2017年06月21日

八幡神雑想④


八幡神の変貌というか改造というか無害化というかについてはこちらをはじめ何度か考察していますが(もちろんそれだ全部わかった気になって何かを決めつけるつもりはありませんが)。
しかしそもそもそれ以前に、元々の原・八幡神というのはどういう神だったのか?

中野幡能「八幡信仰 (塙新書 59)」は、八幡神も元は宇佐の土着豪族の氏神だった(はず)だと決めつけていますが、それでは宇佐八幡宮の祭祀を司るのが宇佐氏ではなく大神だの辛嶋だのといった一族である理由がよくわかりません。その後宇佐公という一族も現れますが、それは功績のあった僧侶があらためて賜った氏姓であって、彼が土着豪族の宇佐氏と関係があったのかなかったのかはよくわかりません。

一方、飯沼賢司「八幡神とはなにか (角川ソフィア文庫)」は、すべての神が特定氏族の氏神としてスタートしたという中野の先入観を批判し、八幡神を徹頭徹尾「政治的に作られた神」であると主張します。なるほど、八幡神が中央の政治に大きくかかわってきた奈良・平安時代、なかんずく、八幡神が応神天皇と習合したり、菩薩号を冠したりといった事情を説明するには好適な解釈かもしれません。実際、南都仏教~平安仏教へのガラガラポンは桓武天皇の政治的意思に強く主導されてもいたでしょう。
しかし、それはそれで、それ以前の原八幡神の時代については、隼人征伐の時に天下った渡来系の軍神であるというだけで、何しろ隼人の実態も私たち一般市民にはよくわかりませんし(研究者ならしっかりわかっているのかといえばそれもアヤシイ話ですが)、「困ったときの渡来系」というのも安直というか今一つ漠然としすぎているようにも思います。

一柱騰宮の菟狭津彦・菟狭津媛の後裔はその後どうなったのか? どこへ行ってしまったのか? 上の二つの説では、どうにも釈然としません。

対して、逵日出典「八幡神と神仏習合 (講談社現代新書)」は、(単に文章表現の巧拙の話で、主張の信憑性に直結するわけではないかもしれませんが)、もう少しシンプルに整理されているようにも思えます。

記紀の誓約の段では、天忍穂耳尊をはじめとする五柱の男神と、三柱の女神が生まれます。
この三柱の女神というのはいわゆる宗像三女神として有名。当然、(世界遺産詐○に引っかかりかけている)宗像大社のある福岡県に天降ったとされるのが一般的でしょう。
産経ニュース:世界遺産、厳選進む 沖ノ島4件除外 「長崎」にも注文
保守速報:【中韓人観光客誘致】市民グループ『観光むなかた』が宗像観光ガイドマップの中国語、韓国語版を作製!! お花畑全開へ!! 福岡
「日本書紀」の「本文」にも、
此則ち、筑紫の胸肩君等が祭る神、是なり。
とあるようです。

しかしながら逵日出典の前掲書によると、同じ「日本書紀」でも、異伝を収めた「一書」には、
則ち日神の生れませる三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。
とする説が収録されているそうで……
さらに「先代旧事本紀」によれば、この三女神は「天三降命」とも称され、宇佐国造の祖とされているといいます。
「嶋」には(山偏がついているように)元々「山」の意味があったそうですが、これが宇佐地方の神奈備・神体山のことをさすとすれば、以上の伝承は、土着豪族の血統が皇室の系譜に関連付けられ、権威づけられるという……出雲国造のそれとも類似した「氏神」の成立過程を示唆しているように思います。
つまるところ、この宗像三女神こそが、中野幡能が重視する「宇佐の土着豪族の氏神」であり、それが後にいわゆる「比売神」になっていったのだ、と、見なすことには、十分な合理性がありそうです。

(だとすれば、余談ですが、世が世なら宇佐国造も出雲国造と同様に、もう一つの天皇家~などと増長することも許されたかもしれませんねぇ……まあ、八幡神自体はその後、伊勢と並ぶ二所宗廟に発展しはしますが、それはあくまで応神天皇との習合によるわけで、宇佐国造はどこかに置き去りにされたようにも思います)

しかし、それでは、こちらなどで見た、「八幡神は大隈日向国の辛国城に八流の幡として天降って日本の神になった」という、渡来神を示唆する伝承は、何だったのか?
異国の神が渡来するというとき、現実的には、神だけが単身で渡来するわけではないでしょう。
その神を祀る集団の渡来≒移民を伴っていたはずです。

こちらで、国東半島の「国東」とは「国埼」であり、国境の意味だという話を紹介しましたが……

古代、神代の九州といえば、大陸・半島との交渉の要地。
九州の北西から上陸した渡来系士族の勢力が徐々に東遷し、やがて宇佐の地で、土着の有力豪族と出会い、衝突ないし融和する、などということがあっても、おかしくはないのかもしれません。

つまるところ、要するに……

平和的な習合か、乗っ取り・背乗り・侵略の一種だったかは、さておき、原・八幡神には、原・八幡神の時点ですでに「日本古来の土着豪族の氏神」と「渡来神」の二つのルーツがあったということであり、中野幡能と飯沼賢司の違いは、そのどちらを重視するかという、それだけの違いでしかないのかもしれません。

どこかの反日勢力のようにやたらに「起源」にこだわるのも、まあ、結構ではありますが……
2600年の歴史ある日本。
「起源」の発見だけが究極の真理というわけはないでしょう。「起源」が何であれ、それ以上に重要なのは、それがその後どう発展し、どのような役割を果たしたのか、という歴史的展開であり、それを「時系列」で把握することのほうが、よほど大切なことのように思います。
(「時系列」的な理解という、それこそまさに反日某勢力のもっとも不得手とする作業であるという、界隈でまことしやかにささやかれる噂が事実であるとするなら、なおさらです)

以上を要するに、
まず初めに、宇佐の土着の神は、記紀神話と結びついて日本の神となり、宇佐の「氏神」となった。
しかしやがて、大陸・半島からの渡来神に飲み込まれ、当時の侵略者の道具のような仏教からも大きな影響を受けた。
その結果が、こちらで見たような奈良時代の惨憺たるありさまであり、その究極が道鏡事件。
と、大雑把には見ることができるのかもしれません。

話がそこで終わっていれば、なるほど、黄門さまが八幡神を嫌うのも無理もないと言わざるをえませんが……
しかし、実際には、歴史は決してそこで終わったわけではありません。
皇位簒奪未遂という未曽有の大事件は、その手先となった仏教(及び八幡神)に対して、根本的な変革を迫る画期ともなりえたのではないでしょうか?
こちらで考察したように、かつては敵勢力が日本を「仏教化」しようとしたのに対して、今度は朝廷によって仏教こそが「日本化」されてゆく、というプロセスが、もしも実際に発動したのだとしたら……
ナムはウリの神を拝んでいるニダ~などという不毛な起源主張よりも、有害外来文化の無害化・有益化というこの歴史的展開を理解することのほうが、よほど実りある命題であるように思います。
(上で軽く触れた「宇佐公」の誕生(復興?)もあるいはそのプロセスの一環だったのかもしれません?)

何となれば、その命題を十分に理解しさえすれば、黄門さまのようにむやみに八幡神を嫌う必要もなくなり、古代の思想史はもとより、その後の神仏習合、それらに対する江戸時代の誤解と理解、その誤解/理解が幕末動乱に対して与えた思想的影響、などのトピックを芋蔓式に手繰り寄せることにもなり……
何といっても、反日ウリナム起源妄想を一蹴すべき足掛かりを、また一つ確かなものにすることにもつながるのでしょうから。
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ラベル:仏教 八幡神 神道
posted by 蘇芳 at 16:16| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする