2017年06月11日

あけてたにみよ


孫引きで恐縮ですが、菅野覚明「神道の逆襲」によれば、こちらでも一部引用しておいた通り、垂加神道の儒学者・山崎闇斎は、
国に悪い者あれば、それを退治するがはらいぞ。あしき一揆、盗賊、およそ天下国家の害をなすことをば皆治めはらうがはらいぞ。
づんとさしつまりて、殺す道理になりてからは、人でもづんと殺すものぞ。少しも許さぬ心の、さるほどにきつかりとして許さぬ処ぞ。
などと主張していたそうで。発想がナチュラルにテロリストです。さすが儒学者。口に尊皇愛国を唱えながらも、主君殺しが常態の易姓暴力革命の国の「からごころ」からは、なかなか逃れることができないものなのかもしれません。

こうした儒教の過激なテロリズムが幕末動乱の原動力のひとつになったというのならわかりやすい話でしょう(実際のところどの程度の影響力があったのかまではよく知りませんが)。
しかして、一方、こうした「からごころ」そのものを批判する国学は、どうなのか?
原理的にいえば、暴力革命そのものを否定することにならざるをえないように思いますし、そんな生ぬるい(いにしえのサヨク用語でいえば体制順応的な)思想が、幕末動乱に何ほどの影響を持ちえたのか? 持ちえなかったのか?
もちろん、「維新」は「革命」ではない、倒されたのは王朝ではなく行政機関にすぎないというのも事実ではあるのですが……だとすれば、国学の果たした役割も、動乱の「推進」よりは「抑制」への貢献を主にして見るべきなのでしょうか?
私ごときににわかに判断もできませんが……
何にせよ国学の主張するところと、実際に国学がたどり着いたところとは、整理して押さえておく必要があるのかもしれない。ような気はしないでもありません。

本居宣長の「玉くしげ」は、藩主の求めに応じて政事について論じたもの。
もののあはれのお文学とは違って、国学者による直接的な政論・政談として読むことができますが、そのなかで宣長が展開している議論は、実際、かなり穏健です。
さて又上に申せるごとく、世中のありさまは、万事みな善悪の神の御所為なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず。神の御はからひのごとくならでは、なりゆかぬ物なれば、此根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々国のためにあしきことゝても、有来りて改めがたからん事をば、俄かにこれを除き改めんとはしたまふまじきなり。改めがたきを、強て急に直さんとすれば、神の御所為に逆ひて、返て為損ずる事もある物ぞかし。すべて世には、悪事凶事も、必まじらではえあらぬ、神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分善事吉事ばかりの世中になす事は、かないがたきわざと知べし。然るを儒の道などは、隅から隅まで掃清めたるごとくに、世中を善事ばかりになさんとする教にて、とてもかなわぬ強事なり。
然るを古の道によるとして、上の政も下々の行ひも、強て上古のごとくに、これを立直さんとするときは、神の当時の御はからひに逆ひて、返て道の旨にかなひがたし。されば今の世の国政は、又今の世の模様に従ひて、今の上の御掟にそむかず、有来りたるまゝの形を頽さす、跡を守りて執行ひたまふが、即まことの道の趣にして、とりも直さずこれ、かの上古の神随治め給ひし旨にあたるなり。
これを要するに、儒教の急進主義を真っ向から否定する漸進主義ですし、潔癖な理想主義の血気をたしなめる、現実主義の老成すら感じられます。水清ければ魚棲まず。

特に後段、「強て上古のごとくに、これを立直さんとするときは、神の当時の御はからひに逆ひて、返て道の旨にかなひがたし」とは、建武中興をはじめとする復古主義、もっというなら神武創業・王政復古という明治維新のスローガンとさえ、正反対のベクトルではないでしょうか。
「今の上の御掟」にそむかず、従来の「有来りたるまゝの形」の政治を崩すなというのですから、他の国学者はいざしらず、宣長のこの主張は、むしろ佐幕とこそ相性がよいもののようにも思えますが……

にもかかわらず、現在、やたらと「維新」のロマンチシズムを振り回したがる人たちこそが、国学の大成者・本居宣長を偉人扱いしているのだとすれば、何やら不思議な光景のようにも思えます。
藩主の求めに応じた「玉くしげ」はオブラートに包んであるだけで、宣長の本音はもっと過激な急進主義だったのか?
当初は漸進主義だったのが、やがて急進主義に転向したのか?
あるいはむしろ、読者のほうが、宣長の真意を自分たちの都合の良いようにねじ曲げて、曲解・誤読していったのか……?

今のところはまだよくわかりませんが。

古事記を解読して、本来あるべき純粋な日本の姿を見出そうとした国学が、究極において、「すべて世には、悪事凶事も、必まじらではえあらぬ」という「道理」にたどり着いたというのなら、なかなかに深い結論というべきではあるかもしれません。

世のあらゆる創唱宗教というものは、こちらで考察したように、原理を純化しようとすればするほど、反社会的になっていく場合が多いようです。
古代日本においても、仏教という過激思想につく逆賊たちが、日本そのものを侵略しようとくりかえし試みてきたように思います。その究極の帰結が道鏡事件でしょう。
しかして、道鏡事件ののち、仏教の排除が行われたかといえば、そんなことはありません。
国体は護持され、侵略者の野望は潰え、カルトの刷新は実行されました。が、そこまでです。仏教そのものは排除も弾圧もされていません。
むしろ神仏習合は、平安時代以降、かえって、いよいよ進行していきます。
黄門さまはご立腹かもしれませんが……
しかしながら、平安時代の神仏習合が、こちらで考察したように、むしろ日本の勝利をこそ意味しているのだとすれば、その勝利は仏教を「排除」することではなく、「コントロール」することによって成し遂げられたとも言えそうに思います。

日本の「古道」というものが、もしも本当にあるのだとしたら、「隅から隅まで掃清めたるごとくに、世中を善事ばかりになさんとする」一途な性急さとは対極にある、この清濁併せ呑む貪婪さ・雑食性こそが、それなのかもしれません。
実際のところ、平安時代の神仏習合、江戸時代の吉田神道(神仏儒習合)、など……日本に長く「平和」が続いた時代というのは、思想や信仰が純化された時代どころではない、むしろもっとも不純化した時代だったようにも、思えなくはありません。
(つけくわえるなら、根葉果実説の吉田流は、それこそ、外来思想を「排除」するのではなく、神道の「コントロール」下に置こうとする試みだった、とも言えるのではないでしょうか)

より純粋な「日本」を一途に求めて古典や古代史を紐解いた結果、むしろ「不純」さこそが日本の本当の「凄さ」の本質だという結論に達するのだとすれば……それはそれで国学の卓見の一つではあるのかもしれません。
しかし、また、「すべて世には、悪事凶事も、必まじらではえあらぬ」とすれば、道鏡事件の例を挙げるまでもなく、その「悪事凶事」が看過すべからざる極に達する場合も当然に想定しておかなければならないでしょう。
国学自身は、その処方箋を持ちうるのか?
平時には大人ぶって清濁併せ呑むなどとほざいておきながら、有事にはなすすべもないのではないか?
結局のところ、「国に悪い者あれば」「少しも許さぬ心」と「人でもづんと殺す」道理をもって「それを退治する」からごころもまた、有事には必要であり有効なのでは?
「やまとごころ」と「からごころ」というよりは、「平時」と「有事」、「和魂」と「荒魂」の対比として、何なら「ブレーキ」と「アクセル」の関係としてでも見てみれば……そろそろまた時代の曲がり角にさしかかりかけているかもしれない現代においても、これらは無縁ではない問いかけかもしれない、ような気はしないこともありません。
何にせよ、
身におはぬしつかしわさも玉匣 あけてたにみよ中のこころを
古典というもの、他人の解説だけを鵜呑みにせず、自ら紐解いて目を通してみるに如くはないようです。
Amazon:
玉くしげ/秘本玉くしげ (岩波文庫 黄 219-5)
神道の逆襲 (講談社現代新書)
posted by 蘇芳 at 15:35| 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする