と、皇居勤労奉仕にまつわるエピソードなどをお聞きします。
沖縄県護国神社
wiki:沖縄県護国神社

小学校のエピソードにさいして、さりげなく「1セント」と言われていたことを聞き落とさないでいただきたいところ。
仮社殿の竣工は昭和34年(1959年)、
現在の社殿が竣工したのは昭和40年(1965年)10月、
沖縄の本土復帰は1972年(昭和47年)5月15日です。
宮司さんが話しているのは、つまりそういう時代の出来事なのでしょう。

これまで見てきた護国神社の歴史の中では、GHQの弾圧の下、全国の護国神社が存続の危機にさらされ、社名の変更を余儀なくされていました。
同じ時期、沖縄では何が起きていたのか?
「本土」の私たちは知っているでしょうか?
ネットの普及、国民の覚醒とともに、沖縄戦についても、左の嘘だけでなく、もう少しまともな史実もいろいろと語られるようにはなってきているでしょう。現在進行形の危機についてもネット上ではさまざまな真実が暴露されています。
しかし占領下の沖縄の「苦難」については、意外と、知らないことが多いようにも思います。
たとえ情報があったとしても、侵略勢力の反日フィルターに歪められていないか、そもそも根も葉もない捏造ではないか、そうしたことまで一度は疑ってみなければならないのですから、厄介ですが……
wiki:アメリカ合衆国による沖縄統治
ひとつだけ確かに言えることは、占領下の県民が望んだのは、他国の支配でもなければ、独立でもない。祖国日本への復帰だった、という、そのことでしょう。
たとえ占領下にあったとしても、そこに暮らしていたのはまぎれもなく日本の「国民」であり沖縄の「県民」。
侵略者の手先どもがいかに歴史をねじ曲げ、恥知らずな嘘をわめきたてようとも、本土復帰こそが県民の「悲願」だった時代の真実を、決して手放してはならないように思います。

沖縄はじめ日本を蝕む侵略者の手先の皆さんが連日発狂中の今日この頃。
保守速報:平和運動団体レイバーネット 「ヘイトより愛を」と叫びながら警官隊に襲いかかる
テロ等準備罪の成立を受けて、パレルモ条約加盟への道も開けつつある現在。
私たち日本国民が、日本国沖縄県の歴史や軍事的意義を 正 し く 知ることがかつてなく重要になっているのかもしれません。
(ちなみに上のwikiによれば、こちらの動画で引用されていた嘉手納の広報資料にあった「Keystone of the Pacific」の語は、占領下の昭和20年代から使われていたことにもなるようですね。沖縄返還については、情緒だけでなく、ベトナム戦争~東西冷戦を背景にした現実をも、しっかり見据えておくべきかもしれません)
全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
故郷の護國神社と靖國神社―「故郷の護國神社展」の記録 (シリーズ・ふるさと靖國)
魂還り魂還り皇国護らん―沖縄に散った最後の陸軍大将牛島満の生涯
沖縄決戦 - 高級参謀の手記
『軍神』を忘れた沖縄
日本を守る沖縄の戦い 日本のジャンヌダルクかく語りき
危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告
天皇陛下と沖縄
瀬音―皇后陛下御歌集

追記:
皇后陛下の御歌が紹介されていましたが、沖縄といえば天皇陛下の御製、なかんずく琉歌も有名。
【CD付】天皇陛下御作詞 皇后陛下御作曲 歌声の響」の版元が反日新聞社でさえなければ……というところ。
まともな出版社は何をボヤボヤしていたのでしょうか???
それはさておき、「全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~」によると、沖縄県護国神社の境内には、
遺骨だにまだ見ぬ人にたのまれて 泣き泣きひろう沖縄の石
という歌碑も建っているそうです。
遺骨収集に参加された方が、発見できない遺骨の代わりに、沖縄の石を拾って遺族にお渡ししたことを詠んだもの。
皇后陛下の歌碑と一般国民の歌碑が、同じ境内に並んで建っているのでしょうか。それはそれで君民共治のわが国らしい光景かもしれません。
ラベル:護国神社 沖縄
posted by 蘇芳 at 20:49|  L 護国神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする