2017年06月13日

【動画】許波多神社


今回は雑談。
唐突かつ私事ですが許波多神社に参拝してきました。
wiki:許波多神社
許波多神社といっても全国的には有名でも何でもないローカルな神社なので知らない人のほうが多いでしょう。
もっとも、二カ所ある許波多神社のうち、木幡に鎮座されているほうはいわゆるアニメの聖地だとかいう話も聞かないことはありませんので、その筋の人なら名前くらいは聞いたことがあるのかもしれませんが……
「許波多神社 けいおん」の検索結果:楽天
しかして、私がお参りしてきたのは、そちらではなく、隣駅の黄檗・五ヶ庄にあるもう一社。許波多神社は許波多神社でも、オタクの皆さんが見向きもしない方の許波多神社です。
玄松子の記憶:許波多神社 (宇治市五ヶ庄)
お参りしてきたからといって写真も何もありませんが、とりあえず流行り(?)の御朱印は戴いてきました。
P61300kohata06.JPG
証拠?というわけでもありませんがUPしておきます。

さて。

なぜいきなりそんな神社に行ってきたのかと言われれば、御祭神。
上のリンクにもある通り、こちらの許波多神社の御祭神は、
正哉吾勝々速日天忍穗耳命
天津彦火瓊々杵命
神倭磐余彦命
の三柱なのです。
奈良の橿原神宮はもちろん、宮崎神宮、相殿で良ければ鵜戸神宮などにも祀られてはおいでですが……
神武天皇をお祭りした神社、意外と近場にはなかったのですね。
忍穗耳命や瓊々杵命を祀った神社なら近場にもいくつかあるのですが、神武天皇となるとサッパリ。
(有名な橿原神宮でさえ創建は明治23年ですし、神武天皇陵も江戸時代にはあれ果てていたという話もあるくらいですし……意外とそんな扱いだったのですよね、実は)
それがようやっと、相殿とはいえ神武天皇をお祀りした神社が、わりとご近所に見つかったので、臣民たる者とりあえず一度はお参りしておかねば、と、思い立った次第。

google先生で写真など見てみればわかりますが、周囲にあるのは住宅だったり畑だったり、まあ、そんなに大きくはない地元の氏神様です。
しかしながら……
上の御朱印にさらっと書いてあるように、元は「式内大社」でもあったのですよ?

同じ御朱印内にあるとおり、創建も大化元年という由緒正しい古社。
社伝によれば、
右大臣蘇我倉山田石川麻呂の奏上を聞食され、皇祖の御神霊を奉祀するため、中臣鎌足に詔して、
云々とのこと。
蘇我は蘇我でも蘇我倉山田石川麻呂といえば、こちらなどを始め、日本書紀にしばしば登場する忠臣ですね。懐かしい。

延喜式神名帳では官幣にあずかる大社とされており、しかも、神名帳所載の神社大小三千百三十二座のうち、天忍穗耳命を奉祀する大社は、許波多神社が唯一。
そのため、後世の「釈日本紀」では、
許波多神社に座す神は宗廟の神として他と異にして尊崇すべき
だとさえ主張されているのだとか何とか……

そんな由緒正しい「大社」ですから、元々、本来の社地は別の場所にあり、今よりもっと広大だったそうで、JR黄檗駅付近には、旧一ノ鳥居の礎石などが今でも遺構として残っているのだとか。
そんな大社がどうして今のようにこじんまりしてしまったのかといえば、どうも諸悪の根源原因は明治政府のようです。
御朱印と一緒にいただいた社殿等を載せたプリントによれば、
明治八年、陸軍火薬庫建設につき、社地全域を無償上地仰付られ、創建以来の境内地より御旅所だった現在地に移転させられた。
のだとか。
それはまあ、富国強兵はいかにも大事ですし、薩長クーデターを正当化できる数少ない根拠の一つは安全保障体制の近代化≒国民軍の創設ですが。
それにしても神武創業?王政復古?を口実に利用した薩長幕府、よりにもよって、他でもないその神武天皇を含む宗廟の神々に対し奉って何という罰当たりをしでかしているのかというところ。

明治23年にあらためて奈良に橿原神宮が創建され、それはあくまで地元民の請願によるもので、政府主導でなかったことは確かですが、場所が場所だけに、政治的にも都合が良かったことは確かでしょう。
その盛大な事業のかげで、もっとはるかに古くから畿内で皇祖をお祀りしていた古社が、いわゆる「割を食っ」ていたのだとすれば、何というか、微妙に納得いかない気もしないでもありません。

薩長というのは、こちらこちらなどでも考えた通り、江戸幕府より実ははるかに先見の明がなかった疑いもあり、初代総理大臣伊藤博文なども経験を積んで明治大帝の御信任を賜るに至るまでは、かなりアレな言動の目立つオッチョコチョイだった気配もあったりなかったり……
生麦生米薩英戦争。西南雄藩とやらの人たち、一度は痛い目を見てからでないと「正解」にたどり着けない体質か何かなのでしょうかねぇ

まあ、許波多神社を移転させてまでして作ったという陸軍の火薬庫も今は昔。
許波多神社の旧社地は、今では宇治市黄檗公園とかいう、公共施設になっているようです。
そのかわりといっては何ですが……
陸上自衛隊宇治駐屯地は、今でも、黄檗駅前で日夜任務に励んでいます。
駐屯地の歴史によれば、
この駐屯地は明治27年、日清戦争を契機に旧陸軍 造兵廠宇治火薬製造所として発足しました。
だそうで、上で言う「火薬庫」の建設からはだいぶ遅かったようですが……一連の計画の一環には違いないのでしょうね。

明治政府・軍の処置にはもう少し配慮もほしかった気はしますが……
しかし、まあ、何といっても軍といえば国の防人、陛下の赤子。
天孫の御神霊も、お膝元の防人たちに、御神慮・御加護を垂れたもうてくださるものと信じたいところではあります。
というか、地図によれば駐屯地の西門すぐ前というくらいに近いのですから……隊員さんたちも、わりと当社にお参りされることもあるのでしょうか?

追記:
youtubeに動画がありました。
探してみるものですねぇ……

詐○レンズというか何というか、画面がものすごく歪んでいるかわりに、広くは見えますねw
途中、チャイムの音が聞こえていますが……
すぐ裏手に小学校があるようです。
陸自駐屯地と天孫をお祀りする式内大社の超ご近所というのも、なかなか素晴らしい教育環境。
汚染されなければよいですが。
保守速報:
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posted by 蘇芳 at 17:00| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする