動画概要:
1)2012/06/08 に公開
真冬の日、山形県にある護国神社へ参拝してきました。その時の様子をカメラに収めてきました。ときどき誰かの声がしますが、正体は母です。
2)2012/01/01 にアップロード
山形護国神社 2012 元旦 TUY ニュース
3)2011/01/01 にアップロード
http://mindopened.info/
http://sagaesi.cafemix.jp/
http://hiroburock.n-da.jp/
4)2013/01/03 に公開
山形県の護国神社。1月3日も凄い行列でした。
We visited Gokoku Shrine in Yamagata Prefecture on January 3rd, 2013.
The line was super-long!
山形縣護國神社(公式ホームページ)
wiki:山形県護国神社
普段の静けさと打って変わって、正月は凄い行列です。
「行列」ということで。つまりマナー良いですね。
山形県護国神社は市の中心部を流れる馬見ヶ崎川のほとりに鎮座。
周辺には薬師公園や陸上競技場などもあり、市民の散策・憩いの場になっているとか。
「全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
当方、神社仏閣は豊富な街に住んでいますが、その分、観光地化が進んで、地元の護国神社にも微妙に「地元感」が足りないような気がすることがなくもありません。
護国の英霊ガー、と、構えるのもありといえばありですが、市民の散歩コースになるレベルで「地元のお宮」として親しまれているのなら、それはそれであるべき姿のような気はします。地元出身の英霊、とは、つまるところ、故郷を、地元を、護りたくて挺身した方々でもあるのでしょうから。
いわゆる氏神さんとは少し違うかもしれませんが……護国神社もまた、地元に親しまれてナンボというべきなのかもしれません。
ちなみに山形県護国神社では、全国的にもまだまだ珍しい神葬祭も可能なようで……冠婚葬祭、人生儀礼のすべてが神社だけでも行えるというのなら、地元の生活により一層寄り添いやすいのも納得かもしれません。
山形県護国神社は明治2年(1869年)1月、戊辰戦争で戦死した旧薩州藩大砲長、久永竜助以下10柱を祀るために山形市八日町に社殿を造営したのが創祀。
山形県にありながら最初の御祭神が薩摩藩士というのも、不思議な因縁ですが……
明治8年には山形招魂社となり、以降山形県関係の殉国者を合祀しつづけ、現在の御祭神は、護国の英霊・四万八百四十五柱を数えるとのこと。
昭和9年(1934年)千歳公園内の現在地に遷座し、
昭和14年(1939年)例の内務省令によって内務大臣指定護国神社となり、
護国神社の例に漏れず、GHQの弾圧・改称を乗り越えて、現在に至るようです。
「久永竜助」については軽く検索した程度ではよくわかりませんでしたが……
現在のいわゆる「山形県」には、もともと、米沢・新庄・上山・天童・荘内・松山・山形・長瀞の8藩及び幕領・他藩の飛び地が分立していた、とのこと(参照:山形県の変遷)。
wiki情報で恐縮ですが、庄内戊辰戦争春の陣などでは、山形藩・久保田藩等は新政府方、庄内藩は幕府方に分かれて相争ったとか。その戦いを端緒とする秋田戦争には薩摩・長州も直接参戦しているようで。
官軍だ賊軍だといっても、本当には何が正しいのか、神ならぬ身の人間に完璧に見通せるはずもなく。誰もが国事を憂い、信じるところに殉じたのでしょう。薩摩藩士が山形の英霊になるくらいのことは、あってもおかしくない時代であり状況だったのかもしれません。
ちなみに、「山形県」は旧藩名が県名に残った珍しい例だそうですが、その山形県の初代県令に就任したのも、やはり「薩摩藩士」である三島通庸(みしまみちつね,1835-1888)だったとか(参照:総合心理相談
ES DISCOVERY:Es Discovery's Encyclopedia≫日本史の出来事と人物≫山形県の名前と歴史)。
戊辰戦争の戦場になっているのですから、ある意味、当然なのかもしれませんが、意外なつながりがあるものですね。幕末東北・戊辰戦争といえば白虎隊くらいしか知らないようなレベルではいけませんなー💦
全国護国神社巡拝ガイドブック~ご朱印めぐりの旅~
故郷の護國神社と靖國神社―「故郷の護國神社展」の記録 (シリーズ・ふるさと靖國)
追記:
こちらの追記で書いたように、昭和14年に、護国神社は1県1社を基本に整理されましたが……
それら「内務大臣指定護国神社」とは別に、村社相当の「指定外護国神社」も同時に定められた、とも、物の本には書いてありました。それら「指定外護国神社」は現在の全国護国神社会には加盟していないのか、調べようにもなかなかとっかかりが見つかりませんが。
山形県内には、少なくとももう一社、鶴岡市に「鶴岡護国神社」が鎮座しているようです。
山形県神社庁:鶴岡護国神社上でも引用したこちらのページによれば、「鶴岡県」というのもごく短期間は存在したようですが、わずか1年で消滅したとのことですから、鶴岡護国神社が「府県社」相当の「内務大臣指定護国神社」になりえなかったことは間違いなさそうです。
荘内神社:鶴岡護国神社
それでも、なお、その後も地元で崇敬され、現在まで祭祀を守りつづけている……その裏事情としては、あるいは「庄内藩」の存在があるのでしょうか。
「戊辰の役・西南の役に殉じた藩士の霊」を祀ったのが鶴岡護国神社の創建だそうですが。会津の盟友・庄内藩の戊辰の役従軍者というのは、つまるところ、公的には「賊軍」だったような気もしますし、
wiki:庄内藩≫幕末~戊辰戦争現在、鶴岡護国神社が鎮座する荘内神社は、思いっきり、庄内藩の藩主を祀っている神社だったりもしますからね。
荘内神社:由緒英霊の宮、という意味では、靖国神社とも近い性格を持つのが護国神社ですが、分霊その他直接の関係はなく、本社・末社というわけでもありません。
あくまで地元の殉難者を地元の発意で思い思いに祀ったことから始まったのが護国神社。
つまるところ、御祭神の基準にも、靖国とは微妙に異なる、それこそ「地元に密着」した独自性が、ありえたりもするのでしょうか?
内務大臣指定を受けなかった神社なら、なおさら、明治政府の公式見解から、微妙にずれることも、可能だったのかもしれない気はします。まあ、知りもしないで滅多なことは言えませんが。
なお、荘内神社も、山形県護国神社同様、神葬祭が可能なようで、神道霊園もあるようです。意外とそういう土地柄なのでしょうか、山形県……?
山形県の歴史散歩
山形県の歴史 (県史)
あなたの知らない山形県の歴史 (歴史新書)
ラベル:護国神社