いつもの伊勢神宮、という感じの公式PVですが。
動画概要:
2017/05/31 に公開
古来、「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれる日本の国は、水に恵まれ稲が立派に稔る国を意味します。私たち日本人にとって、お米は単なる食料としてだけではなく、神と人とを結ぶお供え物でもあります。
「伊勢神宮」では御鎮座以来2000年にわたり、稲が芽吹き、そして稔るという稲作の周期と共に、お祭りが行われ、その中で天照大御神のご神徳をたたえ、ご神恩に感謝し、「国安かれ、民安かれ」と、国家の隆昌と国民の幸せをお祈りしています。日々の祭、年ごとの祭、20年に一度の式年遷宮。神宮では神への祈りと感謝を込めてお祭りが繰り返されてきたのです。
めぐりゆく美しい季節の中、あらゆるものの中に八百万の神の存在を感じてきた日本人。みなさまは今、「伊勢神宮」に何を感じますか。
伊勢神宮オフィシャルWEBサイト
http://www.isejingu.or.jp/
豊受大神については、渡会氏がこちらで見たような我田引水を主張していたこともあるようですし、その主張が惹起するかもしれない問題についてもこちらやこちら、またこちらなどで縷々考察してきましたが……
外宮神職の世襲制は明治以降は廃れたそうで、動画に見る通り、現在の伊勢神宮公式の見解では、外宮の御祭神は「御饌津神〝ごとき”ではない」などという中二的誇大妄想は、少なくとも表向きは、なりを潜めているようでしょうか。
そこには、明治以降、伊勢神宮(内宮)が皇室の宗廟、すなわち皇国の中枢・根本の聖地として、あらためて盛り立てられていったという政治的事情も、あるいはあったのかもしれませんが……
しかしまた、こちらをはじめくりかえし検討してきたように神道が死後の救済よりも現世の生命を尊ぶ信仰であるならば、まさにその「生命」を支える「食」の神に皇祖神と同等の尊崇を払うことに、何の不自然も不都合もないようにも思えること、こちらなどでも言及してきた通りです。
今回の動画にも、さらっと、
何気ない日々を尊ぶ祈り
毎年くりかえされる祈り
生命の営みなどの言葉が登場していました。
つまるところ冒頭で述べた通り「いつもの伊勢神宮」という感じの代わり映えのしない公式PVですが……
神道や神宮、日本の「こころ」にとっては、そうしたいつも通りの代わり映えのなさにこそ意味があるのかもしれません。