2017年05月18日

【動画】高校講座 日米史7 仏教と儒教にからめとられる神道


説明も自己紹介も何もない動画ですが、サムネイルからして、講師は西尾幹二氏でしょうか。
この人はこの人でどこまで信じてよいのか知りませんが……
まあ、動画はあくまで話のとっかかりということで。
神仏習合とのからみで儒教にも言及している動画というのは、それだけでも貴重かもしれませんから……



神仏習合という言葉は日本人なら誰もが知っていますし、現代ではしばしば(かつ迂闊に)称賛されることも多いでしょう。
神仏習合の是非については思想信条の自由ですから大いに考えるなり議論するなりすればよいですが。
その一方で、儒教もまた神仏と習合し歴史に影響を与えてきたという事実については、議論以前に、認識そのものが不足しているような気もします。

当ブログでは以前から、こちらこちらこちらなどで吉田神道、儒家神道について触れてきましたし、それとは別にこちらこちらこちら、はたこちらなどでは渡会神道の問題についても触れてきましたが……

いわゆる「尊皇の志士」として自称保守派・愛国者に大人気な幕末維新のヒーローたちが、儒教の影響を強く受けざるをえなかった層≒武士であったことは、「日本を取り戻す」スローガンが大っぴらに語れるようになってきた今だからこそ、あらためて認識しておくべきことのように思います。

こちらで書いたように、幕末の志士の愛読書のひとつは頼山陽の「日本外史」や「日本政記」だったと言われていますが、そこには、
我が邦は君臣の義、万国に度越す。而るに西竺の説、これを壊り、これを土灰沙塵に帰して止む。而してその端を開く者は、厩戸・馬子なり。
などという主張も記されています。
聖徳太子を呼び捨てにして名指しで非難する、これが「尊皇」の志士の愛読書だったというのは、現代の単細胞保守気取りには驚くべきことであるはずではないでしょうか(その「驚き」さえ感じることができないほどに、私たちの「知」は劣化しているのかもしれませんが)

頼山陽の非難の理由は、二人が「西竺の説(仏教)」を導入し、「君臣の義」を破壊したことであって、「君臣の義」はアニミズムでもなんでもない、神道よりはむしろ儒教道徳に近いものでしょう。
しかしそれを言うなら、そもそも、「冠位十二階」という、同じ聖徳太子による、まさしく「徳治」の制度化の試みは何だったのかということにもなり、一見して山陽の自家撞着は明らかです。

ついでに言うなら、山陽は、同じ「日本政記」に、
吾れ嘗て称す、王業衰へて神道興ると。何となれば即ち、これ祖宗の事なればなり。王政の盛時に当り、誰れか敢てこれを口舌に騰げ、以て私説を樹てんや。
とも書いており、得手勝手な神道が乱立し、「体制派」の吉田神道に反旗を翻した世相を慨嘆もしていますが、それら当時の「神道」の多くが「儒家神道」であったことには、口をつぐんでいるようにも見えます。

幕末だけではない。動画では称賛されている渡会神道・伊勢神道の絡みで言えば、自称愛国保守がやはり尊皇の書と強弁する「神皇正統記」も、記紀の記述をガン無視して仁賢天皇を誹謗中傷していたり、後鳥羽上皇の御企図を「天のゆるさぬ」「御とが」と非難していたり、その歴史認識が脳内お花畑の国士様の聞きかじりとは実はかなりの齟齬があることも、すでに言及してきたところです。

蘇我氏・道鏡といった仏教派の逆賊と、それらに与せられた、聖徳太子や称徳天皇、後者と深い関係のある八幡宮。
聖武天皇の謎の詔によって名指しされた舎人親王とその子孫、対照的に優遇された気配のある新田部親王とその子孫。
このあたりの古代の思想的争闘は、なるほど、仏教VS神道、のわかりやすい図式で整理できるかもしれません。

しかし、後世、それら歴史の「解釈」をめぐっては、当然、さまざまな政治的・思想的・宗教的立場によって、〝ためにする”議論が行われてきた。そのことも忘れてはならない事実でしょう。
当ブログ開幕当初のこちらで書いたことですが、
「日本書紀」に描かれた時代、
「日本書紀」が読まれた時代、
現代の私たちから見れば、その両方が、大切な日本の「歴史」であるはず。
そして、「日本書紀」が読まれた時代の武士の基礎的教養に「儒教」があったこと。その色眼鏡を通して解釈された歴史が、討幕運動≒テロやクーデターといった過激な手段を含む反政府運動と結びついていたことは、等閑に付すべきことではないように思うのです。
ありていにいえば、神仏儒習合の江戸時代に、あえて神仏対立の古代史を直結させることで、「本来あるべき日本の姿」は、かえって「儒教」という外来思想の隠れ蓑として利用された面もあるのではないか?、と、一度くらいは疑ってみてもよいのではないでしょうか。

垂加神道は、日本書紀を講義して幕府に弾圧されました(宝暦事件)が、なぜそうなったのかといえば、それはそれだけ、垂加神道が「過激派」だったからでしょう。
儒家神道の試みが、大慈大悲の仏教哲学を排除して、皇室の起源の物語を中心にまとめ上げられた神道と、儒教の君臣名分論を直結させるなら、愛国無罪のテロリズムに傾斜してもおかしくはありません。
その幕末維新のテロ思想からすれば、聖徳太子、聖武天皇、称徳天皇、八幡宮、などなどをめぐる古代の歴史は、近現代の無邪気な国士様の見ているそれとはかなり異なる様相を呈していたかもしれず……
あれもこれもそれもどれも、と、贔屓の引き倒して手当たり次第に歴史上の人物を褒めたおしているうちに、反日勢力もかくやというダブルスタンダードに陥りかねない危険は、自覚しておきたいところです。

追記:
愛国無罪の自称保守派には、やたら「維新」を口にしたがる人もいますが……
それならそれで、そういう人たちこそ、「維新」と「儒教」の関係を負の側面も含めて押さえておくことが、いろいろな意味で必要なのではないでしょうか。。。


ラベル:神道 仏教 儒教
posted by 蘇芳 at 15:47| 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする